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【29.jpg:教会のエンタシス柱の台座のライオン】

Guillestre ギレストリ・・・教会の台座のライオン。そして象の種類・戦いの歴史。

 この町は4年ぶり、旅のお礼に今回も16世紀の教会に。象には、アフリカ象・マルミミ象・インド象が。象を用いた当時の戦闘の歴史。 街のmap
フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

 Guillestreギエストルの街に来たのは2回目です。4年前、Izoardイゾアール峠から南下して、この街を散策し、お茶したのです。 青銅器時代(リグリア人、ゴール地方)の居住の遺跡も見つかるほどの歴史ある街です。

 そして前回、この街・教会に来て資料調査したことなどがきっかけで・・・2200年以上前の歴史事実・・・「ハンニバルが象と越えた峠」を探そうとしました。何冊もの本を見つけ、有力な峠越えのルートを見つけ・・・やはりこの街もそのルートにあることを知ったときから、峠ドライブの楽しみも増えました。

 Eglise(エグリース=教会)のエンタシス状の柱、天井のカーブ、それを支える台座のライオン・・・16世紀に建てられた歴史ある教会です。旅のお礼に今回も寄っていきましょう。

   
【左から:guillestre24.jpg:Eglise教会、32.jpg:エンタシス状の柱、天井のカーブ、39.jpg:教会の入口】

 海抜1100mほどのこの街も、日中の暑さは強烈です。でも一歩教会内に入ると、ステンドグラスからの光と、わずかの照明の教会内部はひんやりとした空気を感じます。Claustra(クロストラ)とありますから修道院なのでしょうか。Ste Elisabeth de Hongrie・・・1231年に聖女になったのでしょうか?

   
【左から:41.jpg:教会内部のステンドグラス、47.jpg:同、44.jpg:聖母像、43.jpg:像の説明】


 そして、Jeanne d'Arcジャンヌ・ダルクの像です・・・教会でジャンヌ・ダルクはあまり見たことがありません。・・・調べるとフランスの守護神になっているのですね。・・・でもこの地とジャンヌ・ダルクはとくに関連はなさそうです。

ジャンヌダルクの進路
【100年戦争当時の各葉の勢力図とジャンヌダルクの進路】
Jeanne d'Arc:ジャンヌ・ダルクについて
  • 1412年:仏、東部のシャンパーニュとロレーヌ地方の境、ドンレミ(ヴォークルールまで20km)で生まれる。
  • 1429年:英仏間の100年戦争(1338-1453)に、オルレアンでの戦いでフランスに勝利をもたらす。
  • 1431年5月30日:奇蹟としか表現できない事態が突如として現われたことから、異端者/魔女/邪宗/背教/偶像崇拝者などの嫌疑で裁判にかけられ、ルーアンの「旧市場」広場で異端再犯者として火あぶりの刑に処せられる。
  • 1449年:異端裁判で処刑裁判の無効を宣言。復権。
  • 1869年:ジャンヌの列聖を申請。以降田舎の教会などに肖像が飾られるようになった。
  • 1920年:ジャンヌ・ダルクはベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となった。フランスの守護神と列せられる
<参考資料、URL>


【52/50.jpg:Jeanne d'Arcジャンヌ・ダルク、旗を持つ像】




 街のインフォメーションに寄って、旅の直前に得た情報「イタリアに向かうAgnelアニュエル峠 は閉鎖中」が、その後開通しているかを問い合わせます。・・・冬の雪害での閉鎖は、数日前に開通したとのこと、OKです。

 ハンニバルの越えた峠の有力ルートのひとつ「Traversetteトラヴェルセッテ峠」は、この街からGuilギル川にそってさかのぼりモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)山の近くです。山の中に入っていきますから、この街で非常食のパンや果物なども買って行きます。

 ちょっとその前に・・・ものすごい暑さなので、この広場でアイスクリームを1本・・・・


【58.jpg:ギエストル旧市街のGalAlbert広場】

<Guillestreの街は4回も・・●1998.7.2、 ●2002.6.18、 ●2010.6.20、 ●2019.6.22

Elephants

●「ハンニバルと象」がギエストル(推定)を進軍した当時の状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Embrun〜Mont-dauphin」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Queyras渓谷」




【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)、本来の希望ルート(緑点線)】



より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
<ここまでの経緯>
 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム川〜デュランス」川をさかのぼる。
「Mont-Dauphinモン・ドーフィネ」で、軍は北の「ブリアンソン」への道を取らず、地元のガイドの案内で、東に「ギル」川にそってこの地に差しかかる。

<この地のハンニバル>
 通過するカルタゴ軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。

 「Embrun〜Mont-Dauphin付近」でキャンプを張り、紀元前218年10月17日頃にこの地へ。アルプスの登り道から7日目。イタリア国境の峠越えまで残り8日。

 この付近の部族の案内人(注)を連れ、食料も得て大きな問題もなく進んでいく。

 (注:前々日「Espinassesエスピナス」付近で、地元の部族の長老らが友好のしるしを持って挨拶に来た。そして山への道案内人と食料を提供したいと申し入れる。ハンニバルは、人質を差し出すことを条件に受け入れた。)



●ハンニバルの象の種類など
3種の象と馬の大きさ
 【3種の象と馬の大きさ(肩高)】
   貨幣のアフリカ象    貨幣のアフリカ象・象使い    貨幣のインド象
 【左:カルタゴの貨幣に描かれたマルミミ象、中:象と象使い(BC220年)、右:エトルリアの貨幣のインド象(BC217年)】

 ハンニバルは40頭ほどの象を率いて戦いに出ましたが、その象の種類は、マルミミ象(アフリカ象の亜種)と、インド象と想定されている。

<象の種類と特徴>
・アフリカ象:肩高3-3.5m、重さ6-7.5ton・・・耳大きい、背中の中央低い、アフリカ・サハラ砂漠の以南のサバンナに住む。

・マルミミ象(アフリカ象の小型の亜種とも言われる):肩高2.1-2.4m・・・耳はアフリカ象の1/2、西アフリカの森林に住む。

・インド象(アジア象):肩高(雄)2.7-3m、重さ4-5ton・・・耳はアフリカ象の1/3、背中丸い、アジア南部。

 貨幣に刻まれた象の大きさなどから、ほとんどはマルミミ象(アフリカ象の小型の亜種)。そして数頭のインド象がいたようである。最後まで生き残ったハンニバル乗用の象「スールス(シリア人)」はインド象とされる。

 象の平均寿命は50-70歳。おとなしく、アフリカ象といえども凶暴ではなく(雄の発情期は危険)、象使いの指示で家畜や軍役に用い得た。馬(肩高1.2-1.7m)での戦いにも、象は高く巨大なため、敵を威嚇するためにも有効であった。

<象を用いた当時の戦闘>
・BC4世紀、ペルシャ王バーレイオスは「インド人にならって、象を兵器にはじめて使った司令官」といわれる。
・BC326、「巨人王ポールス」は大象に乗り、300頭もの象を駆使してアレキサンドロスを悩ませた。
  アレキサンドロス大王は、インド象をエジプトに連れ帰り定住させた。さらにアフリカ象も捕らえ馴らすようになった。
・BC321-312、プトレマイオス1世は、ペルディッカスの軍象を何頭か捕らえた。ガザで象43頭を捕らえる。
・BC280、ピュルロスがローマに侵攻、象20頭を用いた「ヘラクレアの戦い」。
・BC246-241、プトレマイオス3世は第3次シリア戦争でセレウコスを破り、多数のインド象を手に入れた。
・BC217、「ラフィアの戦い」でエジプト軍(マルミミ象=アフリカ象の小型の亜種=73頭)と、シリア軍(インド象102頭)
  が戦う。エジプト軍(プトレマイオス2世)が勝ち、インド象を入手、ハンニバルに贈った。

 このように、当時の戦いで象を用いることは珍しいことではなかった。
ただ、戦いで狂いたった象は、敵・味方双方に害を与えたため、アレクサンドロスなどは自軍に象部隊を使わず、荷役のみとしていた場合もある。

−−−
  →ハンニバル軍はギル川にそってさらに東に、Queyrasケーラス渓谷に向かいます。
 ●前のポイント「Embrun〜Mont-dauphin」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Queyras渓谷」

・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)
 ・實吉達郎著『アフリカ象とインド象』光風出版1994.10   など


<ケーラスの渓谷に入っていきます。長い狭い谷です・・・・>
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