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【SerresからCabre峠へ】 |
●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。●前のポイント「Grimone峠」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Gap」<ここまでの経緯> ・Dieディから、Gasガ渓谷〜Grimoneグリモーネ峠〜経由でこのSerresセレの村に到り、Gapガップへは東にむかいます。 ・この地点を通過したハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭です。 (歩兵2千300人、騎兵400、象8頭が「ガ渓谷」の奇襲で死んだのです。) <この地のハンニバル> ・紀元前218年10月12-13日頃のこと。イタリア国境の峠越えまで残り12日です。 ・ハンニバル軍は、ここSerresセレ村周辺で丸1日滞在しました。 ・この滞在地で全軍の3日を養える穀物と牛などの食料を手に入れました。 ・この村で、今回の襲撃や、それ以前に略奪された多くの軍需品を取り戻すことができ、さらに何日かの間に山岳族に捕らえられていた戦友を発見したといいます。 ・山岳族を打ち破ったという情報が近在の部族に伝わり、以降しばらく、自分たちの土地を通過するハンニバル軍を攻撃する部族はいなくなったといいます。
グリモーネ峠を通過したハンニバル軍は、このセール村周辺に到達し物資を獲得し、さらに1日留まりました。襲撃された軍を立て直す必要があったからでしょう。 ところであらためて地図を見、ルートを描いて見ると、なぜハンニバル軍はCabreカブール峠の容易なルート(紫色点線)を取らなかったのかという疑問が浮かびます。 Claps〜Cabre峠のルートのほうが距離も短く、襲われるような渓谷もなく、峠の高さも勾配なども容易です。(Claps〜Cabre峠の道路・峠状況はここを参考に) なぜ難しいグリモーネ峠のルートを取ったかを想定すると、「やさしいルートを知らなかった」場合と、「知っていた」場合に分かれます。 まづ、「容易なルートの情報が入手できなかった」場合を考えると、 Dieディ付近までの案内人は帰ったとの記載があることから、自軍の斥候による調査では地元民との言葉の問題などがあった。さらにその村人すら、ハンニバル軍が行こうとするイタリアへのルートを知らなかった。または教えた地元民が、実は襲撃したアプロゲス族と結託していた、などが考えられます。
各種資料などから推測すると、最初の「容易なルートを知らなかった」ほうの可能性が大きいようです。そして3000人近い戦死者を出してしまったのです。 ●前のポイント「Grimone峠」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Gap」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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