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Glandage グランダージュ村

フランス:(26)ドローム県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

●2002/6/8土
 「ガ渓谷」の薄暗い谷間とトンネルをやっと抜け、その先に明るい村の遠景を見つけほっとします。Chateauシャトーという地名、あそこ見える大きな領主の城からとった名前でしょう。そしてその先に、Glandageグランダージュの村と教会が見えてきます。教会の敷地に駐車して・・・
【glandage00.jpg:Chateauと、Glandage遠景】


 今来た「ガ渓谷」の切り立った不気味な岩肌が見えています。回りを山に囲まれた静かな村です。峠にむかう街道に沿ってできた人家にも、牧草地にも人影は見えません。 歓迎してくれるのは人なつっこい犬だけ。・・・そして素知らぬふりのシャムネコ。

【59.jpg:教会から見る「ガ渓谷」の切り立った不気味な岩肌】


【83.jpg:グリモーネ峠への街道】


【j0.jpg:村の歓迎】



 道に沿った場所に立っている碑。「1914-1918/AUX ENFANTS DE GLANDAGE MORTS POUR LA PATRIE」
「第一次世界大戦/グランダージュ村の子供が祖国のために死んだ」・・・
(記念碑の両面に第一次世界大戦での死者31名と第二次世界大戦での死者4人の名前がある)
戦争に狩出され、オーストリア・バルカンの地で亡くなったのでしょうか。この村のわずかしかいない若者の死は、残った老人たちの希望をもぎ取ったでしょう。そして遺骨はこの教会の墓地に・・・

【a9.jpg:第一次大戦の碑】         【64.jpg:村の教会】


【a5.jpg:墓地への道】

 教会の入口を飾る石柱、アーチとの接合部、基礎部分、などの石の飾りは、普通の教会ではあまり見かけないものです。歴史を感じさせるもの・・・もしかするとケルトの時代からの?
【94.jpg:教会の入口を飾る石柱など】


Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Gorges-Gas」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Grimone」



【広域推定ルートの地図(緑ルート)】


<ここまでの経緯>
・カルタゴの軍は、この村の直前「ガ渓谷」で奇襲に会い、歩兵2千300人、騎兵400、象8頭を失った。

<この地のハンニバル>
・「Gorges des Gas ガ渓谷」を東に抜けたところにこの村はある。

・この地点を通過した行軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。

・ハンニバルが、このグランダージュ村を通過したのは紀元前218年10月12日頃。
  イタリア国境の峠越えまで残13日

・襲撃した山岳族アプロゲスの大半はハンニバルの軍に殺され、生き残ったものも敗走し、居住地に追い立てられた。



 紀元前218年10月なかば・・・
あの不気味に切り立った岩肌の渓谷の方面から、数万人もの軍と象がこの村に入り、そしてグリモーネの峠に向かっていきました。

 突然、その隊列のずっと後、渓谷のほうから、馬のいななき、象の雄たけび、そしてたくさんの男たちの悲鳴がこだましてきて・・・軍の中に大きなざわめきが流れます。
しばらくして、パニックになって走ってくる裸馬、逃げてくる兵士、象使いたちをふり切り 鼻をふり回す象、さらにぞくぞくとけがをした兵士。
数人で運んできたタンカの上、馬の背には、生き絶え絶えの戦士。この目の前の刈り取った後の牧草地は、それらの兵士たちで埋め尽くされたのです。

 そして、まだ渓谷に入る前の残りの兵士たちも、またいつ襲われるのかと不安な気持ちで、10kmほどの渓谷の薄暗い谷間を進みました。谷の下から聞こえてくる悲鳴や、動物たちの悲しい泣き声を耳にしながらやっと抜け、そしてこの明るい村を見つけほっとします。
生きのびた嬉しさを味わったでしょうか。あるものはふるさとに残した妻・子供・家族を思い、あるものは神に感謝したでしょう。

 ハンニバル28歳、はじめての大きな痛手を負ったのです。
部下の歩兵2千3百、騎兵4百、象8頭を、あの渓谷で死なせてしまったのです。
皆ハンニバルに従っていれば負けることはないという気持ちで、スペインの地から4カ月。一緒に行軍し、食をともにした部下でした。毎朝夕 作戦をともに立てていた隊長も、30人ほど到着しないのです。それぞれが約100人の部下を持つリーダーたちでした。

 指揮官として初めての大きな試練です。何をすべきかを悩み、そして老知恵者と相談します。
「何隊かを負傷者介護と、死者の弔いのためにこの地に残す。」 「他の部隊は、この先の山を越えた安全な地に進軍させ、1日の休息を取らせる。」と判断した可能性が大きいのです。

 今僕たちは奇襲現場の先の、この村にいます。この足元に多数の兵士、馬、象、そして軍の荷などが眠っている可能性が。
ここにカルタゴの祭壇、ケルトの墓などをつくり、目印の巨岩などの名前を後世に伝えようとしたのでは。
Glandageグランダージュ(Gland-age:古いどんぐり→Grand-age:大昔?)村、Grimoneグリモーネ(Grimoire:魔法使い?)峠、さらにはGasガ(Ga→Galleyガリア?)渓谷などという地名にその名は残っているのでしょうか?



より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
・ハンニバル軍と荷役の動物、馬の群れは、さらに東へグリモーネの峠を越え、Buechビュエチ川流域に向かう。(H-p77)


推定ルート
【グランダージュ周辺の推定ルート地図(緑ルート)】



BC3-4:首飾りのガラス玉
  『カルタゴ:BC3-4:首飾りのガラス玉』
女神エポナ:ガリア・ローマ時代
  『ケルト:女神エポナ:ガリア・ローマ時代』
古代ローマ:神殿
  『古代ローマ:神殿・石柱』

紀元前218年頃の宗教はどのようなものだったでしょう。
 (まだキリストは生誕していません)

・カルタゴの宗教(ハンニバルの母国)
  パレスチナ付近(旧約聖書のエリア)を祖先とし、チュニジアにあった国。
  海・貿易で栄えた国。
  バール・ハモン、女神タント:豊饒の女神・・・農業の神
  人身御供もあった
    『カルタゴ興亡史』松谷健二著 白水社1991.4


・ケルト人の宗教(アルプス地域の部族)
  迷信深い人々、自然界のすべてのことが神に結びついている。
   (この民族に文字がなく言葉で伝えてきたため、体系的な記録が残っていない。)
  地母神、部族神、主神群像、神聖動物、陣頭崇拝・・・・
    『ケルト文化誌』バリー・カンリフ著 原書房1998.11


・古代ローマの宗教(ポエニ戦争時代)
  古くから多神教。自然界に神が宿ると考え祭礼を行い、いけにえをささげた。
  農耕・牧畜にかかわる神=軍神マルス、天空の神ユピテル、かまどの女神ウエスタ、など。
    『古代ローマ:Newtonムック』アンソニー・ブリアリー著 教育者出版1996.9


  どの国も、多神教で、主に農耕にかかわる神を信じていたようです。


・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします

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 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)


<グリモーネ峠までは、なだらかな坂道です・・・・・>
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