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【1b5.jpg:北側斜面から、支流の谷を隔て、巨岩の上に築かれた城塞を望む】 |
●「ハンニバルと象」がこのシャトー・ケーラス(推定)を進軍した当時の状況など−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Queyras渓谷」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Ville Vieille/Aiguilles」
約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム川〜デュランス」川〜を経由し、「ギル」川をさかのぼってこの地に来る。 紀元前218年10月17日頃の午前中、ギレストルの町を通過。 この付近の部族の案内人の「東に行かなくてはイタリアには行けない」との説明など従い、ギル川をさかのぼって来た、が・・・それは計略だった。 軍が長く逃れ場所のないケーラス渓谷に入り込んだとき、突然攻撃が始まった。 地元の部族民数千人の、崖の上から岩と石の攻撃は、ハンニバル軍に多大の死者・けが人を出した。アルプスの登り道から7日目。イタリア国境の峠越えまで残り8日。 <この地のハンニバル軍> 逃げることしかできないハンニバル軍もようやく、死体・けが人・動物を踏み越えて、渓谷の前の広い谷に出てくる。 最後尾付近にいたハンニバルも、渓谷の後ろからの攻撃に対処しながらも10kmを越える渓谷を抜ける。そして川の正面に構えている、シャトー・ケーラスの大きな独立した岩山が見えた。 すでに夕暮れ。軍を集合しなおし、体制を整え、野営するには安全な地が必要であった。岩山の上に見張りと指令とかがり火を焚き、上流の比較的広い河原に軍を集め、さらに上流側に敵の襲撃に備える軍と見張りを置いた。 キャンプ地に大きな火が次々と燃え始める。各部隊はそれぞれに怪我の手当て、死者の確認などをしている。皆、昼から何も食べていない。しかし、かなりの食料も先の襲撃で失われたため、各自持参の非常食と、ギル川の水で・・・まず腹の足しにしたのではないか。 けがで遅れたものや、山などに逃れ迷ったものも、この山の上のかがり火を目印に順次集まってくる。 このケーラス渓谷に入ったハンニバル軍の歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭のうち、歩兵6千、騎兵7百、象6頭もの今までにない損害を出したのである。 −−− ハンニバル軍はこの地で野営。翌朝川にそってさらに東に「イタリアとの国境の峠」方面に向かう。 ●前のポイント「Queyras渓谷」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Ville Vieille/Aiguilles」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) ●(2005.11追記) 「Chateau Queyras , Aiguille , Col Agnel」に関するサイトで、次の古い金貨の映像を発見しました。 そこには『軍人が大演説し「大喝采」をあびる』図案があります。 まるでこの周辺をハンニバルが通過し、峠で部下たちに演説をしたかのような図柄です。 ○http://membres.lycos.fr/chrisdid/nousrecherchons.htm |
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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
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