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<モン・ドーファンMont-Dauphin>・17世紀、ルイ14世に寵愛を受けた技術者ヴォーバンが手がけた、城壁に囲まれた要塞の町。現在の人口約140人。・2008年年7月、世界文化遺産に登録。町の美しさ、眺めも実に素晴らしい。 ○http://www.mont-dauphin.com/【Mont-Dauphin】 ○http://fr.wikipedia.org/【Mont-Dauphin】 ○http://www.linternaute.com/【城砦】 |
●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。●前のポイント「Poncon湖」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Guillestre」
約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川〜ドローム川を経由し「ガ渓谷」で奇襲に会い、歩兵2千300人、騎兵400、象8頭を失った。ガップ付近を経て、デュランス川をさかのぼりこの地に。 <この地のハンニバル> この地点を通過するハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。 紀元前218年10月16日頃にこのEmbrun〜Mont-Dauphin付近でキャンプを張ります。アルプスの登り道から6日目。イタリア国境の峠越えまで残り9日。 デュランス川上流の比較的幅の広い河川敷。見通しのよい土地で安全に軍を率いていくことができます。 この付近の部族の案内人(注)を連れ、食料も得て大きな問題もなく進んでいきました。 (注:前日Espinasses付近で、地元の部族の長老らが「枝と花輪」(友好のしるし)を持って挨拶に来ます。そして自分達はアルプスのイタリアへの峠付近の代表者であり、アルプロゲス族のように刃向かって占領されるようなことはしたくない。山への道案内人と食料を提供したいと申し出ます。ハンニバルも懐疑的には思いますが、道案内と食料の必要性などから、人質を差し出すことを条件に受け入れます。) ●ここMont Dauphinモン・ドーフィネ付近で、ハンニバルはまたも判断を誤ります。 この付近から道は、二手に分かれます。 (1)北へBrianconブリアンソンへの、デュランス川の広い谷を経由し、Montgenevreモン・ジュネーヴル峠道を経てイタリアに向かう道。 (2)東にGuilギル川に沿い、Guillestreギレストル経由、Traversetteトラヴェルセッテ峠を越えてイタリアに抜ける道。
(1)の北に行く道は、 ・デュランス川の谷は幅も広いのです。↑の[mont-dauphin18.jpg] ・↓[Alps-Flight]の写真で、上空からみても広い谷です。 ・「古代ローマの道」として、このあと200年ほど後では頻繁に使われる道。 →右のMontgenevre峠経由のルートを参考に。 ハンニバルの当時でも、(2)よりはるかに容易に通行できたはずのルートです。 が、なぜこの(2)の困難な道を選んだのでしょう。 (1)の北に向かうべきとは思っていたが、 「そこにはローマ軍が待ち構えているのでは」の懸念。 「地元の部族の長老=この付近の部族」のたくらみ、そしてその指示による案内人の謀略。 などが考えられますが・・・ 多分、案内人の「北はケルト(ガリア)の他の部族への道で、東に行かなくてはイタリアには行けない」との説明に不審に思い、何度も問い詰め(人質も盾に)・・・そして警戒は怠らずに(2)の東に向かったのでしょう。 この判断で、ハンニバル軍は多大な損害をこうむるのです。 →ハンニバル軍はギル川にそって東に、→「Guillestre」ギレストル方面に進んでいきます。<2002年の取材情報に戻ります> ●前のポイント「Poncon湖」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Guillestre」 注:(Briancon ブリアンソンを経て、Montgenevreモンジュネーヴル峠に行くルートを推定している説もあります) ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) ・Hermann Schreiberヘルマン・シュライバー『古代ローマへの道』関楠生訳:河出書房1989.2 |
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