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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
●モン・スニ峠、国境、ダムについて 今、このモン・スニ湖付近のフランスとイタリアの国境は、峠からイタリア側に直線で約7kmほどずれています。ヨーロッパアルプスのほとんどの国境は、分水嶺・峠が境です。この場所の歴史はどのようなものだったのでしょう?
・1939-1945年:第二次世界大戦 (当時のフランス・イタリア国境周辺の戦いの変遷・・・ラルシュ参照) ・1947年2月10日:フランスとイタリアは和平条約を結ぶ。第二次大戦のモン・スニ峠での停戦ラインにそい、この領域はフランスになる。 同時に、ダム構築の方針と水資源の共有(フランス=270、イタリア=51:百万立方m)が定められた。 ・1962年:ダム工事開始、1969-1970年:貯水を開始-満水になる。 ・フランス側の発電設備は、Villarodin(ダムから直線約15km。Modaneモダーヌの約3km東)にありトンネルで通水している。 ・イタリア側はVenalzio(ダムから約10km。Susaスーザの約3km北)にある。水利権の比率で分水して利用している。 (モンスニの水は本来DoraRipariaドーラリパリア-Poポー川に行くべきを、このフランス側への分水でArcアルク-Isereイゼール-Rhoneローヌ川に流している。) 参考URL: ・http://www.ac-dijon.fr/ モンスニの歴史 ●ヨーロッパ・アルプスのエリアで、分水嶺・峠と国境・ダムなどに差がある場所は、 ・イタリアのフランス国境=モン・スニ峠 ・イタリアのスイス国境=シンプロン峠、テチーノ地域、ブレガリアの谷、ポッシアーヴォ谷、ミュスタイヤの谷一帯 ・イタリアのスイス国境で、ダム関連=Lei湖、Livigno湖 ・イタリア・オーストリア・スロヴェニア3国国境 ・イタリアのスロヴェニアのユリアン・アルプスの西側一帯 ・スイスとオーストリアのフォワーアールベルグ一帯 などに大きな差があることに気づきます。 ・・・・>「峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史」に順次整理していきたいと思っています。 それぞれの場所が、長い歴史の中で水資源・領地争いなどをしてきたのでしょう。 (各地点の国境移動の歴史などは、今後順次調査し整理ていきたいと思います。皆さんからの情報もお願いします。) |
<付近のWebサイトなど> ☆モンスニ峠付近のホテル検索 ☆モンスニ峠付近のホテル検索 |
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Kompass社の地図
・紀伊国屋で[洋書 Kompass Karten] のキーワードで検索) |
●イタリア・トリノ:2006年冬季オリンピック関係 |
●ハンニバルと象はこの「モン・スニ峠」(推定)を進軍したか?−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「ローヌ川〜イゼール川〜アルク川」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」
ここの勾配をグラフにして見ます。当時ここに湖は無かったことから、峠の頂上から7km先までを1Kmごとに平均的な傾斜を推定しました。高度も無く、比較的なだらかな峠です。 イタリアに向かっての下りの行軍で、ハンニバル軍は 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのです。「凍死」が原因と考えられますが・・・ ・この道は古代ローマの以前からも峠道があった可能性があります。 ・イタリアを見下ろすすばらしい展望はそれほどありません。 ・標高がそれほど高くなく、9〜10月に雪で遭難するほどの積雪はありません。 これらの状況からみて、この峠を通過した線は薄そうですね。
【黒実線:峠前後5kmの川に沿ったルートと高度。(当時湖は無かったので、平均的傾斜とした)】 ●クリックで拡大します ●前のポイント「ローヌ川〜イゼール川〜アルク川」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page) |
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