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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】

モン・スニ峠のレストラン

Mont Cenisモン・スニ峠(2):湖・峠(2083m)
 ・・・1947年この地はフランスに組み込まれました  【
●峠のDBへ

ハンニバルの進軍状況  第二次大戦で負けたイタリアは、この地と、水の利権をフランスに渡します。地形上の分水嶺の反対側に水は流され・・・フランスの発電と水資源のために・・・


 まだ峠に到着していないのにフランス領です。右に急な岩肌、その下に小さなダムと、発電設備が。さらに前方には丘のような、なだらかな斜面が見えてきます。この丘を何度かのヘアピンで登っていくと・・・これがダムの壁面だということがわかります。
 こんなふうに岩石・砂利・砂・土などを使用するのを「フィルダム」(岩石が主だとロックフィルダム、土が主だとアースフィルダム)。直下に見た小さなダムは「重力式コンクリートダム」というようですね。  (セール・ポンソン湖のダムも参考に。・・・資料:ダムのマメ知識

 そしてやはり、この付近は第二次大戦まではイタリア領だったのです。今ではこの大地ばかりか、水資源までもがフランスに渡りました。・・・激しい戦闘(●第二次世界大戦とフランス南東部・イタリア北西部=国境周辺の状況・・ラルシュ参照)・・停戦ライン・・領土移譲・・ダム建設・・水の争いは、本当にまだ最近まで続いていたのですね。

 
【1a3.jpg:フランスに入ってすぐに小さなダムがあって】 【1c7.jpg:正面の平原状態に見えるのはダムの盛り土。その先にPnte-De-Ronce(3612m)の西の稜線の山並が見え始める】


【200.jpg:ダムの壁面をジグザグに登っていく。上に見える岩山はMt.Lamet(3504m)などでしょう】


【214.jpg:モンスニのダムサイトが見えます。ダムのむこうにはSignal-Du-Petit-Mont-Cenis(3162m)。その右肩にはVanoiseヴァノワーズの雪山も。モン・スニの峠は湖のはずれにあるのです。】

●モン・スニ峠、国境、ダムについて

 今、このモン・スニ湖付近のフランスとイタリアの国境は、峠からイタリア側に直線で約7kmほどずれています。ヨーロッパアルプスのほとんどの国境は、分水嶺・峠が境です。この場所の歴史はどのようなものだったのでしょう?

国境線と分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺。モンスニ湖の水は、本来イタリア側に
流れるはずが、水利権・発電のためほとんどをフランス側に分水している】

・1912年:モンスニ峠のイタリア側に小さなダムが作られ、1921年:発電所も作られた。

・1939-1945年:第二次世界大戦 (当時のフランス・イタリア国境周辺の戦いの変遷・・・ラルシュ参照)

・1947年2月10日:フランスとイタリアは和平条約を結ぶ。第二次大戦のモン・スニ峠での停戦ラインにそい、この領域はフランスになる。
 同時に、ダム構築の方針と水資源の共有(フランス=270、イタリア=51:百万立方m)が定められた。

・1962年:ダム工事開始、1969-1970年:貯水を開始-満水になる。


・フランス側の発電設備は、Villarodin(ダムから直線約15km。Modaneモダーヌの約3km東)にありトンネルで通水している。
・イタリア側はVenalzio(ダムから約10km。Susaスーザの約3km北)にある。水利権の比率で分水して利用している。
 (モンスニの水は本来DoraRipariaドーラリパリア-Poポー川に行くべきを、このフランス側への分水でArcアルク-Isereイゼール-Rhoneローヌ川に流している。)

 参考URL:
 ・http://www.ac-dijon.fr/ モンスニの歴史


●ヨーロッパ・アルプスのエリアで、分水嶺・峠と国境・ダムなどに差がある場所は、
・イタリアのフランス国境=モン・スニ峠
・イタリアのスイス国境=シンプロン峠、テチーノ地域、ブレガリアの谷、ポッシアーヴォ谷、ミュスタイヤの谷一帯
・イタリアのスイス国境で、ダム関連=Lei湖、Livigno湖
・イタリア・オーストリア・スロヴェニア3国国境
・イタリアのスロヴェニアのユリアン・アルプスの西側一帯
・スイスとオーストリアのフォワーアールベルグ一帯  などに大きな差があることに気づきます。

  ・・・・>「峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史」に順次整理していきたいと思っています。
 それぞれの場所が、長い歴史の中で水資源・領地争いなどをしてきたのでしょう。

(各地点の国境移動の歴史などは、今後順次調査し整理ていきたいと思います。皆さんからの情報もお願いします。)

 ダムサイトで昼にします。見事な青空、汗ばむほどの気温。パラソルの黄色が、そしてその日陰がお客を呼んでいます。ここに冷たいビールがあると最高なんですが・・・今飲むと運転が・・・。
 あの緑の丘の斜面を登っている人が何組も見えます。旧イタリアのFort(堡塁:トーチカ)があるようです。その当時はここにモン・スニのダム湖はなく、ずっと下に渓流が流れていて・・・


【247.jpg:ダムサイトのレストランで。建物の左にはCime-De-Bard山3168m)などどイタリア国境の山】


【257.jpg:そして山側は、左にPnte-De-Ronce山(3612m)、右にMt.Lamet山(3504m)。丘の中腹には旧イタリアのトーチカのようなものが見える】

 
【222/234.jpg:素晴らしい快晴のPnte-De-Ronce山(3612m)を見ながら昼食】


 Petit-Mont-Cenis小モン・スニ峠への分岐点です。(この映像は午後になって再度来たときのもの。雲がかかり始めています) 明日、この未舗装道路で走れるところまで車で行って、その先散策します・・・クラピエ峠への道はどのようなところかと。

 ダムがなかったとき・・・つい40年ほど前まで・・・旅人はここから谷に下って行ったんですね。
紀元前207年、ハンニバルの援軍として弟のハスドルバルが、多分この峠を、やはり象を連れてアルプス越えしたんですね。が、メタウルスでローマ軍に破れ、その首だけがハンニバルに届けられたのです。・・・ウィンパーもここに何度も来ていますね・・・他にもたくさんの旅人が登り下りしていたのですね。


【447.jpg:湖の西側からの眺め。左にRocciamelone(3538m)の雪山と、右Cime-De-Bard山3168m)】


【439.jpg:左からCime-De-Bard山3168m)など、Petit-Mont-Cenis峠への道、Signal-Du-Petit-Mont-Cenis(3162m)の山並】



 分岐から間もなく2083mの峠です。北にヴァノワーズの山並が見えています。素晴しいのです。この下の谷に2泊宿を取り、この峠を5回通過しましたが、いつもこの付近ではワクワクしました。朝日・夕日それぞれの景色には感動です。

そしてある時には、あの右に見える礼拝堂の脇に、サマーベッドで裸で太陽を浴びる・・・若い娘たちもいて・・・


【280.jpg:モンスニ峠から南の湖方向を見る】


【270.jpg:モンスニ峠から北にヴァノワーズの山を見る】

<付近のWebサイトなど>
モンスニ峠付近のホテル検索
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<関連書籍・地図>
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●イタリア・トリノ:2006年冬季オリンピック関係



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Elephants

●ハンニバルと象はこの「モン・スニ峠」(推定)を進軍したか?

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「ローヌ川〜イゼール川〜アルク川」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」





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 紀元前218年秋「ハンニバルと象がこの峠を越えた」とする推定もあります。 ・・・(トラヴェルセッテ峠や、アニュエル峠の確率のほうが高いのですが)・・・・

 ここの勾配をグラフにして見ます。当時ここに湖は無かったことから、峠の頂上から7km先までを1Kmごとに平均的な傾斜を推定しました。高度も無く、比較的なだらかな峠です。
 イタリアに向かっての下りの行軍で、ハンニバル軍は 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのです。「凍死」が原因と考えられますが・・・
 ・この道は古代ローマの以前からも峠道があった可能性があります。
 ・イタリアを見下ろすすばらしい展望はそれほどありません。
 ・標高がそれほど高くなく、9〜10月に雪で遭難するほどの積雪はありません。
これらの状況からみて、この峠を通過した線は薄そうですね。


【Traversette峠と、MontCenis峠の
「地形の勾配」】
●クリックで拡大します
  
  【黒実線:峠前後5kmの川に沿ったルートと高度。(当時湖は無かったので、平均的傾斜とした)】
    ●クリックで拡大します




 ●前のポイント「ローヌ川〜イゼール川〜アルク川」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」
・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page)
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<モン・スニ峠の北側展望台・・・スニ渓谷の全貌と、ヴァノワーズの山々・・・すばらしいのです・・・・・>
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