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Simplonpassシンプロン峠


No.:相対順位
  (-N:追加)
042
●右図の赤は大分水嶺(北=ローヌ川流域、南=ポー川流域)。 ●スイス:イタリア国境は大分水嶺にはない。

Google-Mapで詳細を見る。

Hight(m):標高 2006(2005)m
Alpenpasse:峠名
Valley/Tal:谷名・地名
Simplonpass /Passo del Sempione
シンプロン峠
Country:国>県>谷> Ch:スイス > ヴァレー州(VS)
Route-no,
Place:場所
(Motorway=高速:Tunnel=トンネル)
(Map-page-address:*1)
●大分水嶺
北=Taferna川、Saltina川〜Rhoneロ−ヌ川〜(地中海)
南=Chrumm川(スイス内)〜(イタリア)Diveria川〜Ticino川〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。
・N9-N19/SS33-SS337's (E62's) Simplon Pass, Brigブリーク:Ch to Domodossolaドモドッソラ:Italy.
・Autoverladung:自動車道路
・(49-Ia71)
Grimsel/Furka
S.M.Maggiore
Gr.St.Bernard/Moosalp
Macugnaga
Closed/Maximum grade(%)/etc :
閉鎖時期/勾配/条件
・基本的に年間通行可能(11-4月は閉鎖注意)
 ★現在の開通状況:以下のサイトを参照 <Ferme/Gesperrt/Chiuso=閉鎖、Ouvert/Frei/Aperto=開通>
・最大/平均勾配:北=9%/6.4%、南=9%/4.2%
・minimum width is 7.1 meters (23 ft.); no vehicles over 2.54 meters (8 feet 2 inches) wide; no trailers over 2 metric tons (2000 kg); OK for caravans.  
Impressions:感想:
峠両側の集落・歴史的役割
  ・成立要因推測など

・紀元前15世紀ごろ:ケルト人の一派が住み着き、ヘルウェティイ族と呼ばれる部族国家を形成していた。古代ローマ人は「ヘルウェティア」と呼んでいた。
・紀元前58年:ゲルマン人の圧迫でヘルウェティイ族は西方への民族移動を開始したが、ローマ帝国のユリウス・カエサル軍が「ビブラクテの戦い」で勝ち、植民地とした。

・2世紀ごろ:古代ローマの時代からこの峠には軍事用の道路があり、人々の往来があった(*1)・・『ミラノ/イタリア北西部』イタリア旅行協会著:NTT出版:p127)
・この峠は、古代ローマの時代にはなく(*2)、中世(13世紀半ば)になって作られた峠道。(『中世ヨーロッパ』Donald-Matthew(レーディング大教授)著:朝倉書店:p76)
【古くから峠はあったとの記述(*1)もあるが、他の資料ではローマ時代にはなかった(*2)とされる。多分、山越えの登山道はあったであろうが、現在のシンプロン峠ルートのような緩い勾配のルートの道はなく、他の古代ローマの街道のようには整備されず、往来も少ないため獣道になってしまったのではないか。 ⇒【古代ローマの道(ローマ軍用道路)とアルプスの峠も参考に】

・259年:ゲルマン系のアラマンニ人がヘルウェティアに侵入した。
・443年:4世紀以降キリスト教司教区がスイス地域に設立されたが、ゲルマン系集団が流入してスイス地域にブルグント王国を築いた。
・5世紀:ローマ帝国がスイスから撤退すると、アレマン人が再びスイスに流入し、アレマン人、ブルグント人、ラエティ人、ランゴバルド人の4民族がスイスで共存するようになる。
・6世紀:ゴムス谷(ローヌ川最奥)に、ケルト系のアラマン人が住み着いた。Walserヴァルサー人。
・534年頃:フランク王国の支配になる。
・843年:フランク王国が分裂で、スイス西部はロタール帝国、東部は東フランク王国の統治下となる。
・〜11世紀:スイス全域は神聖ローマ帝国の支配下に入る。

1440年:峠の南はWallis側に合併
【1440年:峠の南はスイスWallis側に合併。
 これで大分水嶺と国境がずれた】
・1235年:聖アウグスチノ修道会Augustinianがこのシンプロン峠の頂上にホスピスを作った。
・12世紀末以降:Walserヴァルサー人がゴムスの谷から移住した。シンプロン峠などを経てイタリア側Agaro(Devero谷)、Salecchio(Passoの西)などにも移住した。
 【⇒●Walserヴァルサー人

・1416年:Wallisはスイスの従属邦となる(13邦に同盟を求め準州となる)。
 この時点でEschental(現在のイタリア・ドモドッソーラの北地域)も従属邦となったが、1422年に離脱した。
・1440年:シンプロン峠の南の現在の国境付近までの地域(シンプロン村、Gondo村など)は、Eschental側の管理地だったが、スイスWallis側に合併した。この時点で、ローヌ川・ポー川の大分水嶺と国境がずれることとなる。

simplon-stockalper
【Kaspar Jodok
von Stockalper(1609-1691)】
・17世紀にBrigブリークのStockalperシュトックアルパー(1609-1691)家が整備・商業ルートとして峠道を確立し、旧避難宿泊所も作った。塩などの交易が中心でラバによる運送であった。
・1691年以降:反逆罪となったStockalperの死後、峠道の整備が不完全となり、交易も極端に減少した。(wiki)

・1798年:ナポレオンがスイスを占領し、ヘルヴェティア共和国となる。
・1800年:ナポレオンは大砲が通れる道として峠の整備を命じたが、この峠には紀元後2世紀のものといわれ、ローマ時代からこのかた、ほとんど人の通らない小径があるだけだった。
・1800年ニコラ・セアール技師中心に測量が始まり、1802年2月建設計画が完成、6000人の労働者を投入、400-700人の犠牲者を出した。建設期間中の最大難所はゴンドー渓谷で、いくつものトンネルも掘削した。(『道の文化史』シュライバー著p.232-)
・1803年:仲裁条約を結び、スイスは地方自治体制に戻ったが、ヴァリス州はフランス占領のままとなる。
・1805年9月25日:大砲が通れる道として(勾配最高9%、車道幅4.8-6.1m:最大傾斜10%、幅7-8mの情報もある)として大改修され、現在のなだらかなカーブの峠道の基礎ができあがった。
 そのときにHospiz(救護所/宿泊所)が建造された(1825/1831年完成の情報もある)。
・1806年:シンプロンにナポレオンが宿泊し、Hospizホスピスに宿賃に払ったという金貨が残されている。
・1815年:ナポレオン失脚のウィーン会議で、スイスの永世中立の承認・独立が認められ、同時にヴァリス州もスイスに加盟した。

・1848年:スイス憲法制定でヴァリスはカントン(州による連邦共和制)になる。
・1878年:【物語】「ペリーヌ物語」(12〜13話)(1878年頃):ペリーヌたちは宿屋での話し合いでアルプス越えを決断した。ペリーヌたちが通ったと思われるルートはミラノ→マッジョーレ湖→シンプロン峠(イタリア・スイス国境)→シェール→モントルー→ローザンヌと思われる。シンプロン峠は馬車で越えるのはかなり険しい道であったに違いない。特に母マリには堪えたらしくスイス・フランス国境を越えて直ぐに病気で倒れる(15話)。その後パリで帰らぬ人となった。

鷲の像
【鷲の像】
・1906年:アルプスの山中を貫通するシンプロン・トンネル(列車専用トンネル:19km)が完成・営業を開始した。
・1910年9月:ペルー人シャぺル(シャベス:当時24歳)がアルプス越え(シンプロン峠)を、飛行機によって始めて達成した。ライト兄弟の飛行から7年ほど。ブリークを出発し、ドモドッソーラに着陸。 ⇒【アルプスの歴史
・第2次大戦の国境警備隊の記念「鷲の像」がイタリア側を向いている。



<関連サイト:URL>
i:初めて飛行機によるアルプス越え【アルザスromeosierraさん】
http://de.wikipedia.org/
http://fiveprime.org/【simplonpassの多数の写真】
http://www.viastockalper.ch/【ViaStockalperシュトックアルパーの道】
http://www.simplon.ch/【ViaStockalper:シンプロン峠経由のハイキング】
<YYYY.MM.DD(Site):通過日。旅の記録・写真へのLINK>
2000.7.3(M-site)【Hotel Restaurant Monte-Leone】
Simplonpass


2009.7.3(V-site)【Simplonpass-Hospiz救護所と、イタリア国境の雪山M.Leoneモンテ・レオーネ(3552m)】
Simplonpass


2012.6.18(X12-site)【峠の360度:北方向と南方向】




<周辺情報>
●峠の北側の谷:Gantertal=Saltina川(Tafernabaches)〜Rhoneロ−ヌ川〜

Aletschhorn方面
【北にAletschhorn方面の山:2012/6/18】

Ganterガンター橋
【Ganterガンター橋:コンクリートのつり橋:2000/7/03】



●峠の南側の谷:Gondo-Schlucht渓谷=Chrumm/Krumm川(スイス内)〜(イタリア)Val-Diverdro=Diveria川〜Ticino川〜
Simplon村
【スイス:Simplon村:2009/7/03】

Simplon村 国境スイス側のGondo村
【スイス:Simplon村からの風景:2012/6/18】 【国境のスイス側Gondo村:2000/7/03】

Domodossolaの世界遺産:Sacro^Monte-Calvario
【Domodossolaの世界遺産:Sacro-Monte-Calvario:2012/6/18】
<峠付近の花:花の写真図鑑(20120618)へ
 

シンプロン峠の花
【2012/6/18:シンプロン峠の花1:クリサンテマム・アルピヌム(キク科 シオン属)、ゲンチアナ・コキアナ(リンドウ科)、アンテンナリア・ディオイカ(キク科 エゾノチチコグサ属)】

シンプロン峠の花
【2012/6/18:シンプロン峠の花2:ヴィオラ・カルカラタ(スミレ科)、プルサティラ・アルピナ(キンポウゲ科)、トロリウス・エウロパエウス(キンポウゲ科)、ランヌクルス・モンタヌス(キンポウゲ科) と プリムラ・ファリノサ(サクラソウ科)、ロードデンドロン・フェルギネウム((ツツジ科))】

シンプロン村の花
【2012/6/18:シンプロン村の花:シレネ・ブルガリス(ナデシコ科 マンテマ属)、カルドウス・デフロラツス(キク科 アザミ属)、ヘラクレウム・スフォンディリウム(セリ科 ハナウド属)、ヴィキア・クラッカ (マメ科)、カンパヌラ・ロンボイダリス(キキョウ科)、ケンタウレア・モンタナ(キク科ヤグルマギク属)】

<峠付近の宿情報>
 ○付近の宿検索
  スイス > Simplon Dorf付近の宿検索

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EU-Alps 峠の茶屋:
掲示板:問合せなども
EU-ALPS.com
旅のGET:
旅のGET
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