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歴史/登山峠
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[解説]
Mont cenis -Col du モン・スニ峠(ハンニバル伝説の峠) |
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No.:相対順位 (-N:追加) |
35 |
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Hight(m):標高 | 2084(2117/2083)m | Alpenpasse:峠名 Valley/Tal:谷名・地名 |
Mont cenis -Col du(Fr)モン・スニ峠/ Moncenisio(It)モンチェニジオ峠 |
Country:国>県>谷> | Fr >Savoie>73Savoie>It国境から7km (1947年の経緯参照) |
Route-no, Place:場所 (Motorway=高速:Tunnel=トンネル) (Map-page-address:*1) |
●大分水嶺(東=スニーズ川〜Torrente-Cenischia川〜Dora-Riparia川〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。西=Arc〜Isere〜Rhoneロ−ヌ川〜(地中海) ・Fr:ベッサンス南東。It国境近く ・SS25/N6's Mt. Cenis Pass, Turin:Italy to Chambery:France. 45.260207,6.9003 (63-Gf77)
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Closed/Maximum grade(%)/etc : 道路閉鎖時期/勾配/条件 |
・11-5月閉鎖(closed from early November to mid Mayの記載も)/ ・maximum grade is 12.5 percent; minimum width is 5 meters (16 ft.); OK for caravans. |
Impressions:感想: 峠両側の集落・歴史的役割 ・成立要因推測など |
●地名のMont-Cenisは「Mount of Ashes(灰/灰色)」を意味している。伝統によると、山火事の結果、大量の灰が地面に堆積したことで名前が付いた。実際に道路建設中に大量の灰が発見された。 ●この峠も紀元前218年、ハンニバルと象が通過したとの説があります(ただしこの峠の可能性は少ない)。(Googleマップでルート確認) ●紀元前207年、ハンニバルの弟Hasdrubal Barcaハスドルバル・バルカが、ピレネー山脈の西経由で、この峠を象を連れて、イタリアにハンニバルの援軍に行ったとの説がある。(ウァロVarro(BC116-27)記述(G.ビーアp72))・・・メタウルス湖畔でローマ軍に破れ、その首だけがハンニバルに届けられた。 ●312年、Constantine Iコンスタンティヌス帝はモンスニ峠を越えてイタリアに侵攻した。何回かの戦闘で彼はMaxentiusマクセンティウス軍を破りローマに到達、西の正帝となり西ローマ帝国全体の支配者となった。 ●773年:カール大帝(シャルルマーニュ)がモンスニ峠を越え、スーサのデシデリウスのランゴバルト王国に攻め入り滅ぼす。教皇ハドリアヌスを救う。 ●825年:Louis le Debonnaireルイ・ル・デボネール皇帝は息子のLothaireに、Mont Cenisの自然の湖のほとりにホスピスを創設するよう依頼した。それはサラセン侵略の世紀後荒廃された。 ●877年10月6日:Charles II le Chauveシャルル2世は、アルプスの向こう側、現在のAvrieuxの Brios村で死亡(毒殺されたとの噂がある)。 ●1077年1月:神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世(位1056-1106)は、厳冬の中のアルプス・モンスニ峠を越え、教皇グレゴリウス7世の滞在するのカノッサ城(Parmaの南30km)に到着。1月25日から27日までの3日間、彼はただひとり、無帽、裸足で、わずかに粗末な修道衣をまとっただけの姿で、城の前で雪の上に立ちつづけた末、ようやく教皇に会うことができ許された。(スーザに居た義母アデレード、ハインリッヒ4世妻ベルタ(アデレードの娘)などがそのとき同行した) ・ブレンナ峠のほうが距離、冬季通行の便も良いはずだが、モンスニ峠も神聖ローマ帝国範囲だったこと、義母との同行などからルートを選んだのだろう。 「カノッサの屈辱」・・聖職叙任権をめぐる神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立・・ →alpenpassブログ参照 ●1252年:マシューパリスのロンドンからアプリアまでの旅行案内【イギリス〜フランス〜イタリア】 ●1794年4月:トマ=アレクサンドル・デュマ将軍に率いられたフランス共和国のアルプス軍 (Army of the Alps) がサルデーニャ王国軍を破る戦いの舞台に。 ●1800-1811年:ナポレオンは大砲が通れる道としてこの峠とシンプロン峠の整備を命じた。6回の折り返しで勾配最高8-10%として大改修された。(『道の文化史』シュライバー著p.237-) ●1821年のMont-Cenis峠地域の地形:サルデーニャ軍の地図。<fr.wikipedia.org/より>・・ダム建設前の地形がわかる。⇒⇒ ●19世紀半ばまで、峠の両側、サヴォワとピエモンテはともにサヴォイア家のサルデーニャ王国の領土であり、王国の首都であるトリノと、サヴォイア家発祥の地であるシャンベリを結ぶこの街道は重要な意味を持っていた。 ●1860年、サルデーニャ王国(翌年にイタリア王国となる)はサヴォワ地方をフランスに割譲した。このため、この峠は国境地帯となった。 ●1868.6.15:Fellフェル鉄道(モン・スニ山頂鉄道)が開業。モン・スニ峠を走る。 フレジュス・トンネル開通までの4年間営業していた〜1871年。St.Michelサン・ミシェル〜Susaスーザ間。(Yukiさんからの情報) :普通のレール間に第三のレールをやや高めに据付け、水平の一対の動輪がこのレールを挟み込んで登る。(チャールズ・ヴィグノルスと、エリクソンの特許方式=粘着駆動方式)。線路は、ほぼナポレオン街道に沿って走っていた。) ウィンパー著『アルプス登攀記』岩波文庫(上:p87-)に記述(romeosierraさんより) リギ登山鉄道(1871)より古い → (スイスのリギ山のVitznauフィツナウ〜途中駅のRigi Staffelhoheまでの開通は1871年5月21日。ラックレール方式で、現存するヨーロッパ最古の登山鉄道。・・・「Fellフェル鉄道」は方式は違うが、開通はヨーロッパ最古。ただし現存せず。) (アメリカのワシントン山登山鉄道は、1869年7月3日開業。マーシュ式(梯子状ラックレール)。現存する世界最古のラックレール方式の鉄道といわれる。・・・「Fellフェル鉄道」は方式は違うが、開通は多分世界最古。ただし現存せず。) ●1874〜1880年:イタリア王国はヴァル・ディ・スーザ一帯を要塞化したが、この峠にも3つの石造の要塞(Fort Cassa, Fort Varisello および Fort Roncia)が建設され、それを支援する砲台や防御施設が作られた。ファシスト政権期には「アルプスの壁」 (Alpine Wall) と呼ばれる地下要塞の一部が建設された。 ●1912年:モンスニ峠のイタリア側に小さなダムが作られ、1921年発電所も作られた。 ●1947年2月10日:フランスとイタリアの間の国境はそれまで大分水嶺に沿っていたが、第二次大戦のモンスニ峠での休戦ラインにそって、両国は和平条約を結び、モン・スニ峠ピーク付近の領域はフランスになった。 このため国境は、峠からイタリア側に約7kmずれている。⇒★峠を通過する赤線が大分水嶺 ●1949〜:ツール・ド・フランスが過去に5回、この峠をコースとして組み入れた。(1949/1956/1961/1992/1999年) ●1962-68年:ダム工事。フランス側の発電設備は、Villarodin(ダムから直線約15km。Modaneモダーヌの約3km東)にありトンネルで通水している。イタリア側はVenalzio(ダムから約10km。Susaスーザの約3km北)にある。水利権の比率(270:51)で分水して利用している EDFダムの建設で、そこにあった天然の湖とホスピスは水中に沈んだ。 ○fr.wikipedia.org/wiki/Col_du_Mont-Cenis ○日本Wikipedia解説 |
<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK> ●2002.6.22:スーザ〜イタリア側登り〜 【イタリア側の小さなダム】【モンスニのダムサイト】 峠: 【モンスニ峠から北方向:フランス・ヴァノワーズの山】 峠から西へ散策: 【峠から西に展望の良い場所へ】 〜Lanslevillardランスルヴィラール村 2泊 ●2002.6.23:プティ・モン・スニ小屋〜クラピエ峠方面へ往復 --- From: ⇒Oulxウルクス(宿) ⇒Frejus -Tunnel duフレジュス トンネル ⇒Bramansブラマン村入口 ⇒ ●2019.6.12(X19)
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【峠の茶屋の民族衣装を着た愉快なマダム】 |
●広域・拡大の山小屋・山・稜線Map
〜Col Clappierクラピエ峠 南(イタリア側)〜Rif. Vaccarone避難小屋〜Rif. Molinari避難小屋 〜Grange della Valle(1769m)(P)=Colonia Alpina Candido Viberti避難小屋〜Eclauseエクラウゼ村 北(フランス側)〜Col.Mont Cenisモン・スニ峠 |
●EU-Alps 峠の茶屋: 掲示板:問合せなども |
●旅のGET: |
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