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8月14日の晩には、私はサンヴランの村にいた。・・・ 翌日私は谷を下ってヴィル・ヴィエイユに向かった。谷の向う岸にあるモリーヌの村の近くで、素晴しい自然の石柱を見た。その柱の形はシャンペンの瓶とよく似ており、高さは70フィートもあった。これは風雨の作用によってできたものだが、おそらくは主として雨の作用によってできたものであろうと思われる。 これは「斑レイ岩または異剥石のかたまりが崩れやすい石灰岩を保護している」(J・D・フォーブスの本による)例である。上に載っている黒ずんだ岩と、その下にある白い岩の柱の対照と、全体の形の特異さとが奇抜な見ものとなっている。 これらの自然の柱こそは、長い歳月にわたって黙々と働きつづける自然の力によって、どんな結果が作り出されるかを示す最も著しい実例なのである。 このような例はアルプスの他の地方だけでなく、世界のほかの場所でも眼にすることができる。 ヴィル・ヴィエイユの村では、「象」という看板を掲げた旅館が有名になっている。土地の郷土史家たちの意見によれば、ここに「象」の絵が看板として残っているのは、ハンニバルがギルの渓谷を通った証拠だというのである。・・・ 『アルプス登攀記』ウィンパー著、浦松佐美太郎訳、岩波文庫(1936.5) 上:p83- |
【Chateau-Queyras〜Ville Vieille〜Aiguilles〜Abriesと、St.Veran〜Izoard峠のルート】 |
【2000/11/07:romeosierraさん情報提供】 ・エドワード・ウィンパーの『アルプス登攀記』で、彼はMt.Visoに登る為にこの辺りを歩きまわっていて、同書にはCol de la Traversetteも、アルプスで一番高い村St.Veranも出てきます。その峠はイタリア/フランス間のルートとして当時(1860年頃)はかなりポピュラーだったと解釈できます。 ・同書によると、手前の分岐の村Ville-Vielleには『象:elephant』というはたごがあり、土地ではこの名前こそ、ここを象が通った、すなわちハンニバルが通った何よりの証拠、とされているそうです。私もこの9月にVille-Vielleには行ったのですが、はたご『象荘』の存在は確認できませんでした。 |
●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した状況など−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Chateau-Queyras城塞」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●最有力ポイント「Abries」 / ○可能性ポイント「St-Veran」
約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム川〜デュランス川〜ギル」川をさかのぼる。案内人の計略で、「ケーラス」渓谷で崖の上から岩による大襲撃をされ、歩兵6千、騎兵7百、象6頭と今までにない多大の死者・けが人を出す。 <この地のハンニバル軍> 「シャトー・ケーラス」に野営し軍を集合しなおし、体制を立て直した軍は、背後の族に対し反撃するのではなく、イタリア・ローマという敵に向かって紀元前218年10月18日朝出発する。「ギル」川の谷をさかのぼる。 アルプスの登り道から8日目。イタリア国境の峠越えまで残り7日。 軍の規模は、歩兵2.9万人、騎兵6.9千騎、象20頭。 ●前のポイント「Chateau-Queyras城塞」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●最有力ポイント「Abries」 注:(ここからSt-Veranサン・ヴェラン付近を経て、アニュエル峠越えを推定している説もあります) ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものがある。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
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