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峠・国境・ダムが入り組んだ場所

峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史

 ヨーロッパアルプスのほとんどの国境は、分水嶺・峠が境です。ところが「峠・国境・ダムなどが入り組んでいる場所」がいくつかあって、その歴史などを順次整理していきたいと思います。
 それぞれの場所が長い歴史の中で、領地争いなどをしてきたのでしょう。



大・分水嶺と国境の関係》
<東の国境線(スロヴェニア:イタリア) → 西の国境線(フランス:イタリア)>


スロヴェニア内の分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺。
 イタリア国境と大きくずれている】
●スロヴェニアのユリアン・アルプスの西側一帯は、分水嶺的にはイタリア側。

 ・・・ハプスブルク領 →第一次大戦後イタリア領 →第二次大戦後ユーゴに →スロベニアに 紀行を参照




tarvisio-border-map ●イタリア・オーストリア・スロヴェニア3国国境:TarvisioのSella Neveaの東付近→水はDrauドラウ川→ドナウ川に流れる。
・分水嶺から10kmほどオーストリア側に。

セッラ・ネヴェーア峠 第一次大戦後の分割 参照

・(第一次世界大戦後(1920年)、敗戦したオーストリアは何箇所ものエリアをイタリア、ユーゴスラビアに渡しましたが、その時点でTarvisioタルヴィジオ付近が分水嶺を越えてイタリアに割譲されています。



【赤の点線は地形上の分水嶺。
 国境がオーストリア側に食い込んでいる】
●イタリアのValley of Sesto/Sexten Dobbiaca峠(1170m)Kreuzberg峠(1636m)付近
・Valley of Sesto/Sexten、San Candido/Innichenの東のVal Pusteria (PustertTal)の水はDrauドラウ川→ドナウ川に流れる。
・オーストリア南部Lienzリエンツから、国境を越えてイタリア北のToblach/Dobbiacaトブラッハの間に、Dobbiaca峠(東へDrauドラウ〜ドナウ川、西へRienzaリエンツァ〜アディジェ川〜アドリア海に)がある。大・分水嶺は国境のから東へ約10kmにある。
(第一次世界大戦後(1920年)の敗戦国オーストリアから、イタリアへの割譲時、このエリアが分水嶺を越えてイタリアに渡されたと思われます)

・分水嶺そのものは峠といえるほどのものでもなく,自転車で通っても気づかないくらいでした。むしろオーストリア側のシリアンの町の近くは谷の幅も狭く,山肌には古城や砦が,道端には木組み屋根つきの古い橋が保存されていたりして,ここに関所を置いて通行税を取るには好都合と見受けられました。

・シリアンの町に関所機能があったかどうかは定かでないですし,それがそのまま現在の 国境線に置き換わったとするのは虫のいい見方だとは思います。でも,分水嶺よりも その先の地形が険しい谷間に関所を置いたり,辺境防衛の前線基地を置いたということは考えられなくもない。非武装地帯,という考え方もあったかもしれません。 実際は谷の両サイドの力学も作用したでしょうから,コトは単純には行かないとは思いますが...(kondoさんから)
・・・検討課題です・・・
 北チロル、東チロル、南チロル(アルト・アディジェ州)の経緯【Defereggental デフェレッゲン渓谷】
 Passo Monte-Croce di Comelicoモンテ・クローチェ・ディ・コメリコ峠
 Sillian オーストリア〜イタリア国境の村
 Misurina-1 ミズリーナ湖へ


Ofenpass(Pass dal Fuorn)オッフェン峠の東 ●スイスのミュスタイヤの谷一帯は、Ofenpass(Pass dal Fuorn)オッフェン峠から東に約15km、イタリア側に食い込んでいる。

 なぜ・・・?
 Ofenpass / Pass dal Fuorn オッフェン峠


Livignoリヴィーニョ一帯 ●イタリアのLivignoリヴィーニョ一帯は、大分水嶺的にはスイス領。(ダムの水はスイスに向けて流している→イン川→ドナウ川に)。

 ・・・なぜ、イタリア側に?水はダムの利権の契約などでカバー?
 Passo di Foscagnoフォスカーニョ峠(2291m)


ポッシアーヴォ谷の地域 ●スイスのポッシアーヴォ谷の地域(テラノまでの一帯)は、ベルニナ峠から約25kmイタリア側に。

 なぜ・・・
 Val Poschiavoポスキアーヴォ渓谷

Septimer ゼプティマー峠 ●スイスのブレガリアの谷一帯は、マロヤ峠から20kmほどイタリア側に。

 なぜ・・・
 Septimer pass(Sett -Pass da) ゼプティマー峠


Lago di Lei ●イタリア:スイス国境、スプリュゲン峠東のLago di Leiレイ(ダム)湖の水は、スイスに向かい北海に流れ込むライン川に流れる。イタリアから流れはじめるライン川はここだけである。

 Septimer pass(Sett -Pass da) ゼプティマー峠
 Lago di Leiレイ湖/Vall di Lei

 ・・・イタリアとスイスのダム利権の契約など


ティチーノ地域 ●スイスのティチーノ地域一帯(ベリンツォナ、ルガノ付近)は、サン・ゴッタード峠、ルコマーニョ峠が分水嶺ですが、イタリア側に大きく張り出しています。

 ・・・スイスの独立とカントンの併合などで



シンプロン峠付近 ●スイスのシンプロン峠(ローヌ川・ポー川の大分水嶺)から、イタリアとの国境までは約20km離れている。

 ・・・・1440年:シンプロン峠の南の現在の国境付近までの地域(シンプロン村、Gondo村など)は、Eschrntal側(現在のイタリア側)の管理地だったが、Wallis側に合併した。この時点で、ローヌ川・ポー川の大分水嶺と国境がずれた
 ⇒Simplonpassシンプロン峠情報参照


国境線と分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺。
流域はスイスだが、フランス領である】
Montetsモンテ峠〜Forclazフォルクラ峠 <・・・大・分水嶺ではないが・・・>

 このフランスとスイスの国境は、モンテ峠(1461m=Arveアルブ川:Eau-Noire川〜Trient川の中分水嶺)と、フォルクラ峠(1527m=Trient川:Drande川支流の小さな分水嶺)の中ほどにあります。
 ふつうは峠(大きな分水嶺)が国境になっているのに、ここの国境は本来のスイスエリアに食い込んでいます。フランス:スイスの紛争があったようには見えないのになぜなのでしょう。
 どんな歴史からこの国境はできたのでしょうか・・・推測してみます。
(皆さんでお判りの方がありましたら、教えてください。)

<フォルクラ峠はなぜ必要だったのか?>

 ・Trient川に沿った下りは、道を作るのにはがあまりに厳しいのでは?
 ・そのためフォルクラ峠に迂回ルートを作った。
 ・Vallorcineの村人はこの地理から、フランス側への交流が多かった?
 ・・・


<このエリアの支配・領土・国家の歴史>
 ・BC4C頃:ケルト人
 ・BC52頃:ガリア・・・カエサルのガリア征服・・ローマ帝国-476
 ・534年頃〜:フランク王国
 ・1032年頃〜:ブルクント王国
 ・12-14世紀〜:サヴォワ(サヴォイア)領
 ・1792-93年〜:サヴォワはナポレオン軍により、フランスの占領地に。
 ・1815(ウィーン会議)-1848年(憲法):ナポレオン失脚後、スイス・ヴァリス州はスイスに加盟する。

 ・1860年:サルデーニャ王はサヴォワ地方をフランスに割譲
  ・・・想定:この頃スイス国境の分割が行われたのでは?
  (・・・・サヴォワが分割し、スイスに行くかの選択時、住民投票などで決定したのでは?)

 ・1967-75年:Emossonエモッソンダムはフランススイスの共同で建設された。湖はスイスにあるが、アーチダムの堤防はフランス国境。
  発電設備はフランス側=Chatelard-Vallorcine、スイス側=La-Batiazにある。



●フランス:イタリア間の国境:
・フランスとイタリア間の国境は1947年と1963年に再定義された。Wiki
・Google-Maps(地形)で国境線を見ると、分水嶺と微妙にずれているところがいくつか見つかる。

・モンブランの山頂はどの国に属するのか
 ・フランス革命以来、モンブランの山頂がどの国に属するのか度々議論になっている。両国とも自国の地図においては、山頂を自国の国境線の内側に取り入れる傾向にある。
 ・1861年にトリノで開かれたフランスと当時のサルデーニャ王国との会議では、国境線はモンブラン山頂を通るように定められ、現在のところこれが最終的な公式の合意となっている。


フランス:イタリアの第字大戦による国境線変化と分水嶺
【赤色は地形上の分水嶺を越えてフランスが1947年に獲得した領土。紫色はフランスの獲得した領土が分水嶺のフランス側だった場所】
<以下第二次大戦後のフランス・イタリア間の領土変化と分水嶺>
・赤色は地形上の分水嶺を越えてフランスが1947年に獲得した領土。
  (モンスニ、Vallee川流域、モンジェネヴル峠付近)
・紫色はフランスの獲得した領土が分水嶺のフランス側だった場所。
  (ニース北部)

国境線と分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺。モンスニ湖の水は、本来イタリア側に
流れるはずが、発電のためフランス側にもトンネルで分水している】
モン・スニ峠・ダム

 このモン・スニのフランスとイタリアの国境は、モン・スニ峠(2084m)からイタリア側に直線で約7kmほどのところにずれている。歴史は・・・

・1912年:モンスニ峠のイタリア側に小さなダムが作られ、1921年:発電所も作られた。
・1947年2月10日:第二次大戦のモンスニ峠での休戦ラインにそって、フランスとイタリアは和平条約を結び、モン・スニの領域はフランスになる。同時に、ダム構築の方針と水資源の共有(フランス=270、イタリア=51:百万立方m)が定められた。(ダムで国境を移動させたのはここだけ?)
・1962年:ダム工事開始
・1969-1970年:貯水を開始-満水-発電開始
・ダムのため国境を移動させたのは、モン・スニだけのように思えます。
・フランス側の発電設備は、Villarodin(ダムから直線約15km。Modaneモダーヌの約3km東)に、イタリア側はVenalzio(ダムから約10km。Susaスーザの約3km北)にある。水利権の比率で分水して利用している。
 (モンスニの水は本来Poポー川に行くべきを、このフランス側への分水でArcアルク-Isereイゼール-Rhoneローヌ川に流している。)
 参考URL:
 ○http://www.ac-dijon.fr/ モンスニの歴史
 ○パリ条約(1947)【領土移転と補償:人口密集地::560 km2のTendeとLa Brigue間、2〜3,000の住民、Roya Valleyの南側Perne-HauteとBasse、Libreなどの集落。未居住地域:Petit-Saint-Bernard峠で3.22 km2、Mont-Cenis高原で81.79 km2(峠を越えて延期された国境)、Mount Thaborで47 km2(「狭い谷)」17.1 km2でMontChaberton。】


国境線と分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺。
Vallee川はイタリア側に流れる】
●Vallee川流域

 この流域のフランスとイタリアの国境は、Echelleエシェル峠(1779m)などイタリア側に約5kmほどのところにずれている。歴史は・・・

・1947年2月10日:第二次大戦のモンスニ峠での休戦ラインにそって、フランスとイタリアは和平条約を結び、この領域はフランスになる。


国境線と分水嶺
【赤の点線は地形上の分水嶺】
モンジェネヴル峠

 ここのフランスとイタリアの国境は、モンジェネヴル峠(1854m)からイタリア側に直線で約2-4kmほどのところにずれている。歴史は・・・

・1947年2月10日:第二次大戦のモンスニ峠での休戦ラインにそって、フランスとイタリアは和平条約を結び、この領域はフランスになる。


峠詳細図 Tenda -Colle di / Tende -Col deテンダ(タンド)峠

 ・1947年:峠の南側は第二次大戦後の整理で、イタリアからフランスに割譲された
 その時、分水嶺より北に国境が制定された(フランス側が広い)。
 峠(1871m)はフランス側に未舗装道路を約1km入ったところにある。




オーストリア、リヒテンシュテイン <スイスとオーストリアの国境線>
●オーストリアのフォワーアールベルグ一帯(ブレゲンツやモンタフォンの谷など)はライン川流域なのに、なぜオーストリアに残った。

 ・・・スイスが併合に反対した


スイスとフランスの国境 <スイスとフランスの国境線>
●スイスとフランスの国境のジュラ地域は、かなり入り組んでいます。ライン川流域とローヌ川流域です。
 ・・・詳細調査中
 スイスの国内〜フランス国境付近




<その他の関連情報>
ダルマチア地方:ザラ:をめぐるイタリア(ベネチア)、ユーゴスラヴィア(クロアチア)のこと【「ベネチアの失地回復」をエサにイタリアの参戦を促した飛び地:by世界飛び地領土研究会】
世界飛び地領土研究会【インフラ飛び地・・港・空港、中立地帯など】

(各地点の国境移動の歴史などは、今後順次調査し整理ていきたいと思います。皆さんからの情報もお願いします。)

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