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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
【緑実線:クラピエ峠ルート・・下りが大変。 緑長点線:隣接のプティ(小)モン・スニ峠だと容易な下り。 緑短点線:モン・スニ峠は登り道が大変】 |
●2019.6.12:Bramansブラマン村を再訪・・追記From:⇒Oulxウルクス(宿) ⇒Tunnel du Frejusフレジュス自動車トンネル ●2019.6.12(X19)
・2017年に、BramansやLanslevillardは合併しVal-Cenisヴァル・スニとなった。(wikipedia) |
【青のルートを、レザンにむかう。赤の峠は (当初計画していたが)今後の旅の楽しみに】 |
●ハンニバルと象はこの「Maurienne渓谷〜Bramans」(推定)を進軍したか?−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「〜イゼール川〜グルノーブル〜」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「プティ・モン・スニ峠へ」 紀元前218年秋、ハンニバルと象がこの「Maurienneモーリエンヌ渓谷〜Bramansブラマン〜Clappierクラピエ峠 または モンスニ峠を越えた」とする推定もあります。 (トラヴェルセッテ峠のルートに次いで有力な峠と言われています。 【緑実線:クラピエ峠を通過する推定ルート】 が、ここまでのイゼール川〜アルク川のルートは谷も広く、数万人のカルタゴ軍を待ち伏せし、岩を落とし奇襲できるような狭まった地形の渓谷は見当たりません。 また、この先、イタリアに向かっての峠道も、クラピエ峠でなくプティモンスニ峠を越える可能性が高いため、展望・峠の急な下りでの大量死者にも結びつかないような気がします。 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page) |
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