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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】

サン・ヴェラン村の彫刻

St. Veran サン・ヴェラン村(1)
  ・・・ヨーロッパで一番高い(?:2042m)ところにある村:Commune

ハンニバルの進軍状況 ・・・そして谷を隔てての眺めは抜群にいい村、しかし寒冷。 ・・・そんな大自然の環境に、6世紀の聖人の名前を冠し作られた、古い村と石の屋根の家々です。
フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     



 モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)の山懐の数日間、ゆっくりと疲れを取ったあと St. Veranサン・ヴェランの村に立ち寄って、Col Agnelアニュエル峠に向かいます。

 Ville Vieilleヴィル・ヴィエイユから南に向かうと、右手にLa Demoiselle Coiffeeの看板と、大きな石柱が見えます。さらに南下すると、アニュエル峠との分岐点、Molines-en-Queyrasモリーヌ・アン・ケーラスに到着です。ここはスキーリフトがたくさん、周りの山を見ながらのスキーシーズンはいいでしょうね。振り返ると見事な三角形の山がそびえています。イゾアール峠の東にあるGrd Pic de Rochebrune(3325m)でしょう。

【486.jpg:アニュエル峠との分岐点Molines-en-Queyrasモリーヌ・アン・ケーラス付近から、北北西を見る。
 ギル川の渓谷を越え、ブリアンソンとの境のIzoard峠の山岳方面を望む】



【493.jpg:この三角は、Grd Pic de Rochebrune(3325m)でしょう】


 サン・ヴェラン村への道は、養蜂牧場の看板のある緑の牧草地をいき、さらにいくつものカーブを登ります。Aigue川が削った広い谷の先には、見事な雪渓のある3000mクラスの山が日に輝いています。そして方向が変わると西の岩山も。
いくつかの新しいホテル(Logisロッジ、Chaletsシャレ、Gitesジッテ)が見え始めると、村の入口の駐車場です。


【177.jpg:Tete de Longet(3151m)の山と雪渓を右(南東)に。サンヴェランの村に登って行く。


【480.jpg:ジグザグに登るルートから見る、西側の岩山(2800mクラス)】


【184.jpg:老婆の木彫が観光客を迎える。木の彫刻の製品はこの村の特産です。】



 古い歴史ある村です。St.Veran聖ヴェランは6世紀の大司教・・・その名をとった村の建物は、歴史をそのまま残そうとしているのでしょうか。
 家々の石の屋根、木で張り出したバルコニー、石を積んだ壁・・・そして周囲の山々。

 そんな風景を見ながら、1861年8月のウィンパーにまた登場してもらいましょう。

 8月14日の晩には、私はサン・ヴランの村にいた。この村はネフの名によって有名であるが、その他の点では、ただヨーロッパで一番高いところにある村(海抜6,600フィート)という以外に何も特徴がない。

 現在この村にいるプロテスタントの人口は哀れなほど少数になっている。1861年には
780人のカトリックに対して僅か120人だということであった。村に一軒しかない貧弱な宿屋はプロテスタントの人が経営しているのだが、彼等がどんなに貧乏であるかということがよく分る。

 この宿屋には肉もなければ、パンもなく、バターやチーズもなかった。この宿で私が注文できたのは卵だけであったといっていい。夕食と、朝食と、それから宿泊料を合計した勘定が僅か
1シリング6ペンスであった。

  『アルプス登攀記 (岩波文庫) 』ウィンパー著、浦松佐美太郎訳(1936.5) 上:p83-



ネフ・・・ネフとはなんでしょう??宝石類?衣類?観光案内などにその名は出てきません。おわかりの人がいたら教えてください。・・NEF/NEFF? ヴァルド派に関連するか? Felix Neff(1798-1829) のことか?

ヨーロッパで一番高いところにある村(海抜6,600フィート=2042m)・・・St.Veran村の観光パンフにもそう書いてありました。しかしyukiさんから以下のことを教えていただきました。
 「http://myswitzerland.com/en/welcome.cfmのサイトを開いて、Juf (ユーフ村)でSearchしてください。すると、ヨーロッパで一番高い 通年定住の村はJufで2133mだとあります。確かに、こちらの方がが高いですね。(ちなみに、この村のことは佐貫亦男の本にも書いてあります。) きっとSt Veranが一番高いというには、何か理由があると思うのです。ある行政上のランク内でとか。いつか、St Veranの観光局に聞いてみるのもいいですね。」
 ・・・(The highest constantly inhabited village in Europe is Juf with a population of 30. Juf, located at an altitude of 2133 m.a.s.l. is in the Averser Valley, at the foot of the Septimer Pass and Mt. Staller.)
 ・・・スイスのJufユーフ村は、クール〜Thusis〜バス、車で行く村。Julier-passユリヤ峠歴史の峠:Septimer-passゼプティマー峠Maloja-passマロヤ峠の西にあります。

★★→各国別(アルプスエリア)とヨーロッパで、一番標高の高いところにある通年定住の村は?

当時の人口は、計900人・・・2002年の人口は250-270人ほどのようです。スキー客などの宿の収容能力は1800人ほどあるといいますから、観光を大きな収入にしている村なんですね。

1シリング6ペンス・・・今の価値でいくらぐらいなのでしょう?そして、シリングという単位はもうないんです?
(強引に今の価格で計算すると:1ポンド=240ペンス≒200円・・・・1シリング6ペンス=18ペンス≒15円・・・あまりに安い??)

 ■イギリスの通貨:
 ・ 1971年2月15日(十進法移行)後の通貨はポンド(£)、補助通貨単位はペンス(p)。£1=100p 。
 ・ それ以前は、12進法と20進法を組み合わせた1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンス(1ポンド=240ペンス)という複雑な通貨体系を持っていた。
  (これは古代ローマで重さ1ポンドゥスの銀から240個のデナリウス(Denarius)銀貨を作ったことに由来)
 しかし諸外国との通商にも支障が出るということで変更した。(ニュー・ペニーと呼ぶ)
 ・・・サマーセット・モームの作品「月と六ペンス」は、現在なら「月と十ペンス」とのこと(?)です。

関連URL:
 http://www.saintveran.com/・・・村のinfo
 http://www.altitude2040.com/・・・info
 http://www13.ocn.ne.jp/~uk_fan/jpage/library/lb_q020.htm・・・英国ファンのページ:豆知識
 http://wedder.net/coins/uk.html ・・・コイン・ミュージアム:月と十ペンス



【1a7.jpg:南西の斜面の岩に建てられたシャレ。干草置き場の屋根裏と、穀類を熟させるためのバルコニーが張り出している。】


【1d7.jpg:Tete de Longet(3151m)の雪山方面から、Aigue川(ギル川の支流)の流れ。】


【232.jpg:渓谷の南には3000-2600mクラスの山並みが続く。】

 
【242.jpg:石葺きの屋根は、アオスタを思わせる。】 【270.jpg:教会の塔は、村のどこからでも見える場所に】


【2d6.jpg:村の通り。昔の農工具など展示している古い木作りの建物。】

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Elephants

●ハンニバルと象がサン・ヴェラン(推定)を進軍した状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Ville Vieille」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「St-Veran2」





<ハンニバルのルートと、サン・ヴェラン、アニュエル峠について>
 ギャヴィン・デ・ビーア、ジョン・プレヴァス両氏とも、このルートについて有力とはしていません。が、以下のことから可能性のあるルートとして紀行を書きたいと思います。


 Ville Vieilleヴィル・ヴィエイユの村で、ウェンパーは「ハンニバルと象」のことに触れています(p85)。このことは今回の旅の記事をまとめる上でも嬉しくなります。当時も峠探しは皆さんの興味の的だったのですね。この村はサン・ヴランの村や、Agnelアニュエル峠への分岐の村です。

 GR58の1週間ほどのトレッキング途中の大学生とハンニバルの話をし、・・・彼は「Agnelアニュエルの峠は、ハンニバルの峠」だという話を聞いたことがあると言っていました。同じグループの男の子は「大昔の歴史で真実はわからない」などとクールなことを言っていましたが。

 ジョン・プレヴァスは、「・・・その谷を歩いていたとき、ここはハンニバルが通ったアニュエル峠だと書いた板が岩に打ち付けてあるのを見つけた・・・それを重要に考える必要はない・・・」と(J-p172)

 トラヴェルセッテ峠の下りルートについては、今回の旅で行っておらず、下りの多数の死者が出た状況がわからないこと。・・・など


<ここまでの経緯>
 約4カ月半前 スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム川〜デュランス川〜ギル」川をさかのぼる。案内人の計略で、「ケーラス」渓谷で崖の上から岩による大襲撃をされ、歩兵6千、騎兵7百、象6頭と今までにない多大の死者・けが人を出す。紀元前218年10月18日朝、「シャトー・ケーラス」を出発、「ヴィル・ヴィエイユ」を経由しこの地に。

<この地のハンニバル軍>
 「ケーラス」渓谷で地元部族の大きな襲撃に対し、ハンニバルは先を急いだ。一刻も早く、雪と氷で閉ざされる冬のアルプスの峠を越え、イタリア・ローマに向かおうとしたためである。

 この先の村の地元民も、大量の軍に驚き近くの山に隠れ、軍が通り過ぎるのを待つばかり。ハンニバルの軍に今、ガイドがいない。・・・彼らはこの「ギル川支流のAigue」川をさかのぼるのが、イタリアに抜ける最短ルートと判断した。 渓谷を出た後、標高も1500mを越え、気温が下がり、時には雪もようとなる。

アルプスの登り道から8日目。イタリア国境の峠越えまで残り7日。
軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。

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・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)
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<付近のWebサイトなど>
Saint-Veran付近のホテル検索
サン=ヴェランSaint-Veran付近のホテル検索

<村の教会と、礼拝所のある丘に登ってみます・・・・・>
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