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Orangeオランジュ〜Aigues/Eyguesエーグ川〜Mornasモルナス

この地を進軍した状況ハンニバルは?

「島」と呼ばれる肥沃な緑の地で、ハンニバルは王権をめぐる抗争を収拾し・・

フランス:PAコート・ダジュール地方(Vaucluseヴォクリューズ(84)県】  [北村 峠一].(Kitamura)      


【アヴィニョンからエーグ川へ】


【赤線:走行ルート:ローヌ川を上流へ 】
2019/6/19(水)

●アヴィニョンから北へ・・またローヌ川を渡って(ローヌ川の東岸⇒西岸)・・


【】


【ローヌ川を西に渡り中洲に】


【中洲からローヌ川を西に渡る。対岸は採掘の丘】


【鉄道の下】

−−−

●Roquemaureロケモール〜



【Roquemaureロケモール方面へ】


【】


【このあたりが、あの候補の渡河の場所?】

●ローヌ渡河と推測する場所は多数ありますが、ここRoquemaureロケモールは、あのナポレオン(1816年)はじめ多数の人が推測しています・・・ローヌ川を渡った地点は川が1本、幅800m、浅い緩い・・ただしここで渡河したとすると、以降のルートは「イゼール川〜モンスニ峠/クラピエ峠/小サン・ベルナール峠〜イタリア」で、私が有力と考えるルート「ドローム川〜トラヴェルセッテ峠〜イタリア」とは異なっています。

  ⇒Roquemaureロケモール説=ナポレオン(1816年)+JA・ド・リュック(1818年)+ルトロンヌ(1819年)+GLウィッカム(1820年)+ダーバン(1821年)+ラローザ(1826年)+WJロー(1866年)+エンベール(1878年)+オリヴィエ(1889年)+ドッジ(1891年)+フクス(1897年)+WHバロック・ホール(1898年)+フレッシュフィールド(1914年)説:(G-p135-138)


【ローヌ川を東に渡り】

−−−

●Orangeオランジュ近郊((ローヌ川の西岸⇒東岸))〜



【OrangeのIntermarcheで給油】
ハンニバル軍は、ローヌ渡河後4日間、休みなく行進し「island 島」と呼ばれる場所に到着しと記述されています(P:p306)。そこは二つの川と丘で囲まれた三角形の土地で、人口密度が高く、非常に肥沃な地であったと推測され、ローヌ川、エーグ川、バロニー山岳地帯で囲まれた三角地帯、このオランジュ近郊と考えられます。


【ローヌ川を渡ると、PAコート・ダジュール地方、Vaucluseヴォクリューズ県、Orangeへ】

ガソリンだけを給油して・・33.58L、@1.409eur/L(当時の為替124円/eur⇒175円/L)

【OrangeのIntermarcheで給油】

●Orangeオランジュ


・古代名:Arausioアラウシオ/Arvsione
https://fr.wikipedia.org/wiki/Orange_(Vaucluse)
https://fr.wikipedia.org/wiki/【ヴォクリューズ県の歴史:ロケモール渡河説の記述あり】

−−−

●Aigues/Eyguesエーグ川:「島」〜


「island 島」の場所はオランジュの郊外・・「Aigues/Eyguesエーグ川」がその地を特定する重要なキーワードだと、大英博物館館長だったG・ビーアが1955年に力説しています。
その川の名は「スカラス川/アラル川・・・」と古代のポリュビオス、リウィウスが書き、「イゼール川/ソーヌ川」だろうと後代の人たちが推論し・スカラスはエーグ川だとG・ビーアが証明したのです。 (G-p33-46)。

そのエーグ川とローヌ川に囲まれたこの場所は、肥沃な緑の地でした。そしてトリカスティニ族のふるさとでした。


【ラベンダー畑】


ラベンダー畑】


ブドウの挿し木


【農家】

Aigues/Eyguesエーグ川の方向に回っている途中で、遠方の東に★2002.6.3に走った・・ツールで有名なMt.Ventouxヴァントウ山が見える。
●植物図鑑<2019.6.19:花の写真一覧>も参考に。


【遠方にツールで有名なMt.Ventouxヴァントウ山が見える】


【Aigues/Eyguesエーグ川】


【Aigues/Eyguesエーグ川】 【エニシダ


【○Malva sylvestris L. ゼニアオイ/or? Malva nicaeensis All.とカタツムリ
−−−

【G・ビーアの推定ルート】

●Mornasモルナス〜トリカスティニ族Tricastin」の都市?


「島」で内戦を終結させてから、ハンニバル軍は東にあるアルプスに真っすぐ行く道を取らず、東に折れ 、「トリカスティニ族」の土地に入り、ウォコンティ族の土地のずっと端を通ってトリコリィ族の土地に入り、デュランス川に進軍した。
St-Paul-Trois-Chateauxサンポールトロワシャトーは「トリカスティニ族」の中心の村だという。


【Mornasモルナスの岩山が】


【そして教会が】


【Mornasモルナスの要塞】

mondragon この付近にもローヌ渡河地点の説「Pont-St-Espritポン・サン・エスプリ/ポン・サン・テプリト〜Mornasモルナス/Mondragonモンドラゴン」があります。
「Mondragonドラゴン山」なんて、Tarasconタラスコンの「怪物タラスクス」にどこか共通点がありますね。


<関連URL>
https://www.mornas.fr/【la-forteresse-de-mornas】
https://fr.wikipedia.org/wiki/【Saint-Paul-Trois-Chateaux】
https://fr.wikipedia.org/【wiki/Mondragon】
https://www.provenceweb.fr/【モンドラゴン:伝説の獣は村の上の崖に住んでいて、ローヌのほとりに出没した】
https://www.golanguedoc.com/【南フランスで最高のフェスティバル】



<⇒さらにローヌ川をさかのぼり・・ >

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【茶色:ローヌ川渡河・関連のハンニバル軍推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-004)






●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex


 ・前のポイント=001:ハンニバルの生誕〜ローヌ川着(サン・ジル付近)
 ・前のポイント=002:「ローヌ渡河+渡河戦」(タラスコン付近)
  ↑↑
 ・直前のポイント=003:「ハンノの分遣隊ルート」(アヴィニョン付近)
  ↑↑
★このページ=004:「島」 (エーグ川)(オランジュ付近)。「ローヌ渡河地点=Roquemaureロケモール説+Laudun-L'ardoiseラルドワーズ説」
  ↓↓
 ・次のポイント=005:ローヌ川を離れドローム川沿いアルプス方面に(ロリヨール付近)


<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・BC218年10月1日頃、エーグ川を渡り「島」に到着。
・軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵7.7千騎(ローヌ渡河戦などで200人強を失った)、象37頭(G-p49)/0)。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は、7-8千頭+民間人1-2千人。

○ローヌ渡河地点の各説:Roquemaureロケモール〜Chateaunef-du-Papeシャトーヌフ間説
  ⇒●ナポレオン(1816年)+JA・ド・リュック(1818年)+ルトロンヌ(1819年)+GLウィッカム(1820年)+ダーバン(1821年)+ラローザ(1826年)+WJロー(1866年)+エンベール(1878年)+オリヴィエ(1889年)+ドッジ(1891年)+フクス(1897年)+WHバロック・ホール(1898年)+フレッシュフィールド(1914年)説:(G-p135-138)
  ⇒この地が渡河の可能性はx:ローヌ川を渡ったのは「海から歩いて4日の距離」。(P-p296)・・であり、この地点は距離が遠い。(@14km/日x4日≒56kmの距離⇔この地は海から直線で約72km)

○ローヌ渡河地点の各説:Laudun-L'ardoiseラルドワーズ〜Orangeオランジュ間説
  ⇒Pアザン(1902年)+Gマンティエ(1944年)説:(G-p138)
  ⇒この地が渡河の可能性はx:ローヌ川を渡ったのは「海から歩いて4日の距離」。(P-p296)・・であり、この地点は距離が遠い。(@14km/日x4日≒56kmの距離⇔この地は海から直線で約72km)

○ローヌ渡河地点の各説:Pont-St-Espritポン・サン・エスプリ〜Mornasモルナス/Mondragonモンドラゴン間説)
  ⇒ペラン(1887年)+W・オジアンダー(1900年)説:(G-P137-138)
  ⇒この地が渡河の可能性はx:ローヌ川を渡ったのは「海から歩いて4日の距離」。(P-p296)・・であり、この地点は距離が遠い。(@14km/日x4日≒56kmの距離⇔この地は海から直線で約83km)


【ガリアの種族とその場所】
●「島」
 ・ローヌ渡河後4日間、休みなく行進し「島」と呼ばれる場所に到着した。(P-p300)
 ・二つの川と丘で囲まれた三角形の土地で、人口密度が高く、非常に肥沃な地であった。
  =・ローヌ川、エーグ川、バロニー山岳地帯の三角地帯だろう。 (G-p33-46)(J-p115)

 ・ハンニバルはエーグ川を渡り「島」に着き、そこでは2人の兄弟同士が王権をめぐる内戦をしていたが、兄のブランクスに味方し、弟を追放した。

 ・内戦の収拾後、兄ブランクスは謝礼として、軍の再装備(食料・武器を新しいものに・防寒着・靴提供)をし、冬に向かうアルプス越えの装備を一新してくれた。

 ・さらにブランクスは、アロプロゲス族Allobrogesから護るため(ハンニバルが、ガリアのアロプロゲス族の土地通過を不安に思っていたので)、安全にアルプスの麓まで行軍できるよう、ハンニバル軍の最後尾の護衛を付けてくれた。(G-p33-54)(P-p306=第3巻49)


アロプロゲス族のエリア

●ガリアの種族とその場所
 ・当時の推定地図(・・と同じと推定されるので)

Allobrogesアロプロゲス族【 イゼール川の北。現代のリヨンとジュネーブの間のガリア人】
Segalauni/Segovellaunesセガラウニ/セゴヴェローヌ族【ヴァランス周辺(アッロプロゲスの南、カヴァレスの北)のローヌ渓谷に位置するガリア人】
Tricastiniトリカスティーニ族【ローマ時代に、現在のサンポールトロワシャトーの近くにある現代のトリカスティン地域に住む小さなガリア族】
Cavariカヴァリ族【ローマ時代の現在の都市アヴィニョン、オレンジ、カヴァイヨン周辺(ボークリューズの西部)に住むガリア人】
Voconces/ラテン語 Vocontiiヴォコンティ族【プレアルプに定住したガリア人の連合体】
Tricorii/Tricoresトリコリイ族【南アルプスに住むナルボンヌゴール出身のケルト人-リグリア人。「3つの軍隊」の意味】

■参考資料:
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻】
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)



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