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【combe-queyras00.jpg:渓谷をさかのぼる。両側から岩が張り出してくる。】 |
●「ハンニバルと象」がこのケーラス渓谷(推定)を進軍した当時の状況など−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Guillestre」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Chateau Queyras」
<ここまでの経緯> 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム」川を経由し「ガ」渓谷で奇襲に会い、歩兵2千300人、騎兵400、象8頭を失った。「ガップ付近〜デュランス」川をさかのぼり〜 この「デュランス」川源流付近の部族の案内人の「東に行かなくてはイタリアには行けない」との説明を受ける。保証のため、何人もの人質を取り、ギル川をさかのぼってこの地に差しかかる。 <この地のハンニバル軍> この地点を通過するハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。 紀元前218年10月17日頃、「Mont-Dauphinモン・ドーフィネ」付近を出、この渓谷の前に到着。アルプスの登り道から7日目。イタリア国境の峠越えまで残り8日。 軍がこの両側を岩山に挟まれた険しい渓谷に差し掛かったとき、疑義を感じたハンニバルは、前・後方の敵に対処できるよう隊の編成を変えた。先頭に騎兵と象を配置し、中に多量の荷や軽装備の兵など、最後尾には重装備の兵士を置き、ハンニバル自身も後尾で指揮をとった。 しかし、前回の「ガ」渓谷の奇襲時にそなえて取ったような、渓谷の両側の山の上への斥候の配備まではしなかった。多分それほど長い渓谷とは予測していなかったと思われる。
実は、2日前に友好の挨拶にきた地元の部族の長老らが先回りし、数千人の村落の部族民と計り、ハンニバル軍の膨大な物資・武器・食料・馬などを略奪しようとしたのである。道案内人、人質もその攻撃を受ける中に居たが、部族民はその犠牲を払ってでも得たかったほどの物資だった。 崖の上から、巨大な岩を大量に落とし、逃げ惑う人・動物に投石する攻撃が行われる。 前回の奇襲と同じように、またしても恐怖で荒れ狂う動物たちは暴れ回り、味方の軍隊を傷つけ、崖を落ちていく。あの強力なハンニバル軍にできることは、逃げまどうことと、石を避けながら岩山をよじ登って敵を槍・刀で殺すことのみ。 実質的にこの約4万もの軍にできたことは、死者・けが人を踏み越え、渓谷の前の広い谷に進むことのみだった。燦々たる光景と、谷全体に響く悲鳴がこの谷を埋め尽くした。 →ハンニバル軍はギル川にそってさらに東に逃げ、シャトー・ケラースに向かう。 ●前のポイント「Guillestre」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Chateau Queyras」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
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