【v954.jpg:テンダ峠:顔が見える助手席が最初の注意をしたお巡りさん。運転している人が「スゴーイ」多発の・・】 |
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●サヴォイア(サヴォワ/サボア)/サルディーニャ王国と塩の道(Route du Sel)・下に示したサヴォイア家(サヴォイア伯〜公〜王〜サルディーニャ王)の歴史地図を見て判るように、建国の1000年頃は内陸の領地のみでした。 ・1388年、英仏百年戦争参戦の功績でニース地方を獲得し、地中海への接点を持ちますが、その後もジェノヴァ共和国が海岸線を押さえていたため、ニースが唯一の海との交易ルートだったのです。 ・この塩の道の交易量は年間5000トン以上にもなり、18世紀末にはニースで1万8千頭、クネオで1万6千頭のラバが使役に用いられていました。また塩の帰りの荷は、ピエモンテの米や大麻、布などでした。 ・ナポレオン1世失脚の1814年にジェノヴァを獲得し、トリノからジェノヴァの交易ルートが出来るまで、この「ニース〜トンデ峠〜ピエモンテ/トリノ」の塩の道は、サヴォイアにとって命のルートだったわけです。 ・1859年、ナポレオン3世のイタリア独立戦争援助で、サルデーニャ王国からニースとサヴォワ地域がフランスに割譲され、峠を越える塩の交易は寂れたのです。
<関連紀行ページ> ・Chamberyシャンベリー【サヴォワ王国1232年〜1562年の330年間の首都】 ・1814年ナポレオン1世失脚、1859年ナポレオン3世が、イタリア独立戦争援助でサルデーニャ王国からサヴォワとニースを獲得 <塩の道の紀行ページ> ・ニースから、Route du Sel/Salt Road/塩の道を北上 ・ソスペル【Le Pont Vieux古橋は、ニース〜ピエモンテ間の塩街道の橋で、税を徴収。ニース地域の支配関係・歴史年表】 ・タンド峠 ・Royaロワイヤ渓谷〜サオルジュSaorge〜タンドTende(仏)/テンダTenda(伊) −−−−−−−− <塩の道関連サイト> ○http://www.beyond.fr/【Route de Sel詳細な解説】 ○http://amontcev.free.fr/【La route du sel:ニースからピエモンテへ】 |
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