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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
●Dieディの町に2019.6.19〜2泊しました。 |
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●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。●前のポイント「Crest」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「St.Roman/Chatillon」【広域推定ルートの地図(緑ルート)】
・約4カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川をさかのぼり、支流のドローム川にそって東へ。 ・ローヌ川のブランクス部族が、山岳ガイドと護衛をこの付近まで提供したため、この付近でも大きな戦闘はなかった。(J-p116)。 <この地のハンニバル> ・この地点でのハンニバル軍の規模は、歩兵3.7万人、騎兵8千騎、象34頭 (アルルでの規模から若干減=歩兵:スキピオ軍との戦いや、急な川の流れで)(H-p177)。 ・ハンニバルが、このディ付近を通過したのはBC218年10月10日頃。イタリア国境の峠越えまで16日。(アルプスの登り口まで1日ほど前:一日の行軍距離平均14km) ・当時この地は、ウォコンティ族(ゴールの諸部族のひとつ)の勢力範囲。ディ司教区であり、ヴェルコール山岳地帯を含む地域(G-p58)。 <行軍の町や村への影響> ハンニバルの数万人の軍が移動したルートの村は、大量の食料提供で冬を越す食料すらなくなったと思われます。 ここディは、司教区があった大きな町だったし、秋の畑の農作物や、山の果実の収穫期でしたが、町の1〜2カ月分に相当する食料を提供したことでしょう。 (必要食料/日=25ton=約5万人*500g/1日1人当り食料・・・4000人規模の町の約1月分以上) 10月はじめ、黄葉にはまだ早い時期ですが朝夕は冷えます。屋外での野営はマントに包まって寝ても寒かったと思われ、周辺の枯れ木を燃やして暖を取ったのでしょう。炊事に使う火も考えると・・・1kg/日人なら50ton=4tonトラック13台分!!・・・ちょっとした林がなくなる量でしょうね。
【Die ディ周辺の推定ルート地図(緑ルート)】 ●前のポイント「Crest」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「St.Roman/Chatillon」 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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