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col-echelle
【242.jpg:冬季オリンピック・スノボーのバルドネッキア〜エシェル峠〜ブリアンソン】

バルドネッキアBardonecchia
エシェル峠Col de l'Echelle(1766m)【●峠のDB
ブリアンソンBriancon

オリンピックのスノボー・クロスを覚えていますか?ここもハンニバル伝説のある峠。ヨーロッパ最標高の市。

イタリア:ピエモンテ州・トリノ県】【フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)      


 もう一泊、このスーザに泊まろうかとも思ったのですが、あまりに素晴らしい快晴。フランス国境の美しい山にもっと近づこうと西に向かいます。

 2002年に西から見た大きなスロープのある要塞「Forte di Exillesエグジル要塞」は、東側から見ても堂々としています。

chiomonte
【v123.jpg:スーザを出て2kmほどのChiomonteから:右(北)の山手前の渓谷を行ったところが、ハンニバル伝説のある「Col Clappierクラピエ峠(2482m)」】

Exilles Exilles
【v137.jpg:Forte di Exillesエグジル要塞】 【s212.jpg:2002年、西から見た要塞

oulx
【v144.jpg:Oulxウルクスが近づく。正面(南西)にRrs.Charniers(3067m)などフランス国境の山】

Susa
【Susaスーザから西へ、Frejusフレジュス・トンネルモンジュネヴル峠に別れ、Bardonecchiaバルドネッキアへ】
oulx
【v152.jpg:Oulxウルクスでモンジェネヴル峠方向と分かれる。】

 Oulxウルクスが近づくと、午前中の順光を浴びてフランス国境の3000mクラスの岩山が光って見えます。そして鉄道と高速道路の3本が、このバルドネッキアの渓谷を西に走っていくのです。

 この先のトンネル、Frejusフレジュス鉄道トンネルは、1857年着工-1871年9月17日開通した、アルプスに最初に作られた列車トンネルなのです。この工事着工の1857年にはアルプスの西側・フランス側は「サヴォイ王国(サルディーニャ王国)」だったのですが、3年後の1860年フランスに割譲されます。翌1861年、サルディーニャ王国を中心としたイタリア王国が成立、1866年のヴェネチア領のオーストリアからの割譲で、統一イタリアが1870年に完成したのです。そしてその翌年1871年のこのトンネルの開通式は、イタリア・フランスにとって極めて大きな輸送ルートとして盛大なものだったでしょう。そして第一次大戦(1914-18年)ではフランスからの兵士・軍物資が運ばれたはずです。

 20年後の第二次大戦(1939-43年)、ドイツと手を組んだイタリア。アルプスの西のフランスはドイツの占領下にあり、この鉄道トンネルはまたも軍事物資の輸送ばかりか、軍事設備としても用いられたのでしょう。リス峠やスーザの谷のパルチザンの抵抗、今でもここに高速鉄道を開通させることへの反対「TAV高速鉄道反対運動」などが根強いのも、こういった歴史があるからと推測されます。

 第二次大戦後の35年間の平穏な時代、第二のトンネル「自動車トンネル」が1980年7月に開通し、この両国間の幹線ルートはさらにゆるぎないものになり、現在のEU発展のためにも立派な役割を果たしているのです。

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【v159.jpg:Oulxウルクスから鉄道、高速道路に沿って西へ】

●バルドネッキアBardonecchia

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【v184.jpg:Bardonecchiaバルドネッキア入口:左Rocca Bernauda(3225m)、中央の渓谷の先に「Roue/Colle della Rhoルール峠」、右Cima del Vallone(3125m)。右の道を真直ぐ行くとFrejusフレジュス鉄道トンネル自動車トンネル


【バルドネッキアのパノラマ図:by www.ifyouski.com/
 ここが冬季オリンピック・スノーボード会場のバルドネッキアです。「ハーフパイプ」も面白かったのですが、あの「スノーボード・クロス Snowboardcross」迫力ありましたね。今大会から採用された種目、決勝ラウンドでの4人1組の滑りは、まさに格闘技だと感じました。

 ところで、バルドネッキアの北にある「Roue/Colle della Rhoルール峠」はハンニバル伝説の峠なのです。ここがBC218年(2200年以上前)の10月半ば、ハンニバルが象と越え約2万の兵が亡くなった地なのかもしれません。

 さらに1001年には、Brass Diploma III(Ottone III)オットー3世(神聖ローマ帝国・皇帝:996-第一次イタリア遠征/998-第二次遠征) がこの峠を通過。エシェル峠とともにバルドネッキアに記録が残っているといいますから、ますます歴史一杯の地域なのです。

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【v204.jpg:Bardonecchiaバルドネッキアの町】

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【v188.jpg:オリンピック開催の旗、競技会場案内などがたくさん立っていて、町は工事中】


【Bardonecchiaバルドネッキアの北は、フレジュストンネル。Col de la RoueとColde l'EchelleはBC218年のハンニバル通過候補の峠。Colde l'Echelleはオットー3世のイタリア遠征(1001年)記述に出てくる峠。赤の破線は大分水嶺(東Bardonecchia〜DoraRiparia〜Po川、西Arc〜IsereRhone川)で第二次大戦激戦でフランス領になった】

 右の地図を見てください。国境(黄緑)の線の西に、大分水嶺(赤の破線:東側Bardonecchia〜Dora Riparia〜Po川、西側Arc〜Isere〜Rhone川)を書いてみました。実はこの囲まれているエリアは今もフランスが占領している場所なのです。第二次大戦の停戦直前、ドイツ軍と連合国軍の激戦でフランス側が現在の国境まで兵を進め、1947年2月10日モンスニ峠での休戦ラインにそって、フランスとイタリアは和平条約を結び、この領域はフランスになったのです。

 ですから国境は、あの山の上ではなく、裾の傾斜が始まったあたり・・・

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【v210.jpg:Melezet付近。正面l'Aiguille Rouge(2546m)。国境は山の裾野】

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【v211.jpg:Torino県の終わり標識。どうやらここがイタリアとフランス国境のようだが、フランスのカンバンは見えない】

< 関連のサイト>

 ○http://www.comune.bardonecchia.to.it/【Bardonecchiaの村サイト:観光
 ○http://www.lapresse.it/toroc/impianti_bardo_pipe_en.asp【Bardonecchia:Half Pipe - Parallel Giant Slalom - Snowboardcross】
 ○http://www.lowfareflights.co.uk/Bardonecchia.htm【Guide to Bardonecchia, Italian Alps】
 ○http://www.bardonecchia.it/【Bardonecchia】
 ○http://www.comune.bardonecchia.to.it/storia.htm【Bardonecchia】
 ☆トリノ付近のホテル検索【JHC:広域ホテル検索鉄道・コンサートなどオプション
 ☆トリノ付近のホテル検索イタリア全域のホテル:地図から検索も】
●イタリア・トリノ:2006年冬季オリンピック関係




<関連書籍・地図>
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●エシェル峠Col de l'Echelle(1766m)【●峠のDB

 標識は無いのですが、フランス側に入りました。イタリアのガイドブックによるとここは私有地、ミシュランのWeb地図でも「通行止め」のマークが入っていますが、スーザの宿でも確認したし、ネットなどでも特に規制はないようなので大丈夫でしょう。

 峠の標識の1kmほど前に一番標高が高い場所<●Le Mauvais Pas(1779m)>があります。Touring-Club-Italianoの地図によると1778m。エシェル峠より16m高いのですが、なぜか「峠」の標識はありません。

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【v212.jpg:左にEchelleエシェル峠、右Etroite渓谷】

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【v225.jpg:峠の標識の少し前で、一番標高が高い場所がある。Touring-Club-Italianoの地図によると1778m。その西側風景】

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【v234.jpg:東側風景】

 そして「Col de l'Echelle - エシェル峠/Colle della Scalaスカラ峠」に到着です。【●峠のDBへ
 Echelleはフランス語で「梯子はしご、目盛、階級、度合」などの意味。さてどの意味?・・。前にも書きましたが、ここもハンニバル伝説、オットー3世遠征の峠なのです。

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【v242.jpg:そして峠の標識は1762mと、先ほどより16m低い】

col-echelle col-echelle
【v246/v248.jpg:Nevache村が見渡せる。大きなスポーツ施設らしいものがあるからスキーリゾートだろう】

col-echelle vachette
【v252/v263.jpg:la Vachetteの村の先でブリアンソンへの道と合流】

 道はモントジェネーヴル峠からの道に合流し、モンスニへと向かいます。

brianson brianson
【v281/v288.jpg:村の先で幹線道路と合流、僕たちは右(西)ブリアンソンに向かいます。遠方丘の上に見えてきた砦群が】

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●ブリアンソンBriancon

brianson
【4065.jpg:ブリアンソンの写真は、たったこの1枚だけ。MOの中を探したのだが・・建物間の狭い道路と排水溝(Grande Gargouilleグランド・ガルグイユ)が印象的】


 市としてはヨーロッパで一番高いところにある「Brianconブリアンソン」の写真は右のたった1枚だけです。

MOの中を一生懸命探したのですが・・
バルドネッキア、エッシェル峠もデジカメの写真は消えてしまったのですが、ビデオカメラからのキャプチャー映像で何とかカバーしました。ところがこのブリアンソンではビデオを撮らなかったのです。

・・そして妻のカメラのたった一枚だけ・・悔しいですね。町の感想もMOの中に消えてしまったようです??
Susa
【Brianson〜モンジュネヴル峠〜Susaスーザ】

●ブリアンソンBriancon

・標高約 1,326mで、ヨーロッパで最も標高の高い都市
・古代ローマのドミティア街道が、イタリアとスペインを結んでおり、この古代名「ブリガンティオ」の都市を経由していた。
・フランスアルプスの峠の一つ、Monginevroモンジネーヴロ峠(1850m)は古代ローマ以前から使われていて、ブリアンソンも通過していた。
・要塞都市としての豊かな歴史。 17 世紀に軍事技師ヴォーバンによって設計されたこの都市の要塞は、2008年にユネスコの世界遺産に登録。ギレストリーの「Mt-Douphinモン・ドファン」と共に
・城壁、要塞、要塞門は、当時の軍事建築。
   
 【Google-MapsのBriancon航空写真・3D】【Net情報】

 ○https://en.wikipedia.org/wiki/
 ○http://briancon-vauban.com/
 ○https://www.pariszigzag.fr/
 ○ブリアンソンの歴史


< 関連のサイト>

 ○Nevacheネヴァシュ【Echelle峠の西の村】
 ☆フランスアルプスのホテル検索フランス全域のホテル:地図から検索も】
 ☆シャモニー付近のホテル検索【JHC:広域ホテル検索鉄道・コンサートなどオプション

<関連書籍・地図>

ツールドフランス
ロンリープラネット:フランス
Franceの地図
ブリアンソン関連の地図・洋書


<7年ぶりのラ・グラーブに向かいます・・ >
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