●北チロル、東チロル、南チロル(トレンティーノ・アルト・アディジェ州)。 そして・・西チロル、外国のチロルとは?
・神聖ローマ帝国時代(962-)、ハプスブルク帝国の時代(1273-)・・→オーストリア・ハンガリー帝国時代(-1918):北チロル(インスブルック地方)、南チロル(現在イタリアのトレンティーノ・アルト・アディジェ州)、東チロル(リーエンツ地方)は、チロルとして一つだったのです。
・第一次世界大戦の敗戦の翌1919年、サン・ジェルマン・アン・レー講和条約で、南チロルはイタリアに譲渡されました。
・このため東チロル(地方)は、地理的にチロル州(北チロル)から飛び地になってしまいました。物資の輸送なども、イタリア側を通れず、グロスグロックナーの峠(2575m)を経由するか、遠くザルツブルグ州、ケルンテン州を回らなければ行き来できなくなりました。
・フェルバータウエルン・トンネルが開通(1967年)するまで、東チロル地方は、オーストリアの陸の孤島状態だったのです。
・最近、このたくさんの自然と、田舎の風土が残されている東チロルの地が観光地として愛されはじめてきたのも、この長い歴史があったからでしょう。
●「大分水嶺と国境の差」も参考に
<参考:北チロル、東チロル、南チロル関係>
・Defereggental デフェレッゲン渓谷
・Passo Monte-Croce di Comelicoモンテ・クローチェ・ディ・コメリコ峠
・Brocon -Paso diブロコン峠
・「南チロル問題」
(注:過去の地図で、フォアアールベルク州をチロルに含めたものがあったが、厳密にはチロル領には含まれたことはないようです)
−−−
●西チロル、外国のチロルとは:
・イタリア・ロンバルディア州・ソンドリア県のValtellinaヴァルテッリーナ(Bormio=リビーニョ付近、Valtellina=ソンドリオ付近、Chavenna=カヴェンナ付近)は、以前はミラノ公国に属していた。
⇒1512年以降は現在のスイス・グラウビュンデン州と一体で、グラウビュンデンに属していた。その頃、ヴァルテッリーナはWesttirol(西ティロル)or Veltlinとも呼ばれていた。
⇒1797年:ナポレオン配下でチサルピナ共和国の合流させられた。
⇒1815年:ロンバルディ・ヴェネツィア王国⇒1859年:サルデーニャ王国⇒1861年:イタリア王国
・ホテル案内や観光情報では、オーストリアのチロル西部地方のことを、「西チロル」と表すこともある。
・イタリア:トレンティーノ=アルト・アディジェ州のトレンティーノ県は「外国のチロル(Welschtirol) 」の異名をもっている。
<関連サイト>
○http://en.wikipedia.org/【wiki/Valtellina:ヴァルテリーナの歴史:16世紀には西チロルとも呼ばれていた】
○https://it.wikipedia.org/【wiki/Repubblica_delle_Tre_Leghe:三国リーグ】
○http://d.hatena.ne.jp/【はてなキーワード > 西チロル 】
○http://ja.wikipedia.org/【wiki/チロル】
|