【d257b.jpg:悔しいけれど、トラヴェルセッテ峠と象(?)の記念撮影を】 |
【h883.jpg:プリムラ・エラティオル(サクラソウ科)】 |
【d252.jpg:右足の靴底が剥がれはじめていた】 |
●靴底張替えなどの経緯・・ ・2005年秋:近くの修理屋で「専門店でないと、トレッキング中にべロッとはがれてしまう」と言われ、ネットで見つけた「ミスタークイックマン」という修理屋に写真を添付し状況を書いて「このTimberlandの靴底は、全面張替え可能か」と確認の上、左右6,500円+往復送料で張替え。 ・2005年秋の旅の後、かかとの一部に剥がれを見つけ、無償再修理してもらう。かかと部分はクギ打ち補修されていた。 ・2006年の旅では無事だったが・・今回2007年の旅半ばで前の部分が剥がれた。 【靴の修理記録:2005年の張替えと再補修】 |
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【d256.jpg:モンテヴィーゾと象(?)の記念】 |
【s802.jpg:トラヴェルセッテ峠まで1.5時間の引き返し点で記念撮影。左上モンテヴィーゾ、真後ろヴィーゾ小屋】 |
★★2016.4.8:アルプス越えのルートは、トラヴェルセッテ峠が確実!!★★ ●ハンニバル将軍の“アルプス越え”ルートが判明=トラヴェルセッテ峠が確実!! 馬糞の痕跡が決め手に 紀元前3世紀、カルタゴのハンニバル将軍が“アルプス越え”したルートを、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストなどの研究チームが突き止めた。2000年以上にわたる歴史家の論争に終止符が打たれるかもしれない。 ハンニバルは、第2次ポエニ戦争でローマ軍と激突したカルタゴ軍の将軍。紀元前218年、約1万頭の軍馬、37頭の象を率いてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵攻した逸話は、古代ローマ史上最大の軍事作戦と言われる。しかし、ハンニバル軍がたどったルートの詳細は不明で、歴史家の間でも意見が分かれていた。 研究チームは、フランスとイタリアの国境付近にあるトラベルセッテ峠を調査し、軍馬の糞と思われる堆積物を大量に発見した。堆積物を詳しく調べたところ、ハンニバルが侵攻した時期に生きていたクロストリジウム属の微生物を確認し、ハンニバル軍が通過した裏付けと結論付けた。 ●ハンニバルのアルプス越えの馬糞を大量に発見・分析 1974年ギャビン・デ・ビールがハンニバルが通過した可能性のある峠として特定されていたトラヴェルセッテ峠で、 英国北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストのクリス・アレン、ヨーク大学のビル・マヘイニーのチームが、現地での様々な分析(LED 花粉、化学組成、メタゲノム、層序を...)と排泄物化石動物を多く含む土壌を特定した。この細菌の中に含まれる土砂はクロストリジウム属で、紀元前200年の多数の馬と男性の腸内細菌叢がそこにいたことを示してるという。 |
【d274.jpg:台湾からのトレッカー】 |
【h900.jpg:滝の水が大量に・・3000mクラスの山の雪解け水】 |
●Tour du Viso/ Tour du Queyrasの関連サイト○http://www.randoalp.com/【Le Tour du Viso:地図あり 】 ○http://www.flickr.com/【Tour du Mont Viso 】 ○http://www.alpimages.net/【Tour du Viso 】 ○http://www.gr58-tour-queyras.com/【GR58 - TOUR du QUEYRAS:地図あり】 ☆ケラスを一周【Tour du Queyras | Matthieu Lienart】 ○http://www.montagnes.com/【Le Tour du Queyras】 ○http://membres.lycos.fr/【Tour du Queyras:地図あり】 ○http://www.altituderando.com/【Rando et Trek:Savoie,Alpes,Haute-Savoie,Isere,Pyreneesフランスのトレッキング情報】 |
●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した状況など−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Belvedere-du-Viso1」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 → →●次のポイント「Traversette峠を下る(想定)」
約4カ月半前、スペインを出たカルタゴ軍は、ギル川の源流まで来た。この先の峠道路の工作の間、この地で休養する。 しかし軍の食糧は底をつき、荷役動物や疲労しきった軍馬などを食べて飢餓をしのいでいた。また、時々雪、朝夕の凍る寒さをしのぐテント・衣類なども失っていて、軍の士気も衰えていた。 実はハンニバルのもとに、前方の道路工作隊から・・・峠のイタリア側下り斜面はあまりにも厳しく、象・荷車を含む全軍を通過させることは無理だ、との報告があった。 <この地のハンニバル軍>
朝9時の指示の時間に合わせて・・・前年の残雪が所々に残り、さらに今年の雪も降り積もった峠道。登ってくる隊長達の、革布で覆った足元も、昨夜の雪で冷たく滑りやすい。朝日がようやくフランス側の山肌を射しはじめる。 500人を越える全部隊の指揮官達がこの平坦地に集まる。ハンニバルはその先の高い岩の上にいる。
ハンニバルは彼らを、その集結地から峠の頂上に連れて行く。 ・・・・・・・・・・ 峠の稜線に立つと、眼下にポー川の源流、イタリアに下る渓谷、そしてイタリア・ピエモンテ平野全体を越えて、遠くミラノ方面から、ジェノヴァの丘陵地まで見渡せた。 ハンニバルは彼らを奮起させ、この険しい崖を下山させるため、大声で演説をする。 ・・・イタリアの遠景を指差しながら、 「今や試練も終わりに近づいている」と説明し、「ローマを守っていたアルプスをすでに制覇した。この先のすべては、我らカルタゴ軍のものだ」と保障した。 そして・・・翌朝、全軍で下る・・・と。 アルプスの登り道から11日目。イタリア国境の峠越えまで残り4日。 軍の規模は、歩兵2.9万人、騎兵6千9百、象20頭。 ●前のポイント「Belvedere-du-Viso1」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →→●次のポイント「Traversette峠を下る(想定)」 −−−− <このトラヴェルセッテ峠のイタリア側下りの状況は、今回の旅では推測できません。 ・・・で、 Agnelアニュエル峠(ハンニバルの越えた可能性がある峠)、ならびに Clapierクラピエ峠(越えた可能性・有力度、第二位の峠)などを見ていきましょう・・・・> ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
【濃い緑実線+点線:Guilギル川〜Belvedere du Visoヴィーゾ大見晴台〜Traversetteトラヴェルセッテ峠を経て、ポー川源流のルート 黄色のルート:Agnelアニュエル峠の自動車道路・・・クリックで拡大します】 |
地図1/100,000: Ign 54 Top 100 Grenoble/Gap |
地図1/25,000: Ign Top 25 3637ot Mont Viso |
Michelin the Green Guide French Alps |
Walking Easy in the Italian and French Alps |
ローヌ河歴史紀行―アルプスから地中海へ |
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