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●ハンニバルと象はこの「クラピエ峠」(推定)を進軍したか?−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「アンバン渓谷〜プティ・モンスニ峠」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」
たしかにこの峠のイタリアの下りはグラフのように急激で、この難しさがハンニバル軍に 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのではと推測しているようです。 しかし、 ・Mapで、緑実線の推定ルートを行軍したのだとすると、分岐(海抜約2000m)で、北東のルート(緑点線)を取ると、プティ・モン・スニ峠(2182m)、Susaスーザへのなだらかな下り道があります。もし偵察隊がここを見逃して通過したとしても、数万人の軍は峠通過の直前に、この周囲で2-3日の休養を取りました。さらに先頭が峠を下りだして、難しい道だと分かって峠にキャンプを張った時点でも、北にむかうなだらかな傾斜の峠道を見つけることはできたでのではないでしょうか。 ・このプティ・モン・スニの峠道は、モン・スニ峠のバイパスの道で、古代ローマの以前からも峠道があった可能性があります。 ・この峠に来るまでに、大きな襲撃を2度受けたのですが、「ローヌ川〜イゼール川〜アルク川」のルート」(現在Valence〜Grenoble〜Modaneの高速道路のルート)は比較的見晴の良い谷で、奇襲されるような狭まった渓谷は見当たりません。 (一応、アルク川からこのクラピエ峠へ入ってくるBramansからのAmbin渓谷にも、帰り道に寄ってみましたが) このような点から、ハンニバルは、トラヴェルセッテ峠か、アニュエル峠を通過し、大雪による大量の凍死者を出したと推測します。
【黒実線:峠前後5kmの川に沿ったルートと高度。】・・・●クリックで拡大します 【緑実線:推定ルートと、緑点線:すぐ隣接の小モン・スニ峠を通過すると容易に下れる。】 ●前のポイント「アンバン渓谷〜プティ・モンスニ峠」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page) |
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