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ここの旅館−−リシャール経営のレトアール−−は避けたほうがいい。リシャールは泥棒の本能を持っているように思われる。 ・・・・ 旅券にジョン・ラッセル(当時の外務大臣)という名前を見つけ・・・警察への届け書きに私の名前のかわりにジョン・ラッセルと書き入れてしまった。 ・・・・ そのためにひどく高い勘定書を突きつけられることになった。・・・あらゆる抗議をしてみたが結局は無駄だった。 ・・・・ 私は大嫌いなアブリエスを避けて、そこを通り越し・・・ル・シャルプの村で、干し草のなかにでも寝るつもりで歩きつづけていった。 『アルプス登攀記』ウィンパー著、浦松佐美太郎訳、岩波文庫(1936.5)上:p78- |
【Abriesでギル川は南東に方向を変える】 |
●「ハンニバルと象」がこのアブリエス(推定)を進軍した状況など−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Ville-Vieille/Aiguilles」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Ristolas」
約4カ月半前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム川〜デュランス川〜ギル」川をさかのぼる。案内人の計略で、「ケーラス」渓谷で崖の上から岩による大襲撃をされ、歩兵6千、騎兵7百、象6頭と今までにない多大の死者を出す。さらに多数の負傷者も。紀元前218年10月18日朝、「シャトー・ケーラス」を出発、「ヴィル・ヴィエイユ/エギーユ」を経由しこの地に。 <この地のハンニバル軍> 「ケーラス」渓谷で受けた地元部族からの大きな襲撃に対し、ハンニバルは反撃をせず先を急いだ。一刻も早く、雪と氷で閉ざされる冬のアルプスの峠を越え、イタリア・ローマに向かおうとしたためである。 この先の村の地元民も大量の軍に驚き、近くの山に隠れ軍が通り過ぎるのを待つばかり。ハンニバルの軍には今、この先の道を知るガイドがいない。・・・彼らはこのギル川をさかのぼるのが、イタリアに抜ける最短ルートと判断した。 アルプスの登り道から8日目。イタリア国境の峠越えまで残り7日。 軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。 ●前のポイント「Ville-Vieille/Aiguilles」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Ristolas」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
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