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Guillestre ギレストル

この地を進軍した状況ハンニバルは?

ギル川とデュランス川の合流・渓谷の街。古代から交通の要地。象を用いた戦闘の歴史も?・・

   【フランス:プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方(オート=アルプ(05)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      



【赤太線:過去にGuillestreギレストル付近を走ったルート】

●Guillestreギレストルは、古代ローマ以前からの交通の要地です
Domitiaドミティア街道:BC500年ころにはすでにルートがあった。
 北へ:イタリア(ブリアンソン − モン・ジュネーヴル峠 − イタリア・トリノ)
 南西へ:アンブラン − GAP・デュランス川 − 南仏アルル方面 − 。 ・GAP − ヴァランス・リヨン方面 − スペイン

峠を結ぶ起点
 ・北東:イゾアール峠ブリアンソン〜イタリア
 ・東:トラヴェルセッテ・トンネル〜イタリア:・・ハンニバル(bc218年)の時代から
 ・東南:アニュエル峠〜イタリア
 ・南:ヴァール峠ラルシュ峠〜イタリア・・1515年フランソワ1世がイタリア戦争で

●過去にGuillestreギレストル付近を走ったルート
 ●1998.7.2:Col d'Izoard(2361m)⇒★ギレストル⇒Mont-Dauphin⇒Embrun⇒Barcelonnetteバルスロネット
 ●2002.6.18:Col de Vars ヴァール峠⇒★ギレストル⇒Combe du Queyrasケーラス渓谷⇒Ristolasリストーラ
  (●参考:イタリア⇒アニュエル峠⇒⇒Abriesアブリエス(★ギレストル手前で)⇒Col d'Izoardイゾアール峠)
 ●2010.6.20:Lac-de-Serre-Ponconポンソン湖⇒★ギレストル⇒Mt-Douphinモン・ドファン⇒Puy-St-Vincentピュイ・サン・ヴァンサン
 ●今回:2019.6.22:Gap⇒Ponson湖⇒Risoul1850 リスル⇒★ギレストル⇒Melezetメルゼ谷⇒Queyrasケーラス渓谷⇒Abriesアブリエス

●町の地図(広域)(中心部)
  
【左:広域図。  右:中心部地図(赤囲み部の拡大) @〜Eは以下の説明場所】


【右下にはギレストルの街、教会の塔なども。@〜Eは以下の説明場所】

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●Risoul リスルを下り、Guillestreギレストルの町へ・・@

【リスルの丘を下り、ギレストリの町へ。 市街地への入口付近】

●裏道-1・・A

【市内の駐車場を見つけ・・裏道を散策】

●教会:Notre Dame de Aquilonアキロンのノートルダム教会・・B

【この教会に入ったのは3回目・・外側】
●教会:Notre Dame de Aquilonアキロンのノートルダム教会
・1507年に建造された。
・ローマ・ロンバルド様式のこの建物は、地元の採石場から採掘されたピンク色の大理石で部分的に建てられており、その独特の外観を保っている。
・ポーチ「レアル」は、休んでいるライオンで飾られた柱でしっかりと守られている。
・16世紀の記念碑的な彫刻が施されたドアと驚くべき錠前を備えた半円形の入り口ゲート。
・壮大な3階建ての正方形の鐘楼は、南側のファサードに日時計で飾られている。
・内部には、18世紀の錬鉄製の聖体拝領台がある。
・この教会には、象を用いた当時の戦闘の歴史に関連する装飾があるとも言われている。この町自体も、青銅器時代からの居住の遺跡が見つかるほど古い歴史を持っており、ハンニバルの伝説と結びつけられている。
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<教会内部>


【教会内部】
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●市街中心部:広場・噴水・・C
La place Albert.アルバート広場 アルバート将軍の記念盾
jean-baptiste-albert-net ●Joseph jean baptiste bon ALBERT ジョゼフ・ジャン=バティスト・アルベール
・Joseph jean baptiste bon ALBERT ジョゼフ・ジャン=バティスト・アルベール(1771-1822):ギレストル生れ。
・フランス革命時の大佐
・皇帝ナポレオン1世支配のフランス第一帝政時の少将。ロシア遠征時の師団長。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Joseph_Jean-Baptiste_Albert
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●市街東部:広場・Info・・D
La place Salva.サルバ広場
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●Eygliers watchtowerエグリエの監視塔・・E

【エグリエの塔】
●Eygliers watchtowerエグリエの監視塔
・要塞建築物。歴史的建造物に登録
・1392年に建てられ、15〜17 世紀に何度か改修され、現在の姿に。
・この都市の古い中世の城壁の名残の一つ
・12世紀の城の遺跡は、この塔とともに見ることができる。
https://lequeyras.com/en/offers/tour-deygliers-guillestre-en-3260218/
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●Guillestreギレストル 全体情報
・ギレストルの町は平均標高 1,000m。
・ギル渓谷の左岸に位置し、デュランス川との合流点の直前。
・Queyrasケイラス渓谷への玄関口に位置する。
・この町は、イゾアール峠、ヴァール峠、アグネル峠の交差・出発点。かつアンブランとブリアンソンの間の交差点。
<その他の見どころ>
・14世紀、15世紀、16世紀に建てられた街の防護壁の遺跡が、城壁や多くの入り口の門とともに残っている。
 14世紀のサント・カトリーヌ、14世紀のサン・エスプリ、16世紀のサン・ルイ、16世紀のサン・ジャンなど、すべて聖人の肖像が置かれている。
・Guillestreの狭い通りを歩くと、色々なことを発見できる。
  アルバート広場にある16世紀の家々。
  小塔と彫刻が施されたドアのある16世紀の家。
  16世紀のハイハウス。
  18世紀と20世紀の2つの日時計。
  いくつかの広場と正方形の噴水と絵のように美しい路地。
  懺悔者の礼拝堂:胸の彫刻XVIe.
  ノートルダム・デ・ネージュとサン・トゥールの礼拝堂。
  シャペルサントマリーBramousse。  など

https://www.france-voyage.com/tourism/guillestre-1333.htm
https://fr.wikipedia.org/wiki/Guillestre
https://www.beyond.fr/villages/guillestre.html

<Ceillacセイヤック村のある Melezet メルゼ谷(Cime du Melezet シム・デュ・メルゼ) へちょっと立ち寄って・・>
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【赤色:ガ峡谷〜グリモーネ峠〜ベーヌ〜ガップ〜ポンソン:ハンニバル軍推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-012)


●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex

 ・前のポイント=001:生誕〜ローヌ川着
 ・前のポイント=002:ローヌ渡河+渡河戦
 ・前のポイント=003:ハンノの分遣隊ルート
 ・前のポイント=004:「島」
 ・前のポイント=005:ドローム川に沿い
 ・前のポイント=006:Dieディの前まで
   <006a:Crestクレス付近(2002年紀行)>
 ・前のポイント=007:Dieディ
   <007a:Dieディ(2002年紀行)>
 ・前のポイント=008:Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア
   <008a:シャティヨン・アン・ディオワ(2002年紀行)>
 ・前のポイント=009:Gorges-des-Gatsガ峡谷

   <009a:Gorges-des-Gasガ峡谷(2002年紀行)>
 ・前のポイント=010:Glandageグランダージュ〜Les Maillefauds レ・マイユフォー〜La Viereラ・ヴィエール
    <010a:Glandageグランダージュ(2002年紀行)>
 ・直前のポイント=011:Col de Grimoneグリモーネ峠〜ベーヌ〜Gapガップ〜Ponconポンソン〜アンブラン
     <011a:グリモーネ峠> <011b:セール> <011c:ガップ> <011d:エスピナス> <011e:ポンソン(2002年紀行)>
  ↑↑
★このページ=012:Guillestreギレストル
    <012a:ギレストル(1998年紀行)> <012b:ギレストル(2002年紀行)>  <012c:ギレストル(2010年紀行)
  ↓↓
 ・次のポイント=013:Queyrasケーラス渓谷〜:戦闘〜Chateau-Queyrasシャトー・ケーラス(城砦)〜Ville-Vielleヴィル・ヴィエイユ〜Aiguillesエギーユ〜
    <013a:Queyrasケーラス渓谷(2002年紀行)>  <013b:Chateau-Queyrasシャトー・ケーラス(城砦)(2002年紀行)〜>


<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・ハンニバルの全軍がガップ付近(BC218年10月18日頃)を進攻中、部族の長老らが「友好の挨拶」に来、イタリアに向かう山への道案内と食料提供を申し出た。ハンニバルは人質を条件に受け入れ「デュランス川」にそって前進。
・ポンソン・アンブラン付近(10月19日頃)を通過したあと、「デュランス川」を離れ、東に「ギル川」に沿いギレストル(10月20日頃)付近を通過したと推定します。


【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)、安全なルート(緑点線)】
・軍の規模は、歩兵3.6万人、騎兵7.3千騎、象35頭。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は4-5千頭、使役0.5-1.5千人。

<疑問>
・なぜアルプス越えの人通り・実績が多い「北に向かうデュランス川ルート」を離れ、危険一杯・山深い「東へのギル川ルート」を進んだのでしょうか??

【リスルから見た「デュランス川の谷」と「ギル川」方面の風景】

・それこそ、3日ほど前「枝と花輪」を持って挨拶に来た、道沿いの部族の計略だったのでしょう。人質を差出し、家畜などの食料を提供し、イタリアへの道案内をした彼らの狙いは、ハンニバル軍が持参している多量の財産(家畜・武器など)だったと想定されます。
・多分「北のモンジュネブル峠の先にはローマ兵が待ち構えている・・」とか
 「イタリア・ローマの方角は東。安全にアルプス出来る道・・」などの言葉があったのだろうと・・思われます。



●ハンニバルの象の種類など
3種の象と馬の大きさ
 【3種の象と馬の大きさ(肩高)】
   貨幣のアフリカ象    貨幣のアフリカ象・象使い    貨幣のインド象
 【左:カルタゴの貨幣に描かれたマルミミ象、中:象と象使い(BC220年)、右:エトルリアの貨幣のインド象(BC217年)】

 ハンニバルは40頭ほどの象を率いて戦いに出ましたが、その象の種類は、マルミミ象(アフリカ象の亜種)と、インド象と想定されている。

<象の種類と特徴>
・アフリカ象:肩高3-3.5m、重さ6-7.5ton・・・耳大きい、背中の中央低い、アフリカ・サハラ砂漠の以南のサバンナに住む。

・マルミミ象(アフリカ象の小型の亜種とも言われる):肩高2.1-2.4m・・・耳はアフリカ象の1/2、西アフリカの森林に住む。

・インド象(アジア象):肩高(雄)2.7-3m、重さ4-5ton・・・耳はアフリカ象の1/3、背中丸い、アジア南部。

 貨幣に刻まれた象の大きさなどから、ほとんどはマルミミ象(アフリカ象の小型の亜種)。そして数頭のインド象がいたようである。最後まで生き残ったハンニバル乗用の象「スールス(シリア人)」はインド象とされる。

 象の平均寿命は50-70歳。おとなしく、アフリカ象といえども凶暴ではなく(雄の発情期は危険)、象使いの指示で家畜や軍役に用い得た。馬(肩高1.2-1.7m)での戦いにも、象は高く巨大なため、敵を威嚇するためにも有効であった。

<象を用いた当時の戦闘>
・BC4世紀、ペルシャ王Dariusダレイオスは「インド人にならって、象を兵器にはじめて使った司令官」といわれる。
・BC326、「パウラヴァ王国のPorusポルス王」は大象に乗り、300頭もの象を駆使してアレキサンドロスを悩ませた。
  Alexanderアレキサンドロス大王は、インド象をエジプトに連れ帰り定住させた。さらにアフリカ象も捕らえ馴らすようになった。
・BC321-312、Ptolemyプトレマイオス1世は、ペルディッカスの軍象を何頭か捕らえた。ガザで象43頭を捕らえる。
・BC280、Pyrrhusピュルロスがローマに侵攻、象20頭を用いた「Heracleaヘラクレアの戦い」。
・BC246-241、Ptolemyプトレマイオス3世は第3次シリア戦争でセレウコスを破り、多数のインド象を手に入れた。
・BC217、「Raphiaラフィアの戦い」でエジプト軍(マルミミ象=アフリカ象の小型の亜種=73頭)と、シリア軍(インド象102頭)
  が戦う。エジプト軍(プトレマイオス2世)が勝ち、インド象を入手、ハンニバルに贈った。

 このように、当時の戦いで象を用いることは珍しいことではなかった。
ただ、戦いで狂いたった象は、敵・味方双方に害を与えたため、アレクサンドロスなどは自軍に象部隊を使わず、荷役のみとしていた場合もある。



■参考資料:
ポリビオス(BC200-118)の記述
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
本:『『アフリカ象とインド象』實吉達郎著 光風出版1994.10
本:新潮文庫:『ローマ人の物語「すべての道はローマに通ず」上:No.27 p.177〜』塩野七生:(SN-page)
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)

https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻:52-1〜】
https://omnesviae.org/#【OmnesViae:Roman Routeplanner:Google-Mapsにポイティンガー図を展開】
動物日和:名月子店【6種のゾウ:日本では全種に会える!見分け方を写真で解説。アジアゾウ・アフリカゾウ・マルミミゾウ】

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