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Septimerpass
【g807.jpg:残雪の残るSeptimerpass/Pass da Sattゼプティマー峠(2310m)】

Septimerpass/Pass da Sattゼプティマー峠/セッティモ峠(2310m)

古代から中世の街道をハイキング・・聖人コロンバーノはこんなところまで本当に歩いた?・・【●峠DB

スイス:グラウビュンデン州】[北村 峠一].(Kitamura)      


●快晴のSeptimerpassゼプティマー街道を・・



【Bivioから南に・・ゼプティマー街道周辺の地図】 【●Google-Maps


 Bivioビッヴィオ滞在の3日目、快晴の今日はゼプティマー峠に行く事にします。村にひとつしか無いスーパーで、パンとバナナを買って出発したのが9時過ぎ。海抜1799mのBivioからほぼ南に距離約7km、ゼプティマー峠は2310mですから標高差510mあまり。無理せずに2時間ほどで行ける距離のはずです。

Septimerpass Septimerpass
【g763.jpg:Bivioから南に向かう。左:Piz-Grevasalvas山(2932m)、正面の三角:Piz-Lunghin山(2780m)】 【g888.jpg:軍事演習のエリアと時間:記載時間には、発砲のため立ち入り禁止 】

Septimerpass
【r253.jpg:見事な花畑】
 Bivioからすぐに南になだらかな道が作られています。正面にPiz-Grevasalvas山(2932m)やPiz-Lunghin山(2780m)の雪山を見ながら、花畑の中を歩いていくと、峠名の書いた標識が出てきました。

 目的の「Septimerpass Frei(ゼプティマー峠は開通)」とあり、マロヤ峠のインフォメーションの方の説明どおりです。その下のLunghinpassルンギン峠は 半分だけ開通マークがあり、赤印がないのでかなり残雪が多いのでしょう。

 それ以外の「Fcla d'Agnel/Scalotta/Stallerberg/Fcla da Valletta/Forcelina」は皆、開通しているようですが、この看板「軍事演習のエリアと時間」を表示してあるもののようです。ここに時間が記入されていないのでOKなのですが、このあたり、時間が記載されている場合は「軍事演習発砲のため立ち入り禁止」になるエリアなのですね。

 時々雲が走る程度でかなり直射日光は強いのですが、空気はひんやり。ほとんど汗もかかない快適さです。そしてアルムは見事なお花畑、眺めも最高です。

ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】

●Cadval(2019m)分基点からは、若干登りがきつくなって・・


 約1時間でCadval(2019m)の分基点、小休憩です。360度の展望を楽しんでください。進行の右手(南)はPass da Settゼプティマー峠、左手(東)はRoccabella山方面とあります。

 登ってきたBivio方面、右のほうには昨日通過下ユリア峠があるはずです。

Septimerpass
【g769.jpg:Cadval(2019m)分基点の360度。右(南)にPass da Settゼプティマー峠、左(東)にRoccabella山方面に】

Septimerpass
【g771.jpg:北方向:Bivio方面を振り返って見る】

 再度登りだすと、ゼプティマーからの渓流が、岩を深く削っています。やはり真冬にはかなりの雪、そして時には濁流がここを流れ下るのでしょう。

Septimerpass
【g847.jpg:渓流が岩を深く削っている】

●Plang Camferと街道遺跡

http://www.panoramio.com/【Plang CamferのGoogle写真】
http://prod.swisstopogeodata.ch/【Plang Camferの街道遺跡の地図と写真】

●街道(遺跡)の盛り土と石畳・・


 そこを越えると湿地帯のような場所、地図には「Plang Camfer」とあります。色々な高山植物が咲き乱れる中、盛り土の街道(遺跡)部分が真っ直ぐに続いています。

 そこを越えるとまたゆっくりとした登り道、昔の街道の跡らしい整地された道も、残雪の雪解け水が道を濡らしています。やはり冬はこの山越えは大変だったでしょうね。

Septimerpass
【g820.jpg:北方向:昔の街道の跡だろう。こんな平坦な街道道】

Septimerpass Septimerpass
【g812.jpg:が、ここも昔の街道の跡がある。南西方向の山はPiz Forcellina(2939m)だろう】 【g832.jpg:昔の街道の石畳と思われる】

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●Septimerpass/Pass da Sattゼプティマー峠/セッティモ峠(2310m)・・過去数千万人(?)が通過した峠・・


 出発から約2時間、なだらかな平地で池もある峠が近づいてきました。この池の水は北に、ライン川に流れはじめるのです。まずルンギン峠への分岐があり、続いて南側にブレガリアの山が見えはじめました。そして峠の道標があります。【●峠DB

vicosoprano-map2
【Septimer峠は四方からの道が集まっている】

Septimerpass
【g7802.jpg:ゼプティマー峠の標識】
Septimerpass
【g808.jpg:峠直前:ここからルンギン峠への分岐がある】

Septimerpass
【r239.jpg:峠直前:峠はなだらかな平地で池もある。南にブレガリアの山が見えはじめた】

 ここの峠は4方に向かう交差点のため、道標も9枚。

上から、
 北に「サイクルルート1」、南に「ルート1、667」、
 南に「Maroz dent 2h/Val da Cam 3.1/4h/Soglio 6h」。
 もう一枚南に「Maroz Dora 1h/Casaccia 2h/(SENT.STOR.DAL SETTIMO)」。これはCasacciaカサッチャ方面の下りルートです。
 北に向かう「Bivio 1.3/4/(Sent.STOR.DAL SETTIMO)」、「ルート25」は今来た道です。

 西に向いて「Forcellina 1h/Juf 2.1/4h」、2日後に行こうとしているJufユーフまで2時間15分です。
 東に「Pass Lunghin 1h/Lagh dal Lunghin 1.1/4h/Maloja2.1/2h」、「ルート25」、雪が多くまだ通行不可能なこのルートですが、昨日行ったマロヤ峠に行くのです。

 まさにこの場所が「Pass da Setto 2310m」●峠DB

 紀元前から1800年ごろまで、アルプスを越える主要峠だったゼプティマー峠(セット峠)なのです。そして「Sent Storada dal Settimo(Settimoからの聖者の街道)」との街道名も付いているのです。

Septimerpass
【g798.jpg:ゼプティマー峠から360度:東を見る:Pass Lunghin方面は、Piz Lunghin(2780m)】

Septimerpass
【g801.jpg:ゼプティマー峠から360度:西を見る:Pass Lunghin方面は、Piz Lunghin(2780m)】

 少し高い所に登って、峠を見渡す360度の風景を撮って見ます。東の正面Pass Lunghin方面は、Piz Lunghin(2780m)でしょう。西の三角の山はPiz Forcellina(2939m)、このアルプスの十字路を2000年近くの間、通過した人たちは何人くらいいたのでしょうか。

 東フランク国王Otto der Grosseオットー1世は、ローマ教皇に帝冠を要求しますが拒否され、何回もイタリア遠征をし、教皇ヨハネス12世により戴冠、ローマ皇帝になったのが962年。これが神聖ローマ帝国の始まりなのですが、何度もこの峠を軍と共に行き来したのです。

 国王や皇帝、その軍隊以外にも、当然商人や宗教者、巡礼などの市民も移動したわけで、年に1万人としても2000万人がここを通った事になるのです。すごいことです、そして馬や荷馬車なども移動したわけで、この街道の整備なども十分に行われていたことでしょう。

Septimerpass
【g786.jpg:聖コロンバンの銅板:
St Colomban 540-615 BANGOR-LUXEUIL-BOBBIO
聖コロンバーノ(540-615年):BANGOR(アイルランド)-LUXEUIL(フランス東部)-BOBBIO(イタリア中部)】
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●聖人コロンバーノはこんなところまで本当に歩いた?・・


 峠のまわりを歩いていると、銅板のプレートを見つけました。
「St Colomban 540-615 BANGOR-LUXEUIL-BOBBIO」とあり、昨年ガルダ湖の近くロヴェレートの岩壁の教会「聖コロンバーノの隠れ家」の聖者コロンバーノ【●峠の聖人】が、ここを通過したようです。

 調べて見ると「聖コロンバーノの路:ヨーロッパの巡礼の道」というルートがあって、巡礼する信者も多いようです。

 西暦614年、聖人コロンバーノは本当にこんなところまで歩いて来たのでしょうか?
 時代は西ローマ帝国が滅び、ゲルマンの民族大移動が落着き始めてはいたでしょうが、ランゴバルド王国が北イタリアにやっと出来た頃。カール大帝のフランク帝国(800年)まで200年も前なのです。

聖コロンバーノの路
【聖コロンバンの巡礼路:BANGOR-LUXEUIL-BOBBIO】
 彼はアイルランドからフランスに渡り、以降地図のようにヨーロッパ各地を巡礼して回り、614年にアルプスを通過しイタリア北部、Bobbioボッビオに修道院(Monsignor Bobbio)を建設したと言う話です。

 でもこのBobbioボッビオは、僕たちが泊まっているBivioビヴィオにもどこか通じますね。そして各地で、数多くの修道院や教会の設立をしたという記録が残されていますし、当時はこの街道が主ルートなのですから、この峠を実際に通過したのです。僕たちはその峠にいるわけですから、すごいことです。

 峠・巡礼路の名前「Pass da Setto / Septimerpass (ゼプティマー峠/セッティモ峠)」「Sent Storada dal Settimo(Settimoからの聖者の街道)」は、どんな意味なのでしょう、推測してみます。

・「Sett」はレート語とされ、隣接地の人々には「ゼッテ/ゼットマー」と呼ばれる。
・「Sett」はイタリア語では「北部」の意味=「Pass da Sett」とはイタリア・ローマから見て「北の峠」の意味?
・「Septime」はドイツ語では「(音程の)7度」の意味。
・「Septimius Severus」:ローマにあるセプティミウス・セウェルスの遠征記念凱旋門(Arcus Septimii Severi)の、在位193-211年のローマ皇帝Septimius Severusの名から「Septimerpass/Pass da Satt」の峠名を付けた? (「古代ローマへの道」p217で、H.シュライバーは、もっともらしいが根拠薄弱と書いている)
・「Settimo」を検索すると「Badia a Settimo:フィレンツェ近くのカトリックの礼拝所・修道院」「Chiesa di San Colombano a Settimo:フィレンツェ近くのセッティモの聖コルンバノ教会」が出てくる。両者はいずれもSan Colombanoに関連しており、Settimo=San Colombanoの意味で使われた。
 ちなみにWikiの関連リンクでも「Bivio-Passo del Settimo: lago Columban a 2.444 m」が聖コロンバーノ関連としています。

⇒⇒★Sent Strada dal Settimo/Pass da Setto / Septimerpass の「Sett/Septは、St.Colombano聖コロンバーノ」●峠の聖人】からきているように推測します。


聖コロンバーノの隠れ家

●聖人コロンバーノの峠のプレートと巡礼路【●峠の聖人


・プレートの内容:St Colomban 540-615 BANGOR-LUXEUIL-BOBBIO
 ・・聖人コロンバーノ(540-615年):BANGOR(アイルランド)-LUXEUIL(フランス東部)-BOBBIO(イタリア中部)

<関連サイト>
i:「RoveretoロヴェレートのSan Colombanoサン・コロンバーノ岩窟教会」紀行
http://it.wikipedia.org/【wiki/San_Colombano:彼の歩いた地図がある】
http://bangortobobbio.blogspot.com/【St Columban's Day, 11月23日】
http://www.amisaintcolomban.org/【聖コロンバーノの路:ヨーロッパの巡礼の道
http://www.viestoriche.net/【Septimerpass PASSの復活】
http://www.ilcamminodisancolombano.eu/【columban-way】
http://it.wikipedia.org/【San Colombano関連サイト:聖人/市町村/建築物/宗教/場所】
聖人の島アイルランド

●ローマ軍の駐屯地と戦場跡地

  <www.swissinfo.ch 2024年><www.swissinfo.ch 2021年
・紀元前3世紀初め、ローマ帝国は現在のスイス・イタリア語圏ティチーノ州南部にあたる地域を征服した。
・ローマ軍は紀元前1世紀の間に繰り返しアルプス山脈に進軍している。
・セプティマー峠【●峠DB】にローマ軍の駐屯地がある。ここで出土していた硬貨や投石弾などは、ユリア渓谷における戦いの時代を特定する重要な手がかりとなった。同駐屯地は、渓谷をさらに下ってスアネテス人と戦う前にローマ兵が最後に立ち寄った場所と考えられている。
・Tiefencastelティーフェンカステルとクンターの間にあるクラップ・セス峡谷付近の丘で、ローマ第3軍団、第10軍団、第12軍団の3つの軍団からなる2千人の強力な部隊が地元の兵士500〜1千人と衝突したと考えられる。
アウグストゥスが初代ローマ皇帝(BC27-AD14年)の時代、軍の野営地が峠付近で発掘された。アルプスの北を管理するための重要な場所であった。

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●Casacciaカサッチアへの道・・素晴らしい山並み・・


 峠から南に下る方向には、素晴らしい山の風景が広がっています。地図で山の名を当てはめてみました。

 マロヤ峠から眺められた「Piz Salacina (2599m)」が左の雪山でしょう。
その右、手前の二つの頂「Piz Lizun(2518m)とPizzi di Maroz(2599m)」のかなたの山並みは、
ソーリオから見る、セガンティーニが描いたVal Bondascaボンダスカ谷の残雪の山々でしょう。

 なかなかこんな景色は見られません。こんな風景を見ながら、太古から中世の人たちは、Val Marozマロツ渓谷からCasacciaカサッチャに下ったのです。

 立寄っては見ませんでしたが、あの先にある建物は「Tgesa da Sett」と思われます。当時峠の上に礼拝堂・ホスピスが作られ、1100年に改装されたとの解説が資料の中にありました。

Septimerpass
【g785.jpg:峠から南に下る方向を見る。マロヤ峠からの眺めソーリオからの眺めと比較すると・・】

 中世のゼプティマー峠を中心とした交通路地図と、Thusisトゥージス〜Septimerpassゼプティマー峠〜Casacciaカサッチアの街道の海抜図も参考に。

ゼプティマー峠周辺の地図 ゼプティマー街道の海抜
【ゼプティマー峠周辺の地図】 【ゼプティマー街道の海抜】

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●街道の花たち・・


 帰り道、のんびりと花を撮影しながら下ります。【●アルプスの花たち

Septimerpass
【g790.jpg:青色系の花

Septimerpass
【g791.jpg:赤色系の花

Septimerpass
【g806.jpg:黄色系の花

Septimerpass
【g844.jpg:白色系の花

Septimerpass
【g867.jpg:緑色系の花

 今日一日、ハイキングですれちがった人はたった6人。かつての賑やかな峠道は想像出来ません。そして会話は花たちとだけ。

 約2万4千歩のハイキング、「ご苦労さんでした」とビヴィオの宿で待っていたのは、よく冷えた大ジョッキのビールでした。

<関連するサイト>

4nobuさん:マローヤからルンギン湖、ビヴィオへ
http://www.panoramio.com/【Plang CamferのGoogle写真】
http://prod.swisstopogeodata.ch/【Plang Camferの街道遺跡の地図と写真】
http://it.wikipedia.org/【wiki/San_Colombano:彼の歩いた地図がある】
http://bangortobobbio.blogspot.com/【St Columban's Day, 11月23日】
http://www.amisaintcolomban.net/【聖コロンバーノの路:ヨーロッパの巡礼の道】
聖人の島アイルランド

<関連書籍・地図>

ヨーロッパアルプスのハイキング地図、ガイド洋書  山渓など:日本語編

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<3泊したBivioビヴィオと宿のこと・・>
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