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ALPS-PASS-MAP
【ハンニバルが象と越えた候補峠の位置、
推定ルート。クリックで拡大】
Elephants

カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠:アルプス紀行
  ・・・2つの有力ルート(+4ルート)を行く −Hannibal-Elephants-Route

[北村 峠一].(Kitamura)      
ハンニバルと象の峠 紀行:INDEX
 ●ハンニバルの通過した推定峠
 ●Googleマップでルートをたどる
 ★トラヴェルセッテ峠 トレッキング・ガイド★
 ●歴史的根拠
 ●関連サイトへのLINK、書籍、ビデオ、You Tubeなど
 ●Hannibal(イギリスBBC-DVD-CM)You Tube
 ●ハンニバル研究家:村上温夫
 ●Roman Gaul--Hannibal ガリア人(古代フランス)情報

 ●大量山岳・凍死事件
 ○http://en.wikipedia.org/wiki/Hannibal
 ○Hannibal's route across the Alps
 ○[ハンニバルが門前に来る]子供のしつけ文句[ブギーマン]


■はじめに:時代・歴史:

・ 紀元前BC218年(2200年以上前)、カルタゴの名将・勇将Hannibal Barca(ラテン・仏・英)/Annibale Barca(伊)/Hanni-baal(フェニキア)/ハンニバル・バルカ(BC247/246-BC183)(当時28/29才)が象とアルプスを越えました。[歴史的根拠]

・第2次ポエニ戦争において、海戦では不利と読んだハンニバルは、象を先頭に陸路をたどり、険しいアルプスを踏破して、イタリアに進軍し、忍法にも通じる戦法でローマ軍に連戦勝利し、ローマ周辺に攻め入ったのです。(泣く子も黙るハンニバル・・・)

・行軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭(南フランス・アルル付近でローヌ川渡った時点)でしたが、このアルプス越えの行軍で兵力は半減しました。

行軍の概略ルート+逃亡のルート ・行軍の概略ルートは、カルタゴの領土だったスペインから、ピレネー山脈を越え、南フランス、ヨーロッパアルプスの峠を越え、イタリア平野に侵入し、カンナエ(カンネー)、トラシメネス湖畔、ローマ周辺各地へ。(結局ハンニバルは15年間もイタリアで戦い続けました)(アルキメデスもこの頃の人でBC206年に亡くなっています)

・峠越え(頂上に着いた)の時期は、10月の終わり頃、前年の残雪もまだかなり残っていて、さらに高度の山のため新雪が降り根雪になりはじめる頃です。

●赤=トラヴェルセッテ峠ルート、●青=クラピエ峠ルート、
●黄=小サン・ベルナール峠ルート、●緑=大サン・ベルナール峠】


https://fr.wikipedia.org/wiki/【ドロームの歴史】



・アルル付近から、「アルプスの登り道」まで248kmを10日で踏破。 そこからトリノまでのアルプス越えは15日間、距離213km、平均20km/日*10日、頂上・平原で5日の滞在。

・さて、「どのルートを行軍し、どの峠を越えたのか」については、過去数百人の推定の研究発表がありましたが確定は難しいのです。

★★2016.4.8:アルプス越えのルートは、トラヴェルセッテ峠が確実?!!


ハンニバル将軍の“アルプス越え”ルートが判明=トラヴェルセッテ峠が確実!! 馬糞の痕跡が決め手に [itmedia.co.jp]
 紀元前3世紀、カルタゴのハンニバル将軍が“アルプス越え”したルートを、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストなどの研究チームが突き止めた。2000年以上にわたる歴史家の論争に終止符が打たれるかもしれない。

 ハンニバルは、第2次ポエニ戦争でローマ軍と激突したカルタゴ軍の将軍。紀元前218年、約1万頭の軍馬、37頭の象を率いてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵攻した逸話は、古代ローマ史上最大の軍事作戦と言われる。しかし、ハンニバル軍がたどったルートの詳細は不明で、歴史家の間でも意見が分かれていた。

 研究チームは、フランスとイタリアの国境付近にあるトラベルセッテ峠を調査し、軍馬の糞と思われる堆積物を大量に発見した。堆積物を詳しく調べたところ、ハンニバルが侵攻した時期に生きていたクロストリジウム属の微生物を確認し、ハンニバル軍が通過した裏付けと結論付けた。

ハンニバルのアルプス越えの馬糞を大量に発見・分析 [futura-sciences.com]
 1974年ギャビン・デ・ビールがハンニバルが通過した可能性のある峠として特定されていたトラヴェルセッテ峠で、 英国北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストのクリス・アレン、ヨーク大学のビル・マヘイニーのチームが、現地での様々な分析(LED 花粉、化学組成、メタゲノム、層序を...)と排泄物化石動物を多く含む土壌を特定した。この細菌の中に含まれる土砂はクロストリジウム属で、紀元前200年前後に、多数の馬と男性の腸内細菌叢がその場所にいたことを示してるという。

http://www.dailymail.co.uk/【Ancient horse dung is helping -- 】
http://www.telegraph.co.uk/【Has Hannibal's route across the Alps been uncovered?】
https://theconversation.com/【How ancient horse-dung bacteria is helping --】
https://www.theguardian.com/【The truth about Hannibal’s route across the Alps】
http://billmahaney.com/hannibal.htm
http://www.earthmagazine.org/【On Hannibal's Trail: The clues are in the geology】
How (and Where) Did Hannibal Cross the Alps?

<疑問反論サイト>
https://ancientimes.blogspot.com/【2016/04/13:当時5つ以上の軍がAlpsを通過したなど】


・現時点で有力とされる2ルート(Traversetteトラヴェルセッテ峠、Clapierクラピエ峠)と、それぞれのヴァリエイション説のルート・峠をまとめてみました。2019年6月、2002年6月、1998年7月に旅行した各地の写真・紀行や、関連する説明・情報を整理し、時系列にリンクしてあります。

 ・・・皆さんも各場所ごとの風景の中に、「ハンニバルと象」の行軍シーンを思い浮かべ、一緒にフランスからイタリアに向かってみませんか。・・・

  <◎YouTubeで映画の予告・・安全確認が出ます・・OKを>
  ●フランス:イタリア国境の推定峠一覧へ
  ■Googleマップでルートをたどる
  △Google-Mapで位置を確認


■Traversette トラヴェルセッテ 峠ルート説 (緑実線が推定ルート。右3つは類似した推定ルート、( )は取材日)


<Traversette トラヴェルセッテ峠ルート説>

●このルートが最有力です。クリックで紀行へ

生誕〜進軍〜サン・ジル付近(2019.6.17)
ローヌ渡河(ボーケール〜タラスコン)(2019.6.17)
ローヌ川北上(〜アヴィニョン)(2019.6.19)
ローヌ川北上(〜オランジュ〜エーグ川〜)(2019.6.19)
ローヌ川北上(〜ロリオルで東に)(2019.6.19)
ドローム川を東に(〜Die前)(2019.6.19)
 ・Crestクレス付近(2002.6.12)
Dieディーの街(2019.6.19)
 ・Dieディの町付近(2002.6.12)
Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア(2019.6.20)
 ・St.Romanサン・ロマン〜Chatillonシャティロン(2002.6.8)
▲襲撃-1:
Gorges-des-Gats ガ峡谷(2019.6.20)
 ・Gas ガ渓谷
(2002.6.8)

Glandageグランダージュ村〜Les Maillefauds レ・マイユフォー〜La Viereラ・ヴィエール集落(2019.6.20)
 ・Glandage グランダージュ村 (2002.6.8)
Grimone グリモーネ峠〜(2002.6.8)
Serres セール村〜(2002.6.12)
Gap ガップの町〜(2002.6.9)
Espinasses エスピナス村〜(2002.6.9-10)
Poncon ポンソン湖〜(2002.6.9-10)   (1998.7.2)
Embrunアンブラン〜Mont-dauphinモン・ド−フィネ〜(1998.7.2)
Guillestre ギレストル 〜(2002.6.18) /(1998.7.2)
▲襲撃-2:
Queyrasケーラス渓谷〜
(1998.7.2/2002.6.18)
Chateau-Queyrasシャトー・ケーラス(城砦)〜(2002.6.18-20)
Ville-Vielleヴィル・ヴィエイユ〜Aiguillesエギーユ〜(2002.6.18-21)
Abriesアブリエス〜(2002.6.18-21)
Ristolasリストーラ-2-3(2002.6.18-21)
La Montaラ・モンタ/l'Echalpル・シャルプの村(2002.6.18-20)
Petit Belvedere小見晴台-2(2002.6.18-20)
Grand-Belvedere du Viso大見晴台-2(2002.6.18-19)
トラヴェルセッテ峠手前(フランス側)(2007.6.19)
▲大量の凍死の峠:
Col de la Traversetteトラヴェルセッテ峠頂上付近
峠頂上付近
峠の下り直下-1(イタリア側)
(2007.6.14)
峠の下り直下-2(イタリア側)(2007.6.14)
平原:王の平地Pian del Reピアン・デル・レー(2007.6.15)
Poポー川の平原に〜(2002.6.21)

 <その後のハンニバルと軍:年表>
<Agnel アニュエル峠説>
アニュエル峠ルート



⇒同左



























→Ville-Vielleヴィル・ヴィエイユから
St-Veranサン・ヴェラン-2(2002.6.20)
Pierre-Grosse/Fontgillarde〜(2002.6.21)


Agnel -Colアニュエル峠〜
 -2〜(2002.6.21)


←Poポー川の平原に
<Montgenevreモンジュネーヴル峠説>
モンジュネーヴル峠ルート


⇒同左























→Mont-dauphinモン・ド−フィネから
Brianconブリアンソン(1998.7.2)







Montgenevreモンジュネーヴル峠〜(2002.6.22)
Oulxウルクス〜Susaスーザ〜(2002.6.22)



(←クラピエ・ルートの:Susaスーザ付近へ)
<Larcheラルシュ峠説>
Larcheラルシュ峠


⇒同左



















→Espinassesエスピナスから

Barcelonetteバルスロネット(1998.7.2-3)









Larcheラルシュ村-2-1(2002.6.17-18)
Larcheラルシュ峠(2002.6.17)

Vinadioヴィナディオの村〜(2002.6.17)



←Poポー川の平原に

 ・・・このTraversette トラヴェルセッテ 峠のルートは「Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア(1955年発表)」、「John Prevasジョン・プレヴァス(1998年発表)」の推定ルートによっており、現時点の推定中、一番説得力のあるルート・峠と感じます。

[解説]:
ギャヴィン・デ・ビーア氏  ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア(1899-1972年)(1950-60年の大英博物館・自然史・館長)の、国境峠までの「渡った川、時間、風景等の検証」の現地状況は一致し説得力があります。しかし最後の国境峠の登り下りとも、あまりに厳しい地形の場所を通過したことになり、初冬の雪山の凍死で兵が半減したと考えると納得がいきます。『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 時任生子 訳 博品社(1996.3出版、思索社1991)


 ・John Prevasジョン・プレヴァス(登山家)も、候補峠をすべてルート・現地確認し、ここだろうとの見解を出しています。彼の解説のほうが文学的です。『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』John Prevas ジョン・プレヴァス著 村上温夫 訳 白水社 (2000.10出版)


 ・Agnelアニュエル峠のルートも、トラヴェルセッテ峠とほぼ同じルートで、展望・傾斜などを考えると第二の候補になっても良いと思われます。

関連サイトへのLINK、書籍名


■Clappier クラピエ峠 ルート説 (緑実線が推定ルート。右2つは類似した推定ルート、( )は取材日)


<Clappierクラピエ峠ルート説>


生誕〜進軍〜サン・ジル付近(2019.6.17)
ローヌ渡河(ボーケール〜タラスコン)(2019.6.17)
ローヌ川北上(〜アヴィニョン)(2019.6.19)
ローヌ川北上(〜オランジュ〜エーグ川〜)(2019.6.19)
ロリオルで、さらにローヌ川を北上(2019.6.19)
St.Jean-En-Royans付近でもまだ北上2002.6.12)
・Valenceバランスでイゼール川に沿う
Sassenage〜Grenobleグルノーブル〜(2002.6.7)
▲襲撃-1:
Chamrousseシャンルース(2007.6.8)
〜Montemelianの間?
St.Micael de Maurienneサンミッシェル・ド・モリエンヌ (1998.7.1)
Bramansブラマン(2002.6.24/2019.6.12)
▲襲撃-2:
Maurienneモーリエンヌ渓谷
(2002.6.24)
Col du Petit Mont Cenisプティ・モン・スニ峠(2019.6.12)
Pettit Mont Cenis小モン・スニ〜(2002.6.23)
▲大量の凍死の峠:
Col Clappierクラピエ峠
(2019.6.12)(2002.6.23)
Clapierクラピエ峠〜下る(想定)(2002.6.23)
グラヴェーレ村から見るクラピエ峠(2019.6.13)

Susaスーザ付近〜(2002.6.22)
Poポー川の平原に(2002.6.21)
<MontCenisモンスニ峠ルート説>







⇒同左










Bramansブラマン(2002.6.24/2019.6.12)からさらに上流に


Lanslebourg〜 (2002.6.23)




MontCenisモン・スニ峠下る〜 (2002.6.22)



←Susaスーザ付近へ
<Petit-St.bernard小サン・ベルナール峠ルート説>


⇒同左





→Vienneでジェール川〜


モン・デュ・シャ山(2007.6.7)


・Isere川上流に〜
Albertvilleアルベールビル(2005.9.21)〜Moutiers〜




Petit-St.bernard小サン・ベルナルド峠(1998.6.30)

La Thuileラ・テュイール(1998.6.29)
Aostaアオスタ/Pre.st.Didier(1998.6.29)
St.Niclasサン・ニクラス(1998.6.28)
Bardバール/Donnasドンナ(2005.9.10-11)
Pont Saint Martinポン・サン・マルタン(2005.9.10-13)
←Poポー川の平原に

wikipedia:Palazzo del Campidoglio (Capitoline Museum), Rome
【Hannibal Crossing the Alps; アルプスを越えるハンニバル(『detail from a fresco ca 1510):Palazzo del Campidoglio (Capitoline Museum), Rome』Wikipediaより
●このClappierクラピエ峠のルートは「Hermann Schreiberヘルマン・シュライバー(1985年)」の推定ルートによっています。以前はこのルートが有力と言われていましたが、現時点ではトラヴェルセッテ峠説ほどの説得力はありません。

[解説]:
HermannSchreiber  ・Hermann Schreiberヘルマン・シュライバー(文化史家)。クラピエ峠がモン・スニ峠より古い山越えの道で、ブラマンからは礼拝堂などの遺跡が多いとの解説。フランス側の登り道は無理はなく、イタリア側の下りは極めて厳しい場所を通過したことなど、説得力はある。しかし2回の奇襲ポイントが定かでないこと、近くの小モン・スニ峠をなぜ見つけられなかったかなど疑問点が多い。『Auf Romarstrasen durch Europa 古代ローマへの道』Hermann Schreiber ヘルマン・シュライバー著 関楠生 訳 河出書房(1989.2出版)

■クラピエ峠、小サンベルナール峠、大サンベルナール峠のルート関連


 クラピエ峠ルート、小サンベルナール峠ルート、大サンベルナール峠ルートの3ルートは、下図のようにMont du Chatモン・デュ・シャ山(1504m)付近で接近しています。以下はその付近についての調査紀行。

Mont du Chatモン・デュ・シャ山(1504m)〜Chamberyシャンベリー
【Mont-du-Chatを通過するルートを西上空から見る。遠方にフランス:イタリア国境がある。緑色:大サン・ベルナール峠ルート、黄色:小サン・ベルナール峠ルート、青色:クラピエ峠ルートがこの付近で交差する】
Mont du Chatモン・デュ・シャ山(1504m)〜Chamberyシャンベリー
【クラピエ峠ルート、小サンベルナール峠ルート、大サンベルナール峠ルートの接点はMont du Chatモン・デュ・シャ山(1504m)〜Chamberyシャンベリー付近】

 ・▲Mont du Chatモン・デュ・シャ山(2007.6.7)
 ・Chamberyシャンベリー(2007.6.7)
 ・Montemelianモンメリアン〜▲Cucheronキュシェロン峠展望(2007.6.8)

[解説]:
モン・デュ・シャ峠、シャンベリーのルートを推測した記述者と内容 (★太字はこの周辺)は以下のとおり。  1)記述者と発表年、2)川の名、3)登り始め、4)敵の町、5)進攻ルート、6)イタリアに出る峠

○1)J・A・ド・リュック(1818年)、2)イゼール川、3)★モン・デュ・シャ峠、4)レマンク、5)ウィーン〜サン・ジュニー〜ル・ブージェ〜★シャンベリー〜タランテーズ、6)小サン・ベルナール峠
○1)G・Lウィッカム+J・Aクライマ(1820年)、2)イゼール川、3)★モン・デュ・シャ峠、4)★ブールジェ湖、5)ブルゴワン〜★シャンベリー〜タランテーズ〜、6)小サン・ベルナール峠
○1)W・Jロー(1866年)、2)イゼール川、3)★モン・デュ・シャ峠、4)★ボルドー、5)ウィーン〜ブルゴワン〜★シャンベリー〜タランテーズ〜、6)小サン・ベルナール峠
○1)T・Aドッジ(1891年)、2)イゼール川、3)★モン・デュ・シャ峠、4)-、5)ウィーン〜★シャンベリー〜タランテーズ〜、6)小サン・ベルナール峠
  ■出典:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(p.135-138)

−−−
●私はハンニバル軍はこのモン・デュ・シャ山のルートは通過しなかっただろうと思います。
 過去の何人もの歴史家が、この山周辺を通過ルートとして選んだその理由は、
・「最初に襲撃を受けた場所・獰猛な山岳族アプロゲスに待ち伏せされ、2700人あまりの兵と8頭の象が死ぬほどの被害を受けた場所」が、見通しのいいイゼール川や、ローヌ川沿いには見つけられなかったため、道を間違えさせ進路をさえぎるこの山の麓に来させたのでは。
・しかしこの山付近を通過したとすれば、ハンニバルは兵の消耗が少ない低い鞍部「シャ峠(638m)」を選ぶはず。そしてその付近には、ハンニバル軍数万の兵を誘き寄せ、閉じ込め、多数の被害を出せるような地形はないことを、彼ら歴史家は現地調査していないのではないか。
 やはり、トラヴェルセッテ峠ルートの、断崖の下を行軍せざるを得ず、崖の上からの攻撃を受けやすい地形の「ガ渓谷」「グリモーネ峠」のほうに、はるかに説得力を感じます。

■ハンニバル・バルカとナポレオン・ボナパルト


 ハンニバル・バルカの戦法について研究した歴史上の人物はたくさん居ますが、ナポレオン・ボナパルトは明らかに研究し、実践に結び付け、自分こそハンニバルの生まれかわりだと思っていたふしがあります。
ナポレオン・ボナパルトとアルプスの峠 【戦法の研究、肖像画にハンニバル名を書き込ませた、ハンニバルの峠研究・・】
モンテノッテの戦いBattle of Montenotte/Colle di Cadibonaカディボナ峠【各種対比】


●YouTubeのハンニバル・バルカ 関連のビデオ/YouTube


 ○https://www.youtube.com/watch?v=O3UOiN4C3ec【ハンニバルのアルプス越え- 2/3】
 ○https://www.youtube.com/watch?v=gxTfVribo1Q【トラヴェルセッテ峠最有力:ドキュメンタリー】
 ○https://www.youtube.com/watch?v=FPJwlTy0gE8【Hannibal Barca, of Carthage - Crossing the Alps】
 ○http://www.youtube.com/watch?v=9ZzT1FVP_0A
 ○【YouTube:BBC:Hannibal映画予告】

 ○http://www.youtube.com/watch?v=MveyHX7fmfA
 【YouTube:BBC:Hannibal映画予告:Hannibal Barca 】

 ○YouTube内「 Hannibal 」で検索
ハンニバルと象の峠 紀行:INDEX
ハンニバルの通過した推定峠
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歴史的根拠
関連サイトへのLINK、書籍、ビデオ、You Tubeなど
Hannibal(イギリスBBC-DVD-CM)You Tube
ハンニバル研究家:村上温夫
Roman Gaul--Hannibal ガリア人(古代フランス)情報


大量山岳・凍死事件
http://en.wikipedia.org/wiki/Hannibal
Hannibal's route across the Alps
[ハンニバルが門前に来る]子供のしつけ文句[ブギーマン]


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[LINK/FAQ/情報提供]/ [フランス]/
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