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Tenda -Colle di / Tende -Col de
テンダ(タンド)峠


No.:総合順位
  (-N:追加)
49-6位

Google-Map:44.155792,7.563658
Hight(m):標高 国境の舗装終了ポイント=ジロのゴール点
1830(1795)m
(峠は未舗装でフランス側にある(1871m)。近隣最標高点(1908m)
Alpenpasse:峠名
Valley/Tal:谷名・地名
Tenda -Colle diテンダ峠(伊) / Tende -Col deタンド峠(仏)
・Vermenagna谷(Po流域)
・Roya谷(地中海へ)
Country:国>県>谷> It/Fr:イタリア/フランス
Route-no,
Place:場所
(Motorway=高速:Tunnel=トンネル)
(Map-page-address:*1)
●大分水嶺(北=〜Stura-Di-Demonte〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。南=Ryoya川〜(地中海)
・It/Fr:ニース北東60km:T
・SS20/N204  (83-hd83)

Morti
LanganCadibono
Lombarde
TuriniBraus
Closed/Maximum grade(%)/etc :
道路閉鎖時期/勾配/条件
Tendaテンダ峠(北:イタリア側) Tendaテンダ峠(南:フランス側)Tende-Strasenrunnel(3.2km)トンネルの上の峠。
ニース〜Cuneoクネオ間の「塩の道」であり、アルプスを越える峠。(ニース−Braus峠−Bouis峠−Sospel−Saorge−Tende峠−クネオ)
・イタリア側は舗装されている。最高点は海抜1830m(=地図上。山小屋前の標識は1795mの記述あり)で国境である。Chalet le Marmotteマーモット小屋がある。

・フランス側は未舗装道路である(2010年時点)。峠(分水嶺)まで約1km未舗装道路を行く。フランス側は、短いジグザグ道が続く。
France-side
Impressions:感想:
峠両側の集落・歴史的役割
  ・成立要因推測など
・BC1800年代:青銅器時代からすでに、この峠を通過する交易は行われていた。

・共和制ローマの時代には、ガリア・キサルピナ(北イタリア)とガリア・ナルボネンシス(南フランス)を結ぶ主要な街道がこの峠を通っていた。
nizza1860 【薄茶色+薄緑色+黄色エリア:1388年以降サヴォワ王国領(1720〜サルディーニャ王国領)。⇒薄茶色エリア:1860年フランスに割譲。⇒薄緑色エリア:第二次大戦後の1947年フランス領になる。by wikipedia
・ローマの初代皇帝Octave Augusteアウグストゥス(在位BC63-AD14)によって道の整備もされた。しかし、ローマ帝国崩壊で峠道は荒れた。

・1265年10月:シシリー王に封じられたシャルル・ダンジュー(1227-1285)の軍勢(教皇クレメンス4世の十字軍勧説によって全フランスからリヨンに終結したシャルルの主力軍=騎士6千、騎馬弓射手6百、歩兵2千)が、リヨン→テンダ峠を経てイタリアに侵入。→ミラノなどイタリア各地で多数の「十字軍士」を加え(2万以上)→ローマに移動した。ここで前年海路でローマに入っていたシャルルと1266年1月合流。→2月にシャルルは南イタリアのベネヴェントの会戦でマンフレディを戦死させ、シチリア王国はシャルルの支配下に入った。
・13世紀以降、特にサヴォワ王国の時代、王国内の塩の交易でこの峠は盛んに用いられた。 (by.Route-de-Sel)
・塩街道(Salt-Road):プロバンス・Niceニース-Braus峠-Sospel-Brouis峠-Saorge-Tende峠-ピエモンテ・Turinトリノ:が中世まで続く(5000トン/毎年:1.5万頭のラバを使った)(Michelin-Fr-Riviera:p.227)
・塩運搬におけるギルド(同業組合)の本拠地がTendeにあった。
・Tende峠の西16kmのCol de Fenestre峠(2474m)も使われたが、冬季の雪なども多くわずかの交易量だった。(ニース−Versubie渓谷−St.Martin−Fenestre峠−Valletta渓谷−Cuneo)

・1450年にニース、ジェノバ間のテンダ峠にトンネル建設が始められたが、完成することはなかった。

・1860年、ニース一帯がフランスに割譲され、塩の交易はトリノ〜ジェノヴァルートが中心になり峠は寂れた。(峠付近はイタリア領のまま)
1882年、最初のアルプス越えの自動車道路トンネルが完成。
・列車トンネルも1898年貫通し、1928年開業した。このため、峠は交易にあまり用いられなくなった。

峠詳細図 ・1947年:峠の南側は第二次大戦後、イタリアからフランスに割譲された
 その時、分水嶺より北に国境が制定された(フランス側が広い)。
 峠(1871m)はフランス側に未舗装道路を約1km入ったところにある。

・1953年以降、ツールドフランスのコース。ジロのゴールにもなっている。
・2005/5/27、ジロ・デ・イタリアの第17ステージはテンダ峠を上っての頂上ゴール。

http://www.mikesamuel.com/alps2005/(2005年に未舗装のフランス側からイタリアに走ったサイクリストの記事と写真)
<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK>
2010.6.15(W-Site)

イタリアとフランスの国境が舗装路の終点。
・(地図上は海抜1830m)=(山小屋前の標識は1795m)。
・Chalet le Marmotte小屋がある。ここがジロ/ツールのゴールポイント。
・峠=分水嶺(1871m)は、フランス側(南)に未舗装道を約1km行ったところにある。
−−−−

2007.6.12(T-Site)
フランス側はオフロード悪路で、イタリア側からのみ可能との情報で現地へ。
しかし、イタリア側の峠登り口でイタリアの警官に「オフロードでジープ以外はだめだ」と止められ、今回は断念。ジロやツールが走っているのでokのはずだが・・恨めしいTende峠を見上げる・・将来へ?
トンネル北(イタリア側)でPolisに声をかけられ ジープ以外はだめだと・・ Tende峠を見上げる
<峠付近の花:花の写真図鑑へ
Colle-di-Tenda

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