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【5062.jpg:巨大な岩の脇、Ref.Gilberti山小屋にスキーリフトがあり、そこから滑降コースが 急激な傾斜・ジグザグなコースで作られている。 コースの両側には赤のネットが・・・かなり危険なコースのようだ。】 |
<Friuliフリウリ地域のWeb-Site> ・Sella Nevea - Friuli Venezia Julia【付近のガイド、スキーなどの写真】 <関連の書籍・資料> ・ 『イタリア旅行協会公式ガイド:ヴェネツィア・イタリア北東部』NTT出版・・【このガイドブック、津々浦々の田舎の村まで記述してあって、ミシュランより中身が濃いと思います。】 |
<●イタリア・オーストリア・スロベニア国境の大分水嶺>
ところで、この峠付近は上にも書いたようにヨーロッパアルプスの大・分水嶺なのですが、イタリア・オーストリアの国境線とずれています。 アルプスの国境を見ると、かなりの場所は大・分水嶺と一致していますが、ここのようにずれている箇所には何らかの歴史的背景があるようです。 (「大・分水嶺・峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史」は・・・も参考に) ここではどのような経緯があったのでしょう。歴史と国境の変化を調べて図示してみました。 ・1919年までこの地は、オーストリア(ハプスブルク帝国)の領土でした。 ・第一次世界大戦後(1920年)、敗戦したオーストリアは何箇所ものエリアをイタリア、ユーゴスラビアに渡しましたが、その時点でTarvisioタルヴィジオ付近(青にマークした箇所:古くからの教会や、豊かな森林がある場所)が分水嶺を越えてイタリアに割譲されています。 その時点で、同じような地形の、ドロミテに近いDobbiacoドッピアーコ付近もイタリアのものになっています。当時のイタリア側の交渉人/政治家/役人が、腕ききだったのではないでしょうか。 さらに第二次大戦後(1945年)の変化で、敗戦したイタリアからユーゴスラヴィアへの割譲時も、このタルヴィジオ付近はイタリアに残ったままなのです。 |
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