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Les Gorges du Guilギル峡谷/Combe du Queyras ケーラス渓谷

この地を進軍した状況ハンニバルは?

ギル川が削ったケーラスの険しい峡谷・・ハンニバル軍が2回目の奇襲を受けた谷はここだろう

   【フランス:プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方(オート=アルプ(05)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      



【赤太線:2019年のケーラス渓谷の走行ルート】

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●過去にCombe du Queyras ケーラス渓谷を走ったルート
 ●1998.7(緑):Izoard峠⇒★渓谷(西)⇒Guillestre⇒Embrun
 ●2002.6(黒):Vars峠⇒Guillestre⇒★渓谷⇒Ristolas泊⇒Agnel峠
 ●2007.6(青):Agnel峠⇒★渓谷(東)⇒Abries泊⇒★渓谷(東)⇒Izoard峠
 ●今回:2019.6(赤):Risoul⇒Guillestre(Melezet谷)⇒★渓谷⇒Abries泊⇒★渓谷(東)⇒Agnel峠

●Les Gorges du Guilギル峡谷/Combe du Queyrasケーラス渓谷


・ギレストリーから東に向かうとすぐに、Guilギル川の急流が岩を削った「Les Gorges du Guilギル峡谷」を通過。高さ200m以上もある石灰岩の断崖に囲まれて、狭くトンネルも続きます。
・さらにその奥が「Combe du Queyrasケーラス渓谷」です。モンヴィソ山からの荒れた川、その急流が作り上げたケーラス渓谷・・急斜面、断崖、壮大で厳粛な風景が続きます。
・ギレストルの町(平均標高1000m)〜アブリエス(1550m)間の標高差は約550m。直線距離で26km、道路は28km と川に沿った狭い道路が続くのです。


【ケーラス渓谷と各年のルート】

 ギレストリーの街を出たすぐ東付近が、断崖が一番凄い。この付近がハンニバル軍が2回目の奇襲を受けた場所ではないか??
  ・・その先には小さなダムが作られている。
Les Gorges du Guil Les Gorges du Guil Les Gorges du Guil by net
Les Gorges du Guil Les Gorges du Guil Les Gorges du Guil
【Les Gorges du Guilギル峡谷/Combe du Queyras ケーラス渓谷】

●Combe du Queyras ケーラス渓谷(2002.6.18の紀行)
 ⇒Combe du Queyrasケーラス渓谷とMAP

●Les Gorges du Guilギル峡谷/Combe du Queyras ケーラス渓谷
・ギュイル渓谷は、地元の人々や旅行者にとって、ケイラスへの主要ルートとして今も利用されています。1855 年に建設されたヴィステと呼ばれる道路は、非常に曲がりくねっており、「トゥルニケット」と呼ばれる一連のジグザグ道でした。1905 年から 1911 年にかけて建設された現在の道路は、以前のルートに代わるもので、アクセスしやすくなっています。
・印象的な断崖がそびえるギル渓谷の道からは、眼下に広がる激しい急流の息を呑むような眺めが楽しめます。20 世紀半ばには、ドライバーの快適性と安全性を向上させるために、いくつかのトンネルが掘られました。渓谷の下流には、水力発電ダムに水を供給する小さな貯水池もあります。

 ○https://www.youtube.com/【youtube:D902 ギュイル渓谷 + コンブ・デュ・ケラス渓谷】
 ○https://provence-alpes-cotedazur.com/【ギルの峡谷】
 ○https://lequeyras.com【ギル渓谷】

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●Fort Queyras/Chateau-Queyras/シャトー・ケーラス城砦


 左にCol d'Izoardイゾアール峠(2361m)の分岐があり、しばらく走るとギル川前方に大きな岩山とその上の城が見えてくる。あれがケーラスの砦・・今回は立寄りません。

【Fort Queyras/Chateau-Queyras/シャトー・ケーラス城砦と城への入口】

●Chateau Queyras シャトー・ケーラス の城塞(2002.6.18-20の紀行)
 ⇒自然を利用した強固な砦

 ⇒売られていく子馬と母馬



●Fort Queyras/Chateau-Queyras/シャトー・ケーラス城・砦
・ギル渓谷の上流にあるケラス砦は、中世に複数の王国が交わるこの山岳地帯の安全を確保するために建設されました。この砦は、不可侵性を確保するためにVaubanヴォーバン(1633-1707)(モンドーファンの要塞を建造したルイ14世 の技師)によって大幅に改修されました。

 ○https://provence-alpes-cotedazur.com/【オート=アルプ地方の軍事遺産】
 ○https://lequeyras.com/【Fort Queyrasケーラス城砦】

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●Chateau-Ville-Vieille シャトー=ヴィル=ヴィエイユ/●Aiguillesエギュイユ



Agnelアニュエル峠(2748m)やサン・ヴランの村への分岐点、「Cooperative des Artisans Queyras - Pays du Viso」で軽い昼。
 そこには、今日、ブリアンソンでのロックコンサート、サンジャン・デギュイユの祭り、アブリエスでの音楽祭などのポスターがありました。そろそろ各地で夏のイベントが始まるのです。

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・アブリエス村に向かう直前のエギュイユの街を出たところで・・時間・交通遮断の大工事で待たされます。先月(2019年5月)幹線道路が山崩壊で遮断され、復旧のため、山の中をう回する道路を建設中・・30分に7分のみの交互通行でした。


【Aiguillesエギュイユ と通行止め】

aigules-landslide

 交互通行で待っていた時、「急ぐので、先に行かせて欲しい」と話しかけてきた女の人がいました。
 ・・後で・・アブリエス村のイベント会場で・・また出会い、話をした人でした。

●Ville Vieille/Aiguilles ヴィル・ヴィエイユ/エギーユ(エギュイーユ)(2002.6.20の紀行)
 ⇒あの「ウィンパー」が、この村の「ハンニバルと象」と「自然の石柱」について書いている
edward-whymper-y  demoiselle-coiffee-picdemoiselle-coiffee
【マッターホルンの初登頂者:ウィンパー】 【アルプス登攀記へのウィンパー自身の挿絵】 【La Demoiselle Coiffee自然の石柱】

●Chateau-Ville-Vieille シャトー=ヴィル=ヴィエイユ / Aiguillesエギュイユ
フランス語の「aiguille」は、ラテン語の「針」だが、この地域の名前はおそらく「ギルの近く、ギルに向かって」という意味のAd Guillumに由来。

 ○wikipedia:シャトー=ヴィル=ヴィエイユ (Chateau-Ville-Vieille)
 ○Chateau-Ville-Vieille
 ○https://fr.wikipedia.org/【wiki/Aiguilles】
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「Chateau Queyras , Aiguille , Col Agnel」に関するサイトで、次の古い金貨の映像を見つけました。
 そこには『軍人が大演説し「大喝采」をあびる』図案があります。
 まるでこの周辺をハンニバルが通過し、峠で部下たちに演説をしたかのような図柄です。
 
 ○http://membres.lycos.fr/chrisdid/nousrecherchons.htm
 【兵士たちに演説するトラヤヌス帝(在位:98-117年):左側の高台に(2人の将校を伴って)皇帝が座り、下の兵士の一団に演説
  :https://www.worthpoint.com/




<12年ぶり・・懐かしいAbriesアブリエスに到着・・>
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【赤色:ガ峡谷〜グリモーネ峠〜ベーヌ〜ガップ〜ポンソン:ハンニバル軍推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-013)


●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex

 ・前のポイント=001:生誕〜ローヌ川着
 ・前のポイント=002:ローヌ渡河(渡河戦)
 ・前のポイント=003:ハンノの分遣隊ルート
 ・前のポイント=004:「島」
 ・前のポイント=005:ドローム川に沿い
 ・前のポイント=006:Dieディの前まで
   <006a:Crestクレス付近(2002年紀行)>
 ・前のポイント=007:Dieディ
   <007a:Dieディ(2002年紀行)>
 ・前のポイント=008:Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア
   <008a:シャティヨン・アン・ディオワ(2002年紀行)>
 ・前のポイント=009:Gorges-des-Gatsガ峡谷(襲撃1)

   <009a:Gorges-des-Gasガ峡谷(2002年紀行)>
 ・前のポイント=010:Glandageグランダージュ〜Les Maillefauds レ・マイユフォー〜La Viereラ・ヴィエール
    <010a:Glandageグランダージュ(2002年紀行)>
 ・前のポイント=011:Col de Grimoneグリモーネ峠〜ベーヌ〜Gapガップ〜Ponconポンソン〜アンブラン
     <011a:グリモーネ峠> <011b:セール> <011c:ガップ> <011d:エスピナス> <011e:ポンソン(2002年紀行)>
 ・直前のポイント=012:Guillestreギレストル
    <012a:ギレストル(1998年紀行)> <012b:ギレストル(2002年紀行)>  <012c:ギレストル(2010年紀行)
  ↑↑
★このページ=013:Queyrasケーラス渓谷(襲撃2)〜Chateau-Queyrasシャトー・ケーラス(城砦)〜Ville-Vielleヴィル・ヴィエイユ〜Aiguillesエギーユ〜
     <013a:Queyrasケーラス渓谷(2002年紀行)>  <013b:Chateau-Queyrasシャトー・ケーラス(2002年紀行)〜>  <013c:Ville Vieille/Aiguillesヴィル・ヴィエイユ/エギーユ(2002年紀行)〜>
  ↓↓
 ・次のポイント=014:Abriesアブリエス〜l'Echalpル・シャルプ
 <014a:Abriesアブリエス(2002年紀行)>  <014b:Ristolasリストーラ1(2002年紀行)〜>  <014c:Ristolasリストーラ2(2002年紀行)〜>  <014c:Ristolasリストーラ3(2002年紀行)〜>  <014c:La Monta/l'Echalp ラ・モンタ/ル・シャルプ(2002年紀行)〜>



<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・ハンニバルの全軍がガップ付近で地元部族からの食料提供と道案内を得た。案内人の「東に行かなくてはイタリアには行けない」との説明を受け、保証のため、何人もの人質を取り、ギル川をさかのぼってこの地に差しかかる。(BC218年10月20〜22日頃)
・軍の規模は、歩兵3.6万人、騎兵7.3千騎、象35頭。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は4-5千頭、使役0.5-1.5千人。

<地元部族の行動>
・約2日間の行軍中、数千人の地元村落の部族民がカルタゴ軍に先回り・集結し、峡谷で攻撃しようと待ち伏せしていた。
・それこそ、3日ほど前「枝と花輪」を持って挨拶に来た、道沿いの地元部族の長老らの計略だった。人質を差出し、家畜などの食料を提供し、イタリアへの道案内をした彼らの狙いは、ハンニバル軍の膨大な物資・武器・食料・馬などの略奪だった。道案内人、人質もその攻撃を受ける中に居たが、部族民はその犠牲を払ってでも得たかったほどの物資だった。



 軍がこの両側を岩山に挟まれた険しい渓谷に差し掛かったとき、疑義を感じたハンニバルは、前・後方の敵に対処できるよう隊の編成を変えた。先頭に騎兵と象を配置し、中に多量の荷や軽装備の兵など、最後尾には重装備の兵士を置き、ハンニバル自身も後尾で指揮をとった。

 しかし、10日ほど前の「ガ」渓谷の奇襲時にそなえて取ったような、渓谷の両側の山の上への斥候の配備まではしなかった。多分それほど長い渓谷とは予測していなかったと思われる。




 狭く、かつ高い崖が続く細い道の渓谷。隊列は細くならざるを得ず、10kmほどの長さにもなった。軍のすべてが、分岐のない(前後のみにしか移動できない)渓谷に入ったとき、突然攻撃が始まった。

攻撃は、渓谷の前、後、両側の岩山の上から、ほぼ同時に行われた。

 敵は高台の崖の上から、巨大な岩を大量に落とし、逃げ惑う人・動物に投石する攻撃が行われる。

 前回の奇襲と同じように、またしても恐怖で荒れ狂う動物たちは暴れ回り、味方の軍隊を傷つけ、崖を落ちていく。あの強力なハンニバル軍にできることは、逃げまどうことと、石を避けながら岩山をよじ登って敵を槍・刀で殺すことのみだった。

 実質的にこの約4万もの軍にできたことは、死者・けが人を踏み越え、渓谷の前の広い谷に進むことのみだった。燦々たる光景と、谷全体に響く悲鳴がこの谷を埋め尽くした。

 最後尾付近にいたハンニバルも、渓谷の後ろからの攻撃に対処しながらも10kmを越える渓谷をなんとか脱出。


 そして広い谷に出、川の正面に構えている大きな独立した「はだか岩」(シャトー・ケーラスのある岩山)が見えた。

 すでに夕暮れ。軍を集合しなおし、体制を整え、野営するには安全な地が必要であった。岩山の上に見張りと指令とかがり火を焚き、上流の比較的広い河原に軍を集め、さらに上流側に敵の襲撃に備える軍と見張りを置いた。

 キャンプ地に大きな火が次々と燃え始める。各部隊はそれぞれに怪我の手当て、死者の確認などをする。皆、昼から何も食べていない。しかし、かなりの食料も先の襲撃で失われたため、各自持参の非常食と、ギル川の水で・・・まず腹の足しにしたのではないか。

 けがで遅れたものや、山などに逃れ迷った者たちも、この山の上のかがり火を目印に順次集まってくる。

 翌日、敵が撤退した後、ハンニバルは騎兵と岩山の頂上まで進軍したが、もはや蛮族の集団に遭遇することはなかった。だが、時折、また特定の場所では、地の利を利用して背後または正面から攻撃し、荷役動物の一部を奪い取る蛮族の何人かに襲われた。

 このような状況では、象が最も役に立った。敵は象の外見の奇妙さに恐れをなし、象がいる隊列に近づく勇気がなかった。

 このケーラス渓谷に入ったハンニバル軍の歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭のうち、歩兵6千、騎兵7百、象6頭もの 今までにない損害を出したのである。
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  ハンニバル軍は翌朝川にそってさらに東に「イタリアとの国境の峠」方面に向かう。



■参考資料:
ポリビオス(BC200-118)の記述
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
本:新潮文庫:『ローマ人の物語「すべての道はローマに通ず」上:No.27 p.177〜』塩野七生:(SN-page)
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)

https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻:52-8〜】
https://omnesviae.org/#【OmnesViae:Roman Routeplanner:Google-Mapsにポイティンガー図を展開】


 ・次のポイント=014:Abriesアブリエス〜l'Echalpル・シャルプ

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