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Septimerpass

ゼプティマー峠街道と上の道/下の道
(Septimerpass/Oberen Strasse/Untere Strasse/Sent Storada dal Settimo)
 :中世まで続いたスイスアルプス越え(東側)の街道



Oberen Strasse/Untere Strasse:中世アルプス越えの街道

●ルート概略と人気街道の変化


 中世まで、スイスのクールChur(ライン川流域)と、イタリアのポー川流域をつなぐ、スイスアルプス越え(東側)の主要な交通路としては、
クール〜コモ湖ルート
<上の道Oberen Strasse>
1−A:ゼプティマー峠Septimer(2310m)」のルート
1−B:ユリア峠Julier(2284m)」〜「マロヤ峠Maloja(1815m)」の2峠通過ルート
2:<下の道Untere Strasse>
 「ヴィア・マラVia Mala峡谷」〜「シュプリューゲン峠Splugen(2115m)」のルート
クール〜マジョレー湖ルート
3:ヴィア・マラVia Mala峡谷」〜「サンベルナルディーノ峠S.Bernardin(2066m)」のルート
4:ルコマーニョ峠Lukmanier(1916m)」のルート
があったが、

・古代から15世紀中期までは、1−A:<上の道>「ゼプティマー峠」が、アルプスを1ヶ所の峠で越えられることから断然人気のルートであった。614年、聖コロンバーノ●峠の聖人】がヨーロッパ各地を巡礼布教した際、この峠も通過した。

・15世紀末期にヴィア・マラ峡谷に石造りの橋建設され、2:<下の道>「ヴィア・マラ峡谷〜シュプリューゲン峠」の人気が上がり始め、さらに落石や雪崩などの危険性が高い「ゼプティマー峠」は敬遠され、整備の進んだ1−B:<上の道>「ユリア峠〜マロヤ峠ルート」を選ぶ旅行者が増えて行く。

・18世紀末から「大砲が通れる軍事道路」の整備(シュプリューゲン峠、ユリア峠、マロヤ峠、サン・ベルナルディーノ峠など)が進み、古い歴史を持つ「1−A:ゼプティマー峠を通過する<上の道>」は完全にすたれた。

・19世紀末以降、自動車の発明、4輪車用の道路整備が進み、ゼプティマー峠ルートは忘れ去られた。

・現在では、高速道路・トンネルが開通し、3’:「サン・ベルナルディーノのトンネルルート」が、人気一番である。そしてゼプティマー峠・街道は、ハイキング愛好家のみの道になっている。

 (参考1:1236年以降に開かれた「サン・ゴタード峠S.Gottardo(2108m)」を通過するルートは、チューリッヒ方面からマジョレー湖への道)
 (参考2:スイスアルプス越え(西側)の街道としては古くから、グラン・サン・ベルナール峠Grand Saint Bernard(2473m)のルートがある)

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●各ルートの通過地点、通過の難易度、人気度の理由など


1−A:<上の道Oberen Strasse>「ゼプティマー峠Septimer(2310m)」のルート

・ルート詳細:<各旅紀行のページへlink。【峠】は峠DBへlink>
ゼプティマー峠

ゼプティマー峠

【ゼプティマー峠の紀行】

ソーリオ
【ソーリオ村の紀行】
 クールChur
 レンツァハイデ峠Lenzerheide峠DB
  (または、トージスThusis通過)〜
 ビヴィオ村Bivio(1769m)
 ゼプティマー街道〜峠Septimer(2310m)峠DB】〜
 カサッチアCasaccia村(1458m)〜ブレガリアBregagliaの谷
 ソーリオSoglio
 キャヴェンナChavenna
 コリコColico
 コモ湖Lago.Como
 コモComo


・このルートは、ビヴィオ村〜ゼプティマー峠のなだらかな登り、カサッチアへの下りはあるが、他のルートに比べ、あまり細く厳しい道が少ないので2:3:4:のルートより容易。また1-b:のユリア峠+マロヤ峠の2峠を通過するルートより、徒歩で3時間も短かかった。


【Thusisトゥージス〜Septimerpassゼプティマー峠〜Casacciaカサッチアの街道の海抜図】


ビヴィオ村からゼプティマー峠の街道は、紀元前から1800年ごろまで、アルプスを南北に越える主要3ルート(他はブレンナ峠、グラン・サンベルナール峠)のひとつだったのです。皇帝、国王、軍隊、商人、宗教者、巡礼など年1万人としても2000万人もの人がここを通ったと推測できます。長い峠越えの距離から、半分以上の人は宿泊せざるを得なかったでしょうから、宿場としても、ロバ・馬や荷役の中継地としても長くにぎわった所だったのです。
 このルートは「聖コロンバーノの巡礼路」「Settimoからの聖者の街道」などとも呼ばれたのです。

・西のJufユーフ村〜(Forcellina峠:2672m)〜この峠に到達するルートもある。また、Jufユーフ村〜(Stallerberg峠:2579m)〜ビヴィオ村の山道もある。
その場合、Aversアーヴェラスの谷や、ヴィア・マラVia Mala峡谷通過などとなる。 そして、そこを越えるための荷役の人と馬と宿が必要だったので、1800年代に荷役などで500人ほどがユーフ村には居たとのことです。 ところがその後、物資の輸送に自動車が必須となり、各地の道路整備が進んだのですが、あまりに深く険しいこのアーヴェラスの渓谷に車が走れる峠道は作られず、村はさびれて行くのです。1966年頃に150人。最近ではたった6世帯25人が住むだけになってしまいました。谷全体でも170人ほどしかいないとのことです。


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1−B:<上の道Obere Strasse>「ユリア峠Julier(2284m)」〜「マロヤ峠Maloja(1815m)」の2峠通過ルート

・ルート詳細:<各旅紀行のページへlink。【峠】は峠DBへlink>
ユリア峠
【ユリア峠の紀行】

マロヤ峠
【マロヤ峠の紀行】
 クールChur
 レンツァハイデ峠Lenzerheide峠DB
 ビヴィオ村Bivio(1769m)
 ユリア峠Julier(2284m)峠DB】〜
 シルヴァプラナ村Silvaplana2つの湖畔マロヤ村Maloja
 マロヤ峠Maloja(1815m)峠DB】〜
 カサッチアCasaccia村(1458m)〜ブレガリアBregagliaの谷
 ソーリオSoglio
 キャヴェンナChavenna
 コリコColico
 コモ湖Lago.Como
 コモComo


・このルートの難点は、
 「ユリア峠」+「マロヤ峠」の2峠を登り降りする必要があること。
 「シルヴァプラナ村〜2つの湖畔〜マロヤ村」ルートが湖畔のぬかるみ/増水時の迂回などがあったこと。
 当時のマロヤ峠は整備されておらず急勾配のルートであったこと
 など、時間と天候などに左右されることも多く、ゼプティマー峠ルートに回る旅人がほとんどだったと思われます。
 その後の改修で、落石や雪崩などの危険性が高い「ゼプティマー峠」から迂回する旅人が増えていく。


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2:<下の道Untere Strasse>
 「ヴィア・マラVia Mala峡谷」〜「シュプリューゲン峠Splugen(2115m)」のルート


・ルート詳細:<各旅紀行のページへlink。【峠】は峠DBへlink>
ヴィア・マラ峡谷
【ヴィア・マラ峡谷の紀行】

シュプリューゲン峠
【シュプリューゲン峠の紀行】
 クールChur
 トージスThusis
 ヴィア・マラVia Mala峡谷
 シュプリューゲン村Splugen
 シュプリューゲン峠Splugen(2115m)峠DB】〜
 サン・ジャコモ渓谷〜ピアナッツオ
 キャヴェンナChavenna
 コリコColico
 コモ湖Lago.Como
 コモComo


・この下の道は狭く厳しい道が多く、かつ悪名高い難所、ヒンターライン川が深く刻まれた「Via Malaヴィア・マラ渓谷」が嫌われた主要な原因だった。
・15世紀末期にヴィア・マラ峡谷に石造りの橋建設され、<下の道>「ヴィア・マラ峡谷〜シュプリューゲン峠」の人気が上がり始めた。
・シュプリューゲン峠の南斜面は、急勾配で登り降りが大変な場所が多い。


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マジョレー湖に向かう、
3:「ヴィア・マラVia Mala峡谷」〜「サンベルナルディーノ峠S.Bernardin(2066m)」のルート

・ルート詳細:<各旅紀行のページへlink。【峠】は峠DBへlink>
 クールChur
 トージスThusis
 ヴィア・マラVia Mala峡谷
 シュプリューゲン村Splugen
 サンベルナルディーノ峠S.Bernardin(2066m)峠DB】〜
 メゾッコMesocco
 ベリンツォナBellinzona
 マジョレー湖Lago.Maggiore

San Bernardino pass
【サンベルナルディーノ峠の紀行】


・この道も悪名高い難所、ヒンターライン川が深く刻まれた「Via Malaヴィア・マラ渓谷」を通過しなければならず、かつ「サンベルナルディーノ峠S.Bernardin(2066m)」の険しい登り降りが必要であり嫌われた。

 1967年、San Bernardino tunnelサン・ベルナルディーノ・トンネルの自動車道路が開通し、現在では主要ルートとなっている。【トンネルDB

San Bernardino  tunnel
【サン・ベルナルディーノ峠トンネルの紀行】



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4:「ルコマーニョ峠Lukmanier(1916m)」のルート

・ルート詳細:<各旅紀行のページへlink。【峠】は峠DBへlink>
 クールChur
 イランツIlanz
 ディ・ゼンティスDisentis
 ルコマーニョ峠Lukmanier(1916m)峠DB】〜
 ビアスカBiasca
 ベリンツォナBellinzona
 マジョレー湖Lago.Maggiore

Lukmanier pass
【ルコマーニョ峠の紀行】











・大きな迂回が必要であった。


Lake Como route
【コモ湖両岸のルートと曳船】

●コモ湖のルート



・北イタリアの平原からコモ湖Comoの両岸を、曳舟(引き船)か漕ぎ舟で、北に続くメッツォーラ湖Mezzolaに向かった。
・西のルート(コモComo〜湖の西の縁を)、東のルート(レッコlecco〜湖の東の縁を)
・コモ湖Lago.Comoは、長さが50km以上あり、船での行き来ができるため、コモが交通・運輸の要地になった。

Towpath
曳舟道 (ひきふねみち, Towpath)
艀(はしけ)/バージ(barge)【河川や運河などの内陸水路や港湾内で重い貨物を積んで航行するために作られている平底の船舶】


ヴァルサー人の居住地とゼプティーマ峠周辺
【ヴァルザー人の居住地と街道】

●ヴァルザー人の村とゼプティーマ峠周辺の街道


ヴァルザーの建物
【ヴァルザー人風の建物】
Walser(ヴァルザー人・ワルザー人)は、12世紀末から14世紀半ばに、アルプス各地の谷に分散移住してきた。

・中世の時代、各地の街道では荷役がかなり必要で、ヴァルザー人はアルプスの峠の荷役運搬などでも、重要な役割を担っていた。

・宿泊する場所、ロバや馬を交替させる駅の機能、農耕・食糧生産も行っていたので、かなりの人口がこのスイス東部の街道周辺でも活躍していたはずです。

・12:Vals、13:Rheinwald、15:Tschappina、17:Avers、18:Mutten、19:Flix、20:Churwalden-Pradenなどの地が、この周辺の居住地と重なっている。



●馬車、荷車、ロバ、ソリ、人力などを使っての運送


馬車、荷車 馬車、荷車
【2頭だて馬車、4輪荷車】

1頭だて荷馬車 わだち わだち
【1頭だて荷馬車。斜面を削ったわだち。マロヤ峠の古代ローマ街道のわだち】  古代ローマの道


ロバ、馬ソリ 石畳ソリ、雪ソリ
【ロバ、馬ソリ、石畳ソリ、雪ソリ】

人力
【人力輸送】


●周辺の紀行:写真(クリックで該当の紀行に)


Thusisトゥージス
【Thusisトゥージス】
Churクール
【Churクール】


Bivioビヴィオ
【Bivioビヴィオ】


Malojapass
【マロヤ峠:古代ローマ時代の荷車用のわだち階段(急斜面の岩)】



【ブレガリアBregagliaの谷】

Chiavenna キャヴェンナ
【Soglio ソーリオ】                                           【キャヴェンナChavenna】

コモ湖 Comoコモ
【コモ湖東岸Bellano付近から見る北の風景】                                【Comoコモ】


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