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David, Jacques-Louis作

ナポレオン・ボナパルトとアルプスの峠
Napoleon-Bonaparte-Alps-Cols (ナポレオン3世情報)


●ナポレオン(1世)の年表と、アルプスのエリア・峠に関連する事項

    (『ナポレオン戦線従軍記』とアルプスの峠、「チロルの英雄:アンドレアス・ホーファー」も参考に)

Napoleon Bonaparteナポレオン・ボナパルト

 1769年:8.15:コルシカ島アジャクシオで生誕(1769:フランスがコルシカを併合)

   (1774:ルイ15世死、1774-92:ルイ16世、1774:マリー・アントワネット王妃に)
 1786年(17歳):1月:フランス陸軍少尉
   9月:リヨン在
   (1789.7.14-:フランス革命 1792:第1共和制-1804 1793:ルイ16世/アントワネット処刑)

 1792年(23歳):9月:フランスはサルディニャ王との戦いに勝ち、サヴォワ(フランス側)、モナコ・ニース付近を併合。(1815年サルディニャ領に戻る)

 1795年(26歳):10.25:ナポレオンは国内軍最高司令官に任命される。

Josephine de Beauharnais  1796年(27歳):
napoleon-1796-97
【ナポレオンの陽動行動ルート。 Campoformio条約によって得られたフランスの準州。 オーストリアへの割譲領土】

 1797年(28歳):
 1798年(29歳):4月:フランスがスイスを占領。ヘルヴェティア共和国建設=フランス対オーストリア・プロイセン・ロシア連合軍との戦場になる。
    8月-:エジプト遠征
    ?月:イタリア・Forte di Exillesエグジルの要塞を破壊

 1799年(30歳):12月:クーデターで執政政府になり、権力を握る。統領ナポレオン(-1804.5)
1800年進軍ルート
【1800年進軍ルート】
David, Jacques-Louis作(スイスのパンフより) Paul Delaroche作
【ナポレオンのアルプス越え:左・David, Jacques-Louis作、右・Paul Delaroche作】

【David, Jacques-Louis作の肖像画の足元には、
左BONAPARTE:ボナパルト、下HANNIBAL:ハンニバル(BC247/246-BC183)、右KAROLUS MAGNUS:カール大帝=フランク王国シャルルマーニュ(742-814)・・この3人がアルプスを越え他国に攻め入った英雄だと・・書き記させた】

 1800年(31歳):4-5月:ナポレオンが4万人の軍隊と3000頭の馬を引き連れ、スイス/イタリア国境、雪の▲Grand Saint Bernard -Col du グラン・サン・ベルナール峠(2469m)を越える。
  (ナポレオンは、ハンニバルの戦術を研究・参考にした。肖像画にまでもハンニバル、カール大帝の名を書かせている)

 1801年(32歳):1月:リュネヴィル条約締結(ライン川左岸はフランス領)=カンポ・フォルミオ条約とほぼ同じ

 1802年(33歳):8月:ナポレオン終身統領。新憲法制定。  1804年(35歳):5〜12月:フランス皇帝に(5/18:元老院令によってフランス人民の皇帝として戴冠・皇帝に即位・第一帝政成立。12/2:教皇ピウス7世によって戴冠=イタリア王もかねる)

   9月:橋・運河・道の公共事業の充実のため、土木学校・土木庁が再編された。シンプロン峠、モンスニ峠、モンジュネーヴ峠のルートは、軍事目的、陸の孤島の救済、フランスの商業強化などになり、道路建設に感謝する旨の記録が残っている。
   9月:▲モン・ジュネーヴル峠の整備が完了。(Michelin(p257)の記載は1807年)

ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠@ルーブル美術館 1805年(36歳):3.17:イタリア国王になる。
   5月:ジョセフィーヌを伴い、かつて大軍を率いて越えたアルプスの峠を旅し、マレンゴの古戦場を訪れ(ナポレオン戦争全史p.107)、5/26ミラノでイタリア国王の戴冠式挙行。
   9月25日:▲シンプロン峠「大砲が通れる峠道」(勾配最高9%、車道幅4.8-6.1m)完成
   11.5:リンツ在
   11.12:ナポレオン軍がウィーンに入る(11/14ナポレオンが入る。シェーンブルン宮殿在。)

 1806年(37歳):
   5月:大学創設
   10-11月:イェナ・アウエルステットの戦→ベルリン入城。大陸封鎖令。
   時期?:シンプロンのガビにナポレオンが宿泊。
   (ホテルには、宿賃に払ったという金貨などが残されている。・・スイス政府観光局:http://www.tabicom.com/)
   弟ルイ、オランダ王になる
 1807年(38歳):11月:ポルトガル占領
 1808年(39歳):5月:スペイン、トスカーナ、ローマ占領
 1809年(40歳):3−4月オーストリアと戦争再開。4/10オーストリア軍イン川を渡河。ナポレオンはバイエルンに進軍
   5.13:ナポレオンがウイーン入城。シェーンブルン宮殿在。
   5.18:ナポレオン軍はスロベニア・Socaソチャ川の渓谷をさかのぼり、▲Pledil峠の砦を攻撃し、オーストリアの隊長ヨハン・ヘルマン以下多数の軍隊を殲滅。
   7.5-6:最後の戦勝、ヴァグラムWagramの戦い・・ウィーンの北東15km
   10.14:オーストリアとの平和条約締結。
1811-france    (Andreas Hoferアンドレアス・ホーファー(1767-1810)の率いるチロル農民の解放闘争が起こる。結局失敗に終わりホーファーは銃殺された・・・民族独立の戦い[映画:アルプスの血煙])
   11月ジョゼフィーヌと離婚。

マリー・ルイズとの結婚式  1810年(41歳):4月:オーストリア皇女マリー・ルイズMarie-Louise(18歳)と婚姻。

 1811年(42歳):▲モン・スニ峠(傾斜角8%)整備完了

 1812年(43歳):5月:ロシア遠征、9月:モスクワ入城。撤退時で死者37万、捕虜20万。
 1813年(44歳):10月:ライプツィッヒで連合軍(プロシア/オーストリア/イギリス)に敗北
 1814年(45歳):3月:連合軍パリ入城
   5/3:退位、Elbaエルバ島に流される(コルシカ島とイタリア本土間の島。1802年にフランス領、現在イタリア領)。ルイ18世即位(-1815.3)
   9月-1815.6:ウィーン列国会議
ナポレオン街道
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 1815年(46歳):2.26:エルバ島脱出〜
   3.1〜7:「Route Napoleonナポレオン街道」を北上
ゴルフ・ジュアン海岸  1815年(46歳):6.22:ワーテルローの戦いで惨敗(百日天下)
   7月:連合軍パリ入城。ルイ18世即位(-1824)
   (ネーデルランド王国/ヴェネト・ロンバルト王国/両シチリア王国/ドイツ連邦/スイス/ポーランド王国)
   →8.7セントヘレナ島に流刑・乗船。→途中マデイラ島に立ち寄る。
    (しかし上陸を拒まれ、代わりにワイン樽を贈られた。が彼は飲むことを拒否した)
   10/17セントヘレナ島上陸

 1816年(47歳):ハンニバルの越えた峠はモンスニ峠だと記述(在位中に調査していた)
ナポレオンは5/5セントヘレナで死去
 1821年(52歳):5.5セントヘレナで死去

refuge-napoleon
【Refuge Napoleonナポレオンの避難小屋の分布図】
<死後>
 (1824年-30:シャルル10世、1830.7.30-48:ルイ・フィリップ)
 1831年:シンプロン峠にホスピス(僧院兼救護施設)完成。(ナポレオンが命じ着工・中断、グランサンベルナールの修道士により完成)

 (1848年-52:第2共和制、1851.12ルイ・ナポレオンのクーデター、1852.12-70第2帝政:皇帝ナポレオン3世 )

 1854年:ナポレオン1世の遺言により、▲Manse峠(1268m)、▲Lautaret峠(2058m)、▲Izoard峠(2360m)、▲Vars峠(2111m)、▲Noyer峠(1664m)、▲Agnel峠(2744m)、▲Croix峠(1179m)の各峠に避難小屋が贈呈・構築された。
  (Agnel峠の小屋Croix峠の小屋は当時の建物ではないようだ)
  (この複数の峠は、位置的にニース〜グルノーブル間の山岳エリアを通過するためのルート。道路整備に力を入れたナポレオンとしては、この峠ルートの重要性を認識していたのだろう。また1815年のエルバ島からの帰還時に、歓呼で出迎えた地元民への感謝とも思える。)

〜〜〜〜〜
HOTEL MARECHALにある肖像画 <参考>
ナポレオン・ボナパルトとハンニバル・バルカの類似点比較【年齢、戦略など】
ナポレオン戦線従軍記とアルプスの峠
●アルザス:Colmar コルマールのHOTEL MARECHALマルシャルにある彼の肖像画。滞在した可能性も。
愛馬:マレンゴ(Marengo、1793年? - 1832年)
Timelines1789-1815



●参考資料:
  『
ナポレオン年代記』JPベルト著、瓜生洋一ほか訳、日本評論社、2001.4。p13-15p54、p218-219
  『ナポレオン』ポール・ジョンソン著、富山芳子訳、岩波書店、2003.3
  『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィゴ=ルシヨン著、瀧川好庸訳、中公文庫  ナポレオン戦線従軍記とアルプスの峠
  『ナポレオンの戦場―ヨーロッパを動かした男たち』 柘植 久慶 著、原書房、1988
  『ナポレオン自伝』アンドレ・マルロー編、朝日新聞、2004.4
  『ナポレオン戦争全史』村松tatutomu著、原書房、2006.1
  『旅名人:スイス・ヴァレー州』土田陽介著、日経BP社p87
  『世界の戦史:第7巻:ナポレオンと国民戦争』人物往来社、1966



●関連URL:
 ☆http://spysee.jp/【ナポレオン・ボナパルト:プロフィール、系図、関連地名・人物】
 ○http://www.route-napoleon.com【ROUTE NAPOLEON】
 ☆ナポレオン戦争【Wikipedia』】
 ☆http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/kai23.htm:ニッポン・レンタカー【ナポレオン街道(前・後編)】
 ☆http://www.hochi.co.jp/html/column/car/2001/1005.htm:中島祥和さん【ナポレオン街道を行く】
 ☆http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/nh.html:NAPOLEON【ナポレオニックサイト】
 ○http://www.napoleon-series.org/ins/c_weider.html【The International Napoleonic Society:国際ナポレオン学会】
 ○http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/david/【WebMuseum:David, Jacques-Louis(1748-1825)作品・・ナポレオンを描いた肖像画家】
 ☆1800年―イタリア戦線:アルプス越え【フランス革命戦争】

●ナポレオンに関するワイン/コニャック・・・
 ・ナポレオンが遠征先のロシアまで運ばせていたというワイン「ジュヴレ・シャンベルタン」

 ・熟成15〜20年のものをメインにブレンドしたまろやかでいてコシのある味わいのコニャック 「カミュ ナポレオン」


ナポレオン3世 ●ナポレオン3世(Charles Louis-Napoleon Bonaparte)と、アルプスのエリア・峠に関連する事項

 1808.4.20:ナポレオン1世の弟のオランダ王ルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子オルタンス・ド・ボアルネの三男として誕生
 1848.12:大統領に当選
 1851.12:ルイ=ナポレオンのクーデター
 1852.12:国民投票を経て帝政を開始→皇帝ナポレオン3世(第2帝政1852-1870)
 1853-70:ナポレオン3世の指示の元、オスマンがパリを大改造
 1854:ナポレオン1世の遺言により、3世が7峠に避難小屋を構築した。(1世の記事参照)

Col du Noyer ヌヮイェ峠の「ナポレオンの避難小屋」

 1859:イタリア独立戦争援助。(マジャンタの戦い、ソルフェリーノの戦いで勝利)
     (Solferinoソルフェリーノはガルダ湖の氷河の末端モレーンの南)
     サルデーニャ王国からサヴォワとニースを獲得
     (1859.7民衆デモ→1860.4の住民投票で圧倒的多数でフランス帰属を決めた)
 1860.8:ナポレオン3世が▲Bonette -Col de la ボネット峠(2715m)を開通させた。
 1865.10:ビスマルクとビアツッリ密約
 1867.9:フランスオーストリア両帝がザルツブルクで会見
 1870.7.19-:フランス:プロシア(普仏)戦争:9.4ナポレオン3世失脚、第2帝政終わる
 1871.3-:ドイツ〜イギリスに亡命
 1873.1.9:イギリス、カムデン・プレイスで死去

●参考資料:
  『怪帝ナポレオン3世』鹿島 茂著、講談社、2004.11

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