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参考資料: アースダム(土を積み上げた構造のダム)。 ほとんど垂直で、土の構造とは信じられないのですが、耐水の粘土と、上流側表面を不透水性のコンクリートと粘土を混ぜたもので覆っているのだそうです。素晴らしい技術です。そして大量の水はダムの上部を越えて放流されるのだそうです。 ○https://fr.wikipedia.org/wiki【Serre-Ponconダム】 →Mont-Cenisモン・スニのダムも参考に |
●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。●前のポイント「Espinasses」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイントEmbrun〜Mont-dauphin
<ここまでの経緯> ・〜Gapガップ〜Espinasses〜と行軍した軍は、デュランス川にそってこのSerre-Ponson(今は湖ですが)をさかのぼります。 <この地のハンニバル> ・この地点を通過したハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。 ・紀元前218年10月16日頃にこの河原を進軍。アルプスの登り道から6日目。イタリア国境の峠越えまで残り9日。 ・デュランスの幅の広い河川敷。今ダムがある場所が唯一狭くなっていますが、それ以外は見通しのよい土地。安全に軍を率いていくことができます。 ・Espinasses付近で、挨拶に来た部族の道案内人を受け入れ、食料も得て大きな問題もなく進んでいきました。 −−−−−−−−−−−−−
もしかするとハンニバル軍のルートは、Gapガップからここポンソン湖に向かって真っ直ぐ来たかもしれません。どちらの可能性が強いか? (1)Gapガップ→丘越え→Embrunアンブランのルート ・直線であり、カルタゴが負けた以降、イタリア〜スペインのMontgenevre峠経由の 「古代ローマ」の道がGapガップを通っていた可能性がある。 ・今、国道ルートが走っている。 (2)Gapガップ→デュランス川・Espinasses→Embrunアンブランのルート ・丘の道を行くより、デュランスの河原を進むほうが楽。 ・Gap付近からNiceニースに向かうローマ道があり、この場合はEspinasses で分岐するほうが説得力がある。 −−−−−−−−−−−−−− →ハンニバル軍は、デュランス川(現在Ponconポンソン湖になっている河川敷)にそってさかのぼって行きます。 →Embrunアンブラン→Mont Dauphinモン・ドーフィネ<1998年の取材情報です>へと向かいます。 ●前のポイント「Espinasses」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイントEmbrun〜Mont-dauphin 注:(バルスロネットを経て、ラルシュ峠に行くルートを推定している説もあります) −−−−−−−−−−−−− ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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