[峠マルチ索引]
[1位-
10-
20-
30-
40-
50-
60-
70-
80-
90位-
1000m未満
歴史/登山峠
トンネル]
[街道]
[大分水嶺]
[山岳鉄道]
[世界遺産]
[国立公園]
[アルプスと歴史]
[解説]
C. de la Roueルール/Colle della Rhoロー(ハンニバル伝説の峠) |
|
No.:総合順位 (-N:追加) |
登山峠n006-2 | Hight(m):標高 | 2541m | Alpenpasse:峠名 Valley/Tal:谷名・地名 |
C. de la Roueルール峠(仏)/Colle della Rhoロー峠(伊) | Country:国>県>谷> | Fr:フランス:イタリア国境 | Route-no, Place:場所 (Motorway=高速:Tunnel=トンネル) (Map-page-address:*1) |
●大分水嶺(東=Bardonecchia〜Dora Riparia〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。西=Arc〜Isere〜Rhoneロ−ヌ川〜(地中海) ・フレジュストンネルの西、約5km 45.114723,6.642952 (63-Gf77?) |
Closed/Maximum grade(%)/etc : 道路閉鎖時期/勾配/条件 |
・自動車道路ではない=登山のみの峠 |
Impressions:感想: 峠両側の集落・歴史的役割 ・成立要因推測など |
●BC218年(2200年以上前)ハンニバルが象と越えた峠の候補。詳細はこちら参照 (Googleマップでルート確認)
■記述者:記述者:ペラン(モーリエンヌ〜:1887年)、Pアザン(モーリエンヌ〜:1902年)、Jコリン(モーリエンヌ〜:1904年)、スペンサー・ウイルキンソン(モーリエンヌ〜:1911年)、Hフェラン(モーリエンヌ〜:1925年) ■解説:フランス側の登り道は無理はなく、イタリア側の下りは極めて厳しい場所を通過したことになり、説得力ある。ただしアルプスに登り出しての第一の奇襲峠の説明、すぐ隣の小モンスニ峠になぜ行かないのかの説明が不十分か?。 ●古代、スーサ渓谷とモリエーヌ間をつなぐ山道の一つであり、いくつかのローマの硬貨が発見されている。 ●Colle della Rhoは、1001年のBrass Diploma III(Ottone III)オットー3世(神聖ローマ帝国・皇帝:996-第一次イタリア遠征/998-第二次遠征) がここを通過。エチェル峠とともにバルドネッキアに記録が残っている。 ○http://www.comune.bardonecchia.to.it/storia.htm ○http://www.peveradasnc.it/mtb/percorsi/vsiter/boriog/MTB_RhoValleStretta.htm【峠風景】 |
<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK> 参考:バルドネッキアからの展望・・中央の渓谷の先 2002.6.23 |
<峠付近の花:花の写真図鑑へ> |
<峠付近の宿情報> ○付近の宿検索 Booking.Comヨーロッパ:アルプス山脈エリア・宿予約 |
●EU-Alps 峠の茶屋: 掲示板:問合せなども |
●旅のGET: |
|
[峠マルチ索引]
[1位-
10-
20-
30-
40-
50-
60-
70-
80-
90位-
1000m未満
歴史/登山峠
トンネル]
[街道]
[大分水嶺]
[山岳鉄道]
[世界遺産]
[国立公園]
[アルプスと歴史]
[解説]
|
|