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St.Gillesサン・ジル〜ローヌ川沿い

この地を進軍した状況ハンニバルは?

 2019年の旅の本目的、ハンニバルのルート・トレースが始まります・・

   【フランス:フランス:Languedocラングドック地方(Gard(30)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      



【ローヌ川河口のハンニバル軍の推定ルート】

<2019年の旅の目的>

今回の旅の目的は 「ハンニバルと象のアルプス越えルートを、完全トレースしたい!!」 なのです
・・・ようやくこのページから旅の本目的のルートが始まります。

ハンニバル・バルカ(28才)が、軍:歩兵9万・騎兵1.2万・象約40頭とカルタヘナを出発したのが、紀元前218年5月末。ピレネー山脈を越え、南フランス・ローヌ川まで約4カ月で1,220km。行軍ルートは右地図だと歴史家は記録しています。

移動中に大きな戦いはありませんでしたが、このローヌ川に到達した紀元前218年初の秋時点では、歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭の大集団だったのです。

軍の隊列は、長さ10km、幅1km以上にもなっていたのではないでしょうか。


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2019/6/17(月)
アルルから、カマルグ自然公園〜サント・マリーズ・デ・ラ・メールを回った後、西に向かいます。

ハンニバルの進軍ルートはスペインからきっと南西から来て、St.Gillesサン・ジルを通過し〜Beaucaireボーケール付近に。
そこで「ローヌ川を渡河」し、Tarasconタラスコン付近に上陸したところへ、ケルトの住民ウォルカエ族がハンニバル軍の運搬物資を略奪しようと襲ってきたのではないか。

そんな想定ルートに沿って走ってみたのです。

●St.Gillesサン・ジルの町


【プティ・ローヌ川を越えてサン・ジルに入る】


【サン・ジル郊外】


【町への引き込み運河には多数のボートが係留されて】


【サン・ジルの旧市街と町役場】


【黒直線:サン・ジルから丘陵に沿って北東に・・ローヌ川までのハンニバルの進軍想定ルート。青線:ドライブルート 】

ローヌ川が海に流れ込む付近、洪水などで出来た大きな洲、その境の丘にあるこのサン・ジルからは、BC218年頃は、ローヌ川を遠くまで見晴らせた場所だったでしょう。


●St.Gillesサン・ジル

・紀元前、ボーケールは、イタリアとスペインを結ぶ有名なドミティアヌスの道の中継地として知られてる。
・ Saint Egide/隠者ジル/聖イージス/Gilles l'Ermite/ Agidius/アエギディウス)の名にちなむこの町には、聖人の墓があ巡礼地であった。

https://ja.wikipedia.org/【サン=ジル (ガール県)】


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●BRL:ラングドック・ルシヨン地域の大規模な灌漑管理


市内を走っているとき、道路の上を「運河?」のような、厚みのある立派な橋がかかっているのを見つけます。

Google-Mapsを見ると灌漑用水路が張り巡らされていて、ローヌ川の水をモンペリエ付近までの広域に供給しているようです。


【道路の上を灌漑用水路の橋が交差している。航空写真で水路(運河/Canal)が見える】


【周辺の水関連設備】


【BRLの灌漑用水ルート】
ちょうどローヌ川から引き込み、数m揚水する設備付近を通過しました。ローヌ川、モンペリエの名水に恵まれた地と思っていた地域が、実は乾燥地帯で水供給を人工的にしなければならない環境だとは・・はじめて知りました。

●BRL社: 1955年設立の、南フランスのラングドック・ルシヨン地域の大規模な水インフラを設計、構築、管理する会社。

https://www.brl.fr/【BRL社の公式サイト】
https://fr.wikipedia.org/【wiki/BRLグループ=Bas-RhoneおよびLanguedoc開発会社】



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Beaucaireボーケール(ローヌ川の縁)に向かって、BRLの灌漑路や、昔からの運河に沿って北東に平坦地を走っていきます。


【ロータリーのマークが次々と】


<⇒Beaucaireボーケール(ローヌ川の縁)〜Tarasconタラスコン >
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【スペイン〜ローヌ川までのハンニバル軍の推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-001)






●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex


★このページ=01:ハンニバルの生誕〜進軍〜フランス南部(サン・ジル付近)
  ↓↓
 ・次のポイント=02:「ローヌ川:渡河」 (Beaucaireボーケール〜Tarasconタラスコン)、「渡河戦」(タラスコン付近)



ハンニバルのルート
【ハンニバルの行軍ルート(緑線)と、逃亡ルート(青線)。この紀行は赤枠内】

<はじめに>

 紀元前218年の秋、今から2200年以上も昔になりますが、ハンニバル・バルカ(紀元前247−前183年)と象の数万のカルタゴ軍が、この南仏の地を東にアルプスを越えイタリアに進軍していったと歴史は語っています。
 そしてこれまでの調査・研究などから、ローヌ川からドローム川に沿って東に向かい、トラヴェルセッテ峠を越えるルートが、現時点では最有力候補とされています。

 ローマが帝国になる前、カルタゴとローマは地中海での覇権争いは熾烈なものでした。第一次ポエニ戦争(BC264-241)で、カルタゴはシチリアを失いますが、ハンニバルの父「ハミルカル・バルカ」はイベリア半島を制圧し、軍隊を養成。

 父の死後、長男ハンニバル・バルカは戦争を決意、ローマ同盟の都市サグントゥムを陥落、第二次ポエニ戦争が開戦した。
 スペインを出発してローヌ川まで約4カ月、連日10〜14km(17,000〜23,000歩/日)の行軍は、大きな戦闘がなかったとはいえ、大変な疲労が戦士たちには貯まっていたでしょう。その歩兵、騎兵、象、そしてたくさんの荷の数kmにも及ぶ塊が、この目の前の平原を川に沿ってさかのぼって行ったのです。

 私の峠の旅紀行の中で、これからアルプス越えまでの20日あまり(図の赤の枠内)を、当時の記録に沿って辿ってみます。(●次のポイント「 」、で順次進みます)

 皆さんも写真の風景の中に、「ハンニバルと象」の行軍シーンを思い浮かべ、一緒に峠道をイタリアに向かってみませんか。


【ハンニバルのコイン肖像画】

ハンニバル・バルカHannibal Barca (or Barcas) 生誕〜>

・紀元前247年(or246年)、カルタゴCarthageで生誕。父:カルタゴの貴族・将軍ハミルカル・バルカ(orバルカス)Hamilcar Barcaの長男。
・「ハンニバル」とは、「バール神の喜び/バアルの恵み/慈悲深きバアル/バアルは我が主」の意味。
・「バルカ」はあだ名で「lightning:雷光/電光/稲妻/電撃」の意味。
・3人の弟:ハスドルバル、ハンノ、マゴ
・ハンニバル9歳(or10歳)のとき、ハミルカルとともにカルタゴを去りイベリア(スペイン)に移る。
・紀元前221年(25歳)にリビュア・スペイン軍の総司令官に就任。イベリア半島を制圧し、諸部族をまとめて軍隊を養成。
・紀元前219年、ローマの同盟都市サグントゥムSaguntum(ザグント)を攻撃・包囲、8ヶ月後陥落。これによりローマはカルタゴに宣戦し、第2次ポエニ戦争が始まる。



【スペイン〜ローヌ川までのハンニバル軍の推定ルート】

<ここまでの進軍の状況>

・BC218年春(5月末)、軍はカルタゴの領土だったスペイン(Carthago-Novaカルタゴノヴァ/Cartagenaカルタヘナ)から出発した。
・軍の規模は、歩兵9万・騎兵1.2万・象約40頭。
・ピレネー山脈を越え、約4カ月で1,220km(5,800スタディア)進軍した。行軍ルートは右地図だと歴史家は記録している。
・移動中に大きな戦いはなかったが、このローヌ川に到達した紀元前218年初の秋時点では、歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭の大集団だった。

・軍の隊列は、長さ10km、幅1km以上にもなっていたのではないか。


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・ハンニバルが、Vergezeヴェルジェーズに立ち寄り休息し、泉の水(Perrierペリエ)を飲んだという伝承がある。
https://www.perrier.com/【PERRIERペリエのスパークリングウォーター】
https://fr.wikipedia.org/wiki/Perrier_(eau_min%C3%A9rale)【wiki/Perrierペリエ(ミネラルウォーター)】
ミネラル水「ペリエ」の歴史

ローヌ川のルート
【ハンニバルの行軍推定ルート:
●トラヴェルセッテ峠ルート=緑実線
●クラピエ峠ルート=赤点線】
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Polybiusポリュビオス(ハンニバル戦争終結60年後、スペインから、フランスアルプス、イタリア平野部まで実際のルートを踏破・目撃者に面談・記録した)は、ハンニバルがローヌ川を渡ったのは「流れが一本のところ」で、「海から歩いて4日の距離にあった」と述べている。(G-p48)

・アルル付近でローヌ川を渡ります。その地点が川幅が広く、水深が浅く、流れもあまり速くなかったようです。(G-p52-60)・・・右図参照



■参考資料:
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)(第3巻17-35-42)
「ポリュビオスの歴史 第3巻17-35-42」
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)

 ・次のポイント=02:「ローヌ川:渡河」 (Beaucaireボーケール〜Tarasconタラスコン)、「渡河戦」(タラスコン付近)

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