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Splugenpass / Montesplugaスプリューゲン峠


No.:相対順位
  (-N:追加)
30

●赤は大分水嶺
Hight(m):標高 2115(2113)m
Alpenpasse:峠名
Valley/Tal:谷名・地名
Splugenpass /Spluga -Passo dello/ Montespluga スプリューゲン峠
Country:国>県>谷> Ch/It:スイス/イタリア
Route-no,
Place:場所
(Motorway=高速:Tunnel=トンネル)
(Map-page-address:*1)
●大分水嶺(南=Liro〜Meraメラ川〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。北=Rheinライン川〜(北海:North-Sea)
・Ch/It:クール南
・SS36's Splugen Pass, Chiavennaキアヴェンナ:It to Splugen:Switzerland.

(33-kb69)
Via MalaLenzerheide
SeptimerJulierMaloja
St-BernardinoSt-Bernardino Tunnel
 − 
Closed/Maximum grade(%)/etc :
道路閉鎖時期/勾配/条件
110 Vorder and Hinterrhei
スイス、グラウビュンデン州
Swisstopo: 1:100,000


他:アルプスのトレッキング・ドライブ地図
・11-5月閉鎖(closed from early November through Juneの記述も)(年によって異なる)
・maximum grade is 13.3 percent
・minimum width is 3.1 meters (10 ft.); maximum vehicle height is 2.84 meters (9 feet 2 inches); maximum vehicle width is 2.32 meters (7.5 ft.); especially scenic; not recommended for caravans.
★現在の開通状況:以下のサイトを参照
  <Ferme/Gesperrt/Chiuso=閉鎖、Ouvert/Frei/Aperto=開通>
Impressions:感想:
峠両側の集落・歴史的役割
  ・成立要因推測など
・この交通路は、ローマ時代以前から使われており、エトルリア人などの通行があった(H.シュライバー:古代ローマへの道p202.209)。また、コモにはケルト人のインスブリ族の町があった。

・紀元前2世紀にこれを征服したローマ人も、コモ湖と峠を整備・活用した。古代ローマ時代の道

中世のスイスアルプス越えの交通路(右図)は、このシュプリューゲン峠〜Via Malaヴィア・マラ峡谷の「下の道Untere Strasse」と、マロヤ峠ユーリア峠、またはゼプティマー峠を通る「上の道Obere Strasse」だった。上の道の方が断然人気があった。

 この下の道は狭く厳しい道が多く、かつ悪名高い難所、ヒンターライン川が深く刻まれた「Via Malaヴィア・マラ渓谷」が嫌われた主要な原因だった。


・5C頃の地名:Cvnvavrev★ポイティンガー地図

・15世紀末期(1473年)にヴィア・マラ峡谷に石造りの橋建設され、<下の道>「ヴィア・マラ峡谷〜シュプリューゲン峠」の人気が上がり始め、さらに落石や雪崩などの危険性が高い「ゼプティマー峠」は敬遠され、整備の進んだ<上の道>「ユリア峠〜マロヤ峠ルート」を選ぶ旅行者が増えて行った。

・ドイツ側から、この峠やゼプティマー峠を通って南のローマ方面に向かうとき、コモ湖(長さが50km以上あり船で行き来)を交通に用いることができ、コモが交通・運輸の要地になった。

・1800年、フランスのマクドナルド将軍が全軍を率いてこの峠を越えた。
・1812年、オーストリアの技師カール・ドネガニが、軍事目的で峠の整備を監理した。
・1818-1821年にスイスの技師Richard La Niccaが、Viamalaヴィア・マラの悪名高い渓谷の難所を、今ある道路に近い道に作り変えた。

・19世紀にアルプス越えの鉄道(Semmeringゼメリング:1854年Brennerブレンナ:1867年)が開設されると、峠を通過する輸送は減った。

・1967年、サン・ベルナルディーノ峠に高速道路のトンネルができ、この道への交通量はさらに少なくなった。

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●峠をイタリア側に下り、Montespuga湖を南に下った先に、急なジグザグのトンネルもある坂道があります・・・歩廊Platform/回廊Corridor/Passageway/Cloister/Gallery・・・(minakata坂と勝手に称ぶ)。



「シュプリューゲン峠」 に関する歴史家ミシュレJulesMichelet(フランス:1798-1874)の記述を見つけました。『山』という作品です(大野一道訳 藤原書店 6.アルプス高地の通行路p55〜)

シュプリューゲンの歩廊以上に堂々としたものは何もない。あれらはイタリアの才能が作り出した巨大な作品である。人はおびえ魅了される。あれらの道は、通行路という以上に、不可視のもののために深淵の上に立てられた宮殿といった様子である。あれらの歩廊には窓があって、すばらしいアーケードが山や断崖の眺めを縁取り、幻想的な印象を与えている。歩いていくと広大な光景が次々とやってきては、一瞬光りの中で認められ、あっという間に去ってゆく。まるであれらの円天井の歩廊全体が錯覚の世界であり、精霊たちが住む僧院のようなのだ。

130年以上前の状況でしょうが・・・芸術ですね
昔の峠馬車
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http://en.wikipedia.org/【wiki/Splugen_Pass】
http://www.viestoriche.net/【LA VIA MALA e LE STRADE DELLO SPLUGA】
http://en.graubuenden.ch/【hiking/trekking:Thusis-Spluga-Chavenna】

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<地理など>
・ライン渓谷からシュプリューゲン峠をへて北イタリアのコモ湖にのびる線によって、構造のうえで西アルプスと東アルプスにわけられる。

・EU(イタリア)とスイスの国境で検問がある

<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK>
2001.6.30(N-Site)

【国境峠風景とイタリア側のMontespluga湖】

2012.6.26(X12-Site)

【雨の国境峠通過】

<周辺情報>

Splugenシュプリューゲンの村と、Hinterrheinヒンターライン


Minakata坂の歩廊Platform/回廊CorridorとMinakata岩  
<峠付近の花:花の写真図鑑へ
<20010630>

<20120626:Val Scalcoggiaスカルコッジャ谷:Madesimoマデシモの花:花の写真図鑑(20120626)へ>>


 

<峠付近の宿情報>
 ○付近の宿検索:Splugen付近

booking.comBooking.Comヨーロッパ:アルプス山脈エリア・宿予約

EU-Alps 峠の茶屋:
掲示板:問合せなども
EU-ALPS.com
旅のGET:
旅のGET
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