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Sella-Nevea セッラ・ネヴェーア峠(1190m)
 素晴らしく大きなコブの岩です。この峠は、アルプスの分水嶺から考えるとオーストリア側なのですが。【●峠のDBへ

 このイタリア:フリウリ州、ベネト州と、オーストリア:ケルンテン州、チロル州の峠、どんなルートで走るか、どの峠を優先するかが問題です。
[北村 峠一].(eu-alps)      


 プレディル峠をイタリアに入ったところが「フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州、ウーディネ県」。このフリウリ州に入ったのは初めてです。あまりガイドブックなどにも紹介されず、観光客もそれほど多くないところでしょう。だからこそ余計楽しみです。道を左に取り、間もなく左手にLago-Del-Predilプレディル湖が見えてきました。

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【10.jpg:国境に沿って南西に。Lago-Del-Predilプレディール湖が左に見える。】

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【22.jpg:湖から数kmでSella-Neveaの峠、分水嶺には海抜を書いたプレートがみつからない。地図には1190mとあるが。】


 針葉樹・ブナの森の中のなだらかな丘、そこがSella-Neveaセッラ・ネヴェーア峠(1190m)です。 【●峠のDBへ
 この峠はアルプスの大・分水嶺で、東に流れるSlizza川は、Gailjtz〜Gail川〜Drau〜(フィラッハ/クラーゲンフルト/マリボワなどを経由)〜ドナウ川〜黒海に。西に流れるRaccolanaラッコラーナ川は、Fella川〜Tragliamento川〜アドリア海・地中海に流れていきます。 さらに少し西に走ると、前方に大きなスキーリゾート設備が見えてきました。

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【38.jpg:峠の西にはスキー・リゾートの宿泊設備。巨大な岩が山の上に。よく見るとその脇には滑降コースが。岩に隠れた山がM.Canin山(2587m)で、その左の山にはスロベニア・Bovecからスキーゴンドラ設備もあり、将来この一帯は、大スキーリゾートになりそうだ。】

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【5062.jpg:巨大な岩の脇、Ref.Gilberti山小屋にスキーリフトがあり、そこから滑降コースが
急激な傾斜・ジグザグなコースで作られている。
コースの両側には赤のネットが・・・かなり危険なコースのようだ。】
 素晴らしく特徴的な大きな岩が山の中腹にあります。よく見ると山小屋(Ref.Gilberti)にむかってスキーリフトがあり、そこから滑降コースが岩の脇に、急激な傾斜・ジグザグなコースで作られています。そのコースの両側には赤のネットが張ってあり、かなり危険なコースのように見えます。

 ここSella Neveaセッラ・ネヴェーアは、国際的なアルペンスキーの競技会場にもなるところのようです。

 あの岩の向こう側にMonte-Caninカニン山(2587m)があり、あの稜線はスロベニア国境なのです。地図を見ると、スロベニアのBovecボヴェックからスキーゴンドラ設備が何本も張られています。EU加盟のあと、この一帯は国境を越えた(ツェルマット〜チェルビニアや、ツークスピッツェのような)大スキーリゾートになりそうな気がします。

 Sellaセッラの意味を調べてみました。イタリア語の「Sella」は、英語では「saddle-back」・・・「馬の鞍/馬の背」のような意味なのでしょう。それにしてもこの岩、特徴的ですね。
<Friuliフリウリ地域のWeb-Site>
 ・Sella Nevea - Friuli Venezia Julia【付近のガイド、スキーなどの写真】


<関連の書籍・資料>
 ・ 『イタリア旅行協会公式ガイド:ヴェネツィア・イタリア北東部』NTT出版・・【このガイドブック、津々浦々の田舎の村まで記述してあって、ミシュランより中身が濃いと思います。】

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【51.jpg:峠の北側です。白く見える高い山は、Lof-di-Montasio(2793m)、Lof-Fuart(2666m)で、Alpi-Giulie(スロベニア名はJulijske-Alpe)】
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<●イタリア・オーストリア・スロベニア国境の大分水嶺>
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【赤は大分水嶺。国境との差はどうやって発生したのでしょう?】


 ところで、この峠付近は上にも書いたようにヨーロッパアルプスの大・分水嶺なのですが、イタリア・オーストリアの国境線とずれています。

 アルプスの国境を見ると、かなりの場所は大・分水嶺と一致していますが、ここのようにずれている箇所には何らかの歴史的背景があるようです。
「大・分水嶺・峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史」は・・・も参考に)

 ここではどのような経緯があったのでしょう。歴史と国境の変化を調べて図示してみました。

・1919年までこの地は、オーストリア(ハプスブルク帝国)の領土でした。

・第一次世界大戦後(1920年)、敗戦したオーストリアは何箇所ものエリアをイタリア、ユーゴスラビアに渡しましたが、その時点でTarvisioタルヴィジオ付近(青にマークした箇所:古くからの教会や、豊かな森林がある場所)が分水嶺を越えてイタリアに割譲されています。

 その時点で、同じような地形の、ドロミテに近いDobbiacoドッピアーコ付近もイタリアのものになっています。当時のイタリア側の交渉人/政治家/役人が、腕ききだったのではないでしょうか。

 さらに第二次大戦後(1945年)の変化で、敗戦したイタリアからユーゴスラヴィアへの割譲時も、このタルヴィジオ付近はイタリアに残ったままなのです。



 車内でこの「こぶ」のような岩を見ながら、パン・果物の昼食にします。その30分の間に見たのは、一組のサイクリストと、2-3台の乗用車だけ。本当に静かなオフシーズンの峠でした。そして、西にRaccolanaラッコラーナ川を下ります。

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【65.jpg:セッラ・ネヴェーア峠から西にRaccolanaラッコラーナ川を下る。】


<ラッコラーナの先、フェラ川に沿ってポンテッバの町に向かいます・・・・>
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