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Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア:

この地を進軍した状況ハンニバルは?

フランスで最も美しい村のひとつ・・ハンニバルはなぜ、この危険な峡谷への道を選んだのか?

   【フランス:Rhone-Alpsローヌアルプ地方(Dromeドローム(26)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      



【青線:Dieディー宿をベースに巡ったルート 】

●Dieディをベースに訪れたのは・・


 2002.6.8に訪れた「ハンニバル軍がはじめて襲撃され、損害も大きかった峡谷」と、その先の村あたりを再度観察してみたいと計画したのです。
 ・まずは雪目で折り返した「Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア」を経由し
 ・谷が迫る「Gorges-des-Gasガ渓谷(850m)」を観察し
 ・眺めの良い「Glandageグランダージュ村(880m):を経て
 ・ちょっと気になった村「Les Maillefaudsマイユフォー(1050m)」にハイキングに出かけます。


【クリックで拡大:Dieディ〜Chatillon en dioisシャティヨン〜Gorge des Gatsゴルジュ・デ・ガ・・ガ溪谷〜Glandageグランデージ村 と Montagne de Glandasseグランダッセ山群】

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●Chatillon en dioisシャティヨン・アン・ディオアの旧市街・・


ディの町を出て数km、Solaure en Dioisソロール・アン・ディオワの平坦な地に出てきました。そして緩やかに東のSaint-Romanサン・ロマン村・・に


【Montagne de Glandasseの麓・・】

そしてChatillon en dioisシャティヨン・アン・ディオアの街に入ってきました。 中々いい街です。


【旧市街沿い:Rue de Gare:D539】


【旧市街の航空写真】


【ジャン・ジオノが浮かび上がる壁画の家】


【1725年頃建造の時計塔(エコール通り)】


【ヌーヴ通り】

●Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア

古代の歴史:
・ディオワ(Le Diois)は、紀元前 4世紀にリグーリア人(Ligures)から征服したヴォコンセス族(Voconces)のガリア人の土地。
・紀元前 2世紀 、ローマは後背地のマサリオテ(massaliote)の確保を目指しました。頑固な抵抗の後、ヴォコンセ家は紀元前 1世紀にローマとの「友好条約」であるfoedusに署名しました 。
・西暦2世紀以降、、北のヴォコンセスの首都は Dea Augusta Vocontiorum、今日では Dieディ です。このルートでは、標高 1800 m にあるローマの採石場を訪れ、その石がディに運ばれていました。
・325年、ディーは司教座に就任した。
・1426年、ディオワはもともとプロヴァンスでしたがドーフィネに属しました。「伯爵司教」の権力に対抗して、ディオワは改革の地でもありました。
・1627 年まで、ディはナントの勅令によってプロテスタントに与えられた「安全な場所」の 1 つとなり、改革派の避難所であると同時に軍事集中の場所でもありました。

街の見どころなど:
・狭い通りと典型的な家々が並ぶ絵のように美しい中世の村シャティヨン。市庁舎は 17 世紀初頭に建てられたかつての個人邸宅内にあり、その両側には歴史的建造物に指定されている時計塔があります。
・ヴェルコール山脈の南側に切り込んだ「ガッツ峡谷gorge des Gats」は、石灰岩の崖からなる堂々としたカールの景観です。
・「AOCシャティヨン・アン・ディオア:Clairette de Dieクレレット・ド・ディ」は、ディーの村を中心に造られている、フランス最古の自然派スパークリングワイン。(AOC:Appellation d'Origine Controleeの略:フランスのワインの認証)
・典型的なブドウ小屋のあるブドウ園がある。
・2021 年 7 月以降、シャティヨン アン ディオワの町の中心部は「フランスで最も美しい村」に認定された。

 ○https://www.mairie-chatillonendiois.fr/
 ○https://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org/【les-plus-beaux-villages-de-france】
 ○https://winebooks.jp/4981【Clairette de Dieクレレット・ド・ディ】
 ○https://fr.wikipedia.org/wiki/【Clairette_de_Die】
 ○https://lepanicaut.com/chatillon-en-diois.html

Jean Gionoジャン・ジオノ滞在の町:
・『木を植えた男』のジャン・ジオノ(Jean Giono、1895- 1970年)は、フランス、プロヴァンス出身の作家で、夏の間、よくシャティヨンに来ていて、1946〜1953 年に「屋根の上の軽騎兵」「村のファウスト」「娯楽のない王」「強い魂」など 10 作品以上を制作した。
 ○https://www.arts-spectacles.com/【Chatillon-en-DioisとDromeとGiono】
 ○https://institut-iliade.com/【ヴェルコール山脈とディオワ山塊の南、ジャン・ジオノの足跡】
 ○ジャン・ジオノ(Jean Giono)
●過去のこの町通過の旅メモ
・2002.6.8:Clelles/Mt.Aguille クレルの村/モンテギーユ山(泊)  ⇒ Col de Menee ムネ峠(1457m)

 ⇒ ●この街:St.Roman/Chatillon-en-Dioisサン・ロマン/シャティヨン・アン・ディオワ




 ⇒ Gorges des Gas ガ渓谷  ⇒ Glandage グランダージュ村  ⇒ Col de Grimone グリモーネ峠(1318m)  ⇒ Col de la Croix Haute クルワ・オート峠(1179m)



Next.⇒Gorges-des-Gatsガ渓谷(850m)〜Glandageグランダージュ村〜Les Maillefaudsマイユフォー村〜

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【赤色:ドローム川に沿ったハンニバル軍推定ルート。
 南にCabre カーブル峠(1180m)がある】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-008)


●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex

 ・前のポイント=001:ハンニバルの生誕〜ローヌ川着(サン・ジル付近)
 ・前のポイント=002:「ローヌ渡河+渡河戦」(タラスコン付近)
 ・前のポイント=003:「ハンノの分遣隊ルート」(アヴィニョン付近)
 ・前のポイント=004:「島」 (エーグ川)(オランジュ付近)
 ・前のポイント=005:ドローム川に沿いアルプス方面に(ロリヨール付近)
 ・前のポイント=006:ドローム川沿い〜アルプス方面に(Dieディの前まで)
    <006a:ドローム川〜アルプス方面に(Crestクレス付近)(2002.6.12紀行)>
 ・直前のポイント=007:Dieディの町
    <007a:Dieディ(Dromeドローム渓谷)(2002.6.12紀行)>
  ↑↑
★このページ=008:Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア
    <008a:St.Roman/Chatillon-en-Diois サン・ロマン/シャティヨン・アン・ディオワ(2002.6.8紀行)>
  ↓↓
 ・次のポイント=009:Gorges-des-Gatsガ峡谷
    <009a:Gorges-des-Gasガ峡谷(2002.6.8紀行)>


<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・ハンニバルの全軍が、このシャティヨン・アン・ディオワ付近で野営したの はBC218年10月13日〜15日頃「ローヌ川を離れ、ドローム川に沿って進軍。アルプスの麓に到着。
・軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵7.7千騎、象37頭(G-p49)(H-p177)。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は、7-8千頭+民間人1-2千人。


【ガリアの種族とその場所】
●ローヌ川を離れ、ドローム川に沿い〜この地まで
 ・「島」から一緒だったブランクス部族の山岳ガイドと警護の案内人(アロプロゲス連合や敵からの襲撃を避け、安全にアルプスの麓まで行軍できるよう)は、この付近でその役目を終え戻る。(G-p33-54)(G-p76)(P-p306=第3巻49-13)

 ・「島」を出発し10日間、川沿いを約800スタディオン(約142km)進んだ。(P-p307=第3巻50-1)

 ・当時この地は、ウォコンティ族(ゴールの諸部族のひとつ)の勢力範囲。しかし峠の東はトリコリィ族の勢力範囲であった(G-p58)。

★疑問:なぜハンニバル軍は、安全なドローム川に沿う「Cabre カーブル峠(1180m)」ルートを取らず、危険一杯の「ガ峡谷」へ分け入ったのか??

 ⇒推定:多分ブランクス部族の山岳ガイドはDieディで別れた。彼らはこの先の詳細ルートを知らず、「ローマには、真東に進めばよい」とガイドしたのではないか??

 ⇒山岳族は多数の地元民のふりをし、「ガ峡谷」に誘い込んだのではないか??




 ・この地方の獰猛な山岳族アプロゲス Allobrogianは、ここまでの平坦な地ではブランクスの護衛などを恐れて襲撃せず、一定の距離をおいてついてきた。しかし護衛が帰り、この先の険しい渓谷への誘い込みに成功もした。そしてカルタゴの大隊にとっては困難な地形にさしかかろうとしているのを見て、アプロゲス族はその渓谷の中腹に攻撃体勢を作った。(P-p307=第3巻50-3)

 ・ハンニバルはこの山岳族の動きを事前に知ったが、「彼らが夜間は村に帰る」との情報を得、渓谷の手前に軍の大部分を野営させ、日を焚いてこの地に全軍が留まるようにみせかけた。(G-p76)(P-p307=第3巻50-7)

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●ガリアの種族とその場所
●アロプロゲス連合の領土

アロプロゲス族のエリア(緑色+黄色=不確実)
 ・当時の推定地図
Allobrogesアロプロゲス族【 イゼール川の北。現代のリヨンとジュネーブの間のガリア人】
Segalauni/Segovellaunesセガラウニ/セゴヴェローヌ族【ヴァランス周辺(アッロプロゲスの南、カヴァレスの北)のローヌ渓谷に位置するガリア人】
Tricastiniトリカスティーニ族【ローマ時代に、現在のサンポールトロワシャトーの近くにある現代のトリカスティン地域に住む小さなガリア族】
Cavariカヴァリ族【ローマ時代の現在の都市アヴィニョン、オレンジ、カヴァイヨン周辺(ボークリューズの西部)に住むガリア人】
Voconces/ラテン語 Vocontiiヴォコンティ族【プレアルプに定住したガリア人の連合体】
Tricorii/Tricoresトリコリイ族【南アルプスに住むナルボンヌゴール出身のケルト人-リグリア人。「3つの軍隊」の意味】


                  【広域推定ルートの地図(緑ルート)】



●当時、ハンニバル軍はどんな食べ物を食べていたのでしょう?
ローマ時代の農耕:牛と犂
【Roman mosaic, Cherchell, Algeria. Copyright Steve Richards ローマ時代のモザイク画:牛と軽量犂(すき)】

●主な食物は、
・麦かゆ(粗挽きの麦粉を牛乳、野菜などと一緒にトロ火で煮込んだ流動食)、豆類、チーズ、バター、ワイン、モロコシ/ソルガム(注1)

●時々は食べていたであろう食物・調味料など
・パン、パスタ、肉類(豚/牛/羊/山羊/馬/鶏/ガチョウ/孔雀/鹿/兎/鳥・・・馬などの戦いなどで死んだ動物、猟師が同伴したであろう)、卵、 ソーセージ、川の魚、カブ、キャベツ、キュウリ、キノコ類、ナッツ類、スイカ、梨、バナナ、リンゴ、オリーブオイル、砂糖、塩、ビール

●保存食としていたもの
・堅焼きパン、ビスケット、燻製肉、干し肉、ドライソーセージ、魚燻製、塩漬け、ナッツ類、ドライフルーツ、チーズなど

・食事の回数は1〜2回(夕食と昼食・・・昼は携帯の食物)
・手を使って食事をする習慣だった・・貝殻などでのスプーンやフォークも一部使っていた。
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●以下の食材は新大陸発見によって伝えられたもので、当時はなかったと思われる。
・ニンジン、トマト、かぼちゃ、紅茶、茶、コーヒー、蒸留酒、イモ類(ジャガイモ、サツマイモ)、タバコ、トウモロコシ

モロコシとトウモロコシ
【モロコシ と トウモロコシ】

(注1)モロコシ と トウモロコシ


 ●モロコシ=蜀黍/唐黍/タカキビ/ソルガム、学名:Sorghum bicolor イネ科 モロコシ属
   ・エチオピアが原産地。
   ・ハンニバルの時代、モロコシが「島」で豊富に生産されていた。(Polybiusポリュビオス(BC200-118)の「歴史:(P-p306=第3巻49-5)

 ●トウモロコシ=玉蜀黍/玉米、学名: Zea mays subsp. mays イネ科 トウモロコシ属
   ・15世紀末に「コロンブス」が「アメリカ大陸」からスペインへ持ち帰ったのは「トウモロコシ」でイネ科-トウモロコシ属。


■参考資料:
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
本:堀越宏一著『中世ヨーロッパの農村世界』山川出版社-p018
https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻】
https://omnesviae.org/#【OmnesViae:Roman Routeplanner:Google-Mapsにポイティンガー図を展開】
古代ギリシャ・古代ローマの食事
古代ローマの料理


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