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琥珀街道/塩の道とアルプスの峠
Amber-Road/-Strase/-highway,Salt-Road/Alpen-Pass ⇒【ケルト人・ハルシュタット文化】【古代ローマの道】【アルプスの歴史も参考に】


琥珀
【バルト海の琥珀】

【ハルシュタットの岩塩】
●「すべての道はローマに通ずる、一千年間の世界の支配者ローマ、古代ローマの軍用道路」といわれる『古代ローマの道』。
 さらに歴史がさかのぼり、「ヨーロッパの先史時代、ケルト人のハルシュタット文明時代」の『琥珀街道』。
これらのルートと、『ヨーロッパアルプスの峠』。

 この接点について少しずつ調べていきたいと思います。どこに、いつごろから、誰が作って、誰がどのように使ったか・・・などを
 まず、各街道のルートと、アルプスの想定できる峠名を整理してみました。

Continental Amber Road

■琥珀(コハク)街道/塩の道:Amber-Road,Salt-Road とは

<琥珀街道>
 琥珀街道は、バルト海Baltic/北海の海岸の琥珀Amber(数千万〜数億年前の樹木の樹脂が、土砂などに埋もれ化石化したもの)を扱う北方の琥珀商人や毛皮商人と、南方のエトルリア(ローマ帝国成立以前に北部イタリアに住んでいた民族)の装飾品・金細工などの工芸商人との交易が盛んになるにつれて、地中海・アドリア海方面との道もつくられていった。さらにはギリシャ、黒海、エジプト、シルクロードなどにも交易の道が作られていった。

馬と商人
Solkpassゼルク峠(1790m)を行く馬と商人たち
 これらの道は紀元前2000年頃にはすでにできていたというが、ヨーロッパ文明の最初の時代、ケルト人の「ハルシュタット文明(BC12C-BC6C)のころには、主な商品の名によって「琥珀街道」として、北・南の商人が行き来した。この街道は同時に、様々な民族や国の相互交流の役目も果たした。

 ハルシュタットの先史時代の墓には、これらの琥珀・金細工などが発見される。ここは岩塩坑によって重要な商業中心地のひとつだった。(シュライバー著『道の文化史』などから)

https://nammu.com/eng/amber-road/【琥珀の道:琥珀の取引方法】

<塩の道>
 塩は食物の保存のためなどで需要が増し、海岸・岩塩・塩井のある地との交易路<塩の道>が、古くから世界各地で作られた。(la-Turbie地中海など)
 上で書いた琥珀街道でも、塩は主要商品として運搬されていた。

琥珀街道:西1-3
【北海/バルト海〜地中海のルート<概略>(『道の文化史』m-p.7)】
琥珀街道:黒海へ
【バルト海(東)〜黒海へのルート】

<●琥珀の道:西から>(『道の文化史』m-p.7)
 ・ハンブルク地域(北海)〜ヴェーゼルWeser河〜マイン河〜ライン河〜バーゼル〜ソーヌ河〜ローヌRhone河〜リグリア海(地中海)
   (一部ハンブルク地域〜ケルンを通る支流が西にある)

 ・ハンブルク地域(リューベック湾)〜エルベElbe河〜マクデブルク〜ハレ〜ホーフ〜レーゲンスブルク〜ハルシュタット〜ブレンネル峠〜アディジェAdige河〜アドリア海
   (一部マクデブルク〜ハレ〜パッサウを通る支流が東にある)

 ・グダンスク湾(ダンチヒ等)〜ヴィスワ/ヴァイクセルWisla河〜トルン〜ヴァイクセル河〜オーデル河〜メーレンの隘路〜ドナウ河(ヴィーン)〜カルヌントゥム〜ハンガリー〜スロベニア〜アクイレイア〜アドリア海
   (今日でもザームラント付近のバルト海では琥珀が取れる)

 ・グダンスク湾(ザームラント等)〜ヴィスワWisla河〜ワルシャワ/〜サン河〜セレト河〜プルートPrut河〜黒海 / 〜ブーク河〜ドニエプルDnepr河〜黒海(右上の図)


琥珀の道wiki
【琥珀の道(バルト海ルート):wikiより:クリックで拡大】

■琥珀街道のアクイレイア〜バルト海ルートと通過都市名

<西から北東に> (p. )は『古代ローマへの道』のページ
  (琥珀の道:wiki-plなどより)<Aquileia〜MariaSaalのルートは古代ローマの道:オーストリアも参照

アクイレイア
アクイレイア
【アクイレイアのモザイク画とバジリカ】
 <イタリア>
 ・Aquileiaアクイレイア
 ・Goerz(?)ゲルツ付近(イソンツォ川橋際)
   =最初の宿駅=Gorizia(?)(p.251)
 <スロベニア>
 ・(?)(Wippach/Vipavaヴィパヴァ川沿い)
   =2番目の宿駅(p.251)
 ・(?)(プラニナ牧場)
   =3番目の宿駅=峠の宿場(p.251)
   =? Razdrto(574m)=Prewald(wiki)
 ・(?)(Logatec=Lohitschロイチュ)(p.251)
 ・Nauportusナウポルトゥス(古代名)
   =Vrhnikaブルフニカ(p.250)
   =Oberlaybachオーバーライバッハ)(p.251)
 ・Aemona/Emonaエモナ(古代名)
   =Ljubljanaリュブリャナ/ドイツ語 Laibach(p.250+325)
 ・Kelea/Celeiaケレイア(古代名)
   =Celjeツェリェ/ドイツ語 Cilliツィリ(p.250+326+327)
 ・Poetovio/Poetoviumポエトウィオ(古代名)
   =Ptujプトゥイ/ドイツ語:Pettauペッタウ(p.250+328)
 <ハンガリー>
 ・Szombathely
 ・Sopronショプロン
 <オーストリア>
 ・Carnuntumカルヌントゥム
 <スロバキア>
 ・Bratislavaブラティスラバ
 <チェコ>
 ・Brnoブルーノ
 ・Bouzov(Olomuc)
 <ポーランド〜ロシア〜リトアニア・・>
 ・Klodzko
 ・・・・St.Peterburgサンクト・ペテルブルク



amber_roads-german
【ドイツ内の琥珀の道:en-wikiより:クリックで拡大】

■琥珀街道のドナウ川〜ブレンナ峠ルートと都市名

ドイツ内の街道からブレンナ峠へのルートは右図であり、
 都市名はドナウ川の南のみを記述する。(Amber Road:wiki-enより)

・Breisgau/Phine・Ulm・Ingolstadt(Manching/Danube)・Passau
・Schafhausen・Braunau
・Uber-Lingen←・Munich・Berounka -・Salzburg
  →(Bodensee)→・Oberammergau Ursprungpass
   →<Fernpass>→ ・Innsbruck
    ↓   
  Brennerpass 
  ・Bressanone→・Cortina d'Ampezzo



■アクイレイアとハルシュタット、ウィルヌム間の峠情報

amber-hallstatt  アドリア海の貿易港「Aquileiaアクイレイア」と、岩塩鉱のある「Hallstattハルシュタット」、ケルトの首都といわれる「Virunumウィルヌム」を結ぶ主なルートと、通過する峠を図示しました。
 南東のルートから峠を列記します。

 ・Razdrto峠:トリエステ〜ポストイナ付近(約600m)
 ・Sentozbolt峠:リブリャナ〜Celjeツェリェ間(594m)
 ・Mislinjaミズリーニャ峠(約600m)
   (Huda Luknjaフダ・ルクナ峠/鞍部)
 ・Seebergsattelゼーベルク峠(1218m)

 ・Gaberlガーベルル峠(1547m)
 ・Pyhrnpassピュールン峠(945m)
 ・Solkscharteゾルクシャルテ峠・・・Solkpass峠(1790m)
 ・Radstadter-Tauern Passラートシュテッター・タウエルン峠(1738m)
 ・Katschbergカッチベルグ峠(1641m)
 ・Perchauer峠(1005m)

 ・Predil峠(1156m)
 ・Nassfeldpas峠(1530m)
 ・Pontebbaポンテッバ峠(816m)
 ・Plockenプレッケン峠(1362m)
【ハルシュタット】



■ハルシュタットとハライン(ザルツブルク)の塩採掘 ・・琥珀街道・塩の道関連


【ハルシュタット、ハライン、ザルツブルクMap】



【ハルシュタット文化とラ・テーヌ文化:概要地図】
中核となるハルシュタット文化圏(紀元前800年〜紀元前500年まで)=濃い黄+薄い黄色
中核となるラ・テーヌ文化圏(紀元前450年〜紀元前50年まで)=濃い緑+薄い緑色

  ○https://upload.wikimedia.org/
●ハルシュタット岩塩坑Hallstatt-Salzbergwerk と塩

 ・ハルシュタットの塩採掘の歴史は、7,000 年前の新石器時代に始まり、世界最古の岩塩坑である。その後、単純な道具を備えた人々は、山の深さ200mまでのトンネルを掘り、山の奥から「ホワイトゴールド」を運ぶための階段さえ作った。

 ・ハルシュタットの地での塩の採掘は、紀元前 1200 年頃から紀元前 500 年頃までがピーク。

 ・ハルシュタット文化は、ヨーロッパの初期鉄器時代のケルト人と初期のケルト人に関連する考古学的文化で、 ギリシャの黒絵式陶器、琥珀、象牙、ワイン、青銅器、金銀の装飾品など、ヨーロッパ各地の贅沢品と、この地の塩などが交易された。 紀元前800〜450年。(紀元前 8 世紀から 5 世紀)

 ・しかしハルシュタットでの主な活動は、紀元前 500 年頃に終了したようだ。
   ・その理由は定かではないが、塩の採掘地は非常に深くなっっていた。
   ・紀元前 350 年頃には大規模な土砂崩れなどにより、谷ががれきと泥で埋葬地を除いて、高い谷全体が数mの高さで埋められている。
   ・この時期に多くのハルシュタットの墓が盗まれた。
   ・それまでに、塩採掘の焦点は近くのハライン岩塩坑に移り、近くのデュルンベルクに墓があり、ハルシュタット後期からラ テーヌ期初期にかけての重要な発見物がある。

  ○https://www.salzwelten.at/【Salz-Welten塩の世界:hallstatt-salzbergwerk】
  ○https://en.wikipedia.org/wiki/Hallstatt
  ○https://upload.wikimedia.org/


●エトルリア商人と琥珀街道/塩の道

 ・エトルリアの商人は、工芸細工品をハラインとハルシュタットに運び、そこでバルと海地方の琥珀と交換した。北から琥珀商人・毛皮商人などと交易 ・・紀元前20世紀頃〜。(m-p.03-)
  ○https://www.eu-alps.com/

 ・エトルリア:紀元前10世紀頃から花開いたヴィッラノーヴァ文明に出現した多数の都市国家を中心としており、オリエンタ ライズ アルカイック時代には非常に強力でした。エトルリア人は、紀元前 650 年までにイタリアで支配的な文化となった。
  ○https://ja.wikipedia.org/wiki/

 ・ハルシュタット周辺産の塩はいろいろな「塩の道」で各地に運ばれたが、その一つは水運。特にドナウ川の支流(イン川)の支流であるザルツァハ川(=塩の川)は重要で、その水上交通の要衝がザルツブルク(=塩の砦)
  ○https://www.shiotokurashi.com/


●ハラインHallein(ザルツブルグ岩塩坑Salzburg-Salzbergwerk)と塩

 ・デュルンベルク高原のハライン地域への人の定住は 紀元前 2000 年頃で、塩水泉が使われていた。

 ・紀元前600年頃 地下鉱山での岩塩の採掘が始り、塩貿易はケルト人にかなりの繁栄をもたらした。(墓の調度品などに残されている)

 ・塩はデュルンベルクを、ザルツァッハ川左岸の谷集落とともに、経済的および政治的中心地にした。

 ・紀元前 15 年にローマ人の到来でノリクム王国が衰退すると、デュルンベルクでの製塩は停止した。

  ○https://en.wikipedia.org/
  ○https://de.wikipedia.org/


●ザルツブルクと塩

 ・12 世紀(1191年)になって、ザルツブルクの王子大司教が富の源として「ホワイトゴールド」を再発見した。

 ・特に1559 〜1617 年のヴォルフ=ディートリッヒ・フォン・ライテナウ大司教は、塩貿易からの高い利益で、ザルツブルクに数多くの壮大なバロック様式の建物を建設した。
  ○https://www.salzwelten.at/de/blog/salzburg-salzbergwerk


●ハルシュタット文化Hallstatt_culture と ラ・テーヌ文化La_Tene_culture

 ・ハルシュタット文化:紀元前 12 世紀(後期青銅器時代)から・・(初期鉄器時代)紀元前 6 世紀までの 文化。

 ・ラ・テーヌ文化:鉄器時代後期 (紀元前 450 年頃から紀元前150年のローマ征服まで) に発展し、栄えハルシュタット文化を継承した。
  ○https://en.wikipedia.org/wiki/
  ○https://en.wikipedia.org/wiki/



■Aquileiaアクイレイア〜Virunumウィルヌム/MariaSaalマリア・ザールのルート

 (p. )は『古代ローマへの道』のページ
★アドリア海の貿易港「Aquileiaアクイレイア」と、ケルトの首都「Virunumウィルヌム」「MariaSaalマリア・ザール(1996年)(2003年)(2013年)」を結ぶルートのうち、低い峠のみを通過する次のルートが、かなり使われていたとの調査があります。
 (ケルンテンにおける古代ローマの遺跡(1843-70調査)(p.251))
  <○スロベニア地名⇔ドイツ地名変換

 ・Aquileiaアクイレイア
 ・Goerz(?)ゲルツ付近(イソンツォ川橋際)=最初の宿駅=Gorizia(?)(p.251)
 ・(?)(Wippach/Vipavaヴィパヴァ川沿い)=2番目の宿駅(p.251)
 ・(?)(プラニナ牧場)=3番目の宿駅=峠の宿場(p.251)
  =? Razdrto(574m)=Prewald(wiki)
 ・(?)(Logatec=Lohitschロイチュ)(p.251)
 ・Nauportusナウポルトゥス(古代名)=Vrhnikaブルフニカ(p.250)=Oberlaybach(独)オーバーライバッハ(p.251)
 ・Aemona/Emonaエモナ(古代名)=Ljubljanaリュブリャナ/Laibach(独)(p.250+325)
 ・Savaサーヴァ川渡河点(p252)
 ・クライン=?Kranjクラーニ/Krainburg(独)
 ・ウペルム=Weitensteinヴァイテンシュタイン/現在名ヴィタンニュ・・Velenjeらしい?
 ・Huda Luknjaフダ・ルクナ峠/鞍部(Pakaパカ谷:Mislinjaミスリンニャ谷=Misling(独)
 ・Windischgratzヴィンディシュグレーツ(独)=コラティオ(古代名)=Slovenji gradec
 ・ユエンナ(Globasnitz(独)グロバスニッツ近く=Globasnica(Slo)(*Museum)
 ・Virunumウィルヌム=Klagenfurtクラーゲンフェルト(Noricumノーリクムの中心地)
 ・Zollfeldツォルフェルト平野
 ・MariaSaalマリア・ザール
【マリア・ザールの教会と壁の彫刻】


■Noricumノリクム(ケルト人の王国)とVirunumウィルヌム(首都)

Noricum ・Noricumノリクム:現在のオーストリア・スロベニアの地に居住していたケルト人の王国で、12の部族で構成されていた。

・Virunumウィルヌム:ノリクム王国・王室の首都・・都市の名前は「Salaサラ」であると信られており、現在の「Maria Saalマリア・サール」の名前はおそらくそこから派生したものと言われる。

・BC100〜BC30年は、Magdalensbergマクダーレンスベルク山の上にあった。

・BC16年、ノリクムはPANNONIAパンノニアと共にローマ帝国のイストリアを侵略したが敗れた。

・以降ノリクムはローマ帝国に併合・ノリクム属州となった。ウィルヌムは、ローマがケルト人を支配した都でもあった。

ウラウディウス帝(在位41-54年)は、山頂にあったこの都をZollfeldツォルフェルトの平野に降ろした。


Magdalensberg <関連サイト>

Noricumノリクムドイツ語【ケルト人の王国、およびその後に成立したローマ帝国の属州】
Noreiaノーレイア【ロリクムの首都:移動していたらしい】
Magdalensberg【ノーリクムはローマ共和国ローマの友好同盟国の時からだった。両国間の貿易は、主にノリクムの鉄、金、農産物だった。BC100〜BC30に存在していた。】
http://en.wikipedia.org/【wiki/Maria_Saalマリア・サール】
Prince's Stone大公/プリンスの石【626-630年Carantaniaカランタニア公国の時代、部族長によって君主(大公Knez)を選んだが、その儀式はオーストリア・ケルンテン州のクルン城の「大公の石」の上で行われた。この後少し離れたゴスパ・スヴェータ=聖なる婦人の意味=現在のMariaSaalマリア・ザールの石の玉座に場所を移した。】



<●紀行>
 i:2013年の旅ルート【アクイレイア〜ゴリツァ〜ツェリェ〜〜マリアザール〜】
 i:2003年の旅ルート【マリボル〜〜】
 i:Solkpassゾルク峠の旅行記【「塩の道」も参考に】
 i:Celjeツェリェ〜Ljubljanaリュブリァナ〜Postojnaポストイナの旅行記【「琥珀街道」も参考に】
 i:Route du Sel塩の街道/la-Turbieラ・トゥルビ峠/ 地中海【青銅器時代(1800BC)】

<●参考Webサイト>
 ○琥珀の道(日本語) (英語)
 ○ハルシュタット文化(日本語)
 ○http://www.hallstatt.net/【salz strasse Geschichte:塩の道の歴史・ハルシュタット】
 ○http://de.wikipedia.org/【wiki/Alte_Salzstra古代の塩街道】
 ○http://en.wikipedia.org/【wiki/Baltic_amber】
 ○http://www.ambergallery.lt/【バルト海の琥珀】

参考資料:
 本『古代ローマへの道』Hermann Schreiberヘルマン・シュライバー著、関楠生訳、河出書房1989.2・・・(p.xx)と記
 本『道の文化史』Hermann Schreiberヘルマン・シュライバー著、関楠生訳、岩波書店1960.6・・・(m-p.xx)と記
 本『山』ミシュレJules Michelet(フランス:1798-1874)著、大野一道 訳。藤原書店(グラウビュンデンへの道 p.168〜)
 本『ローマの道の物語』藤原武著、原書房
 本『中世ヨーロッパ』Donald-Matthew(レーディング大教授)著:朝倉書店・・(中世ヨーロッパp.xx)と記
 本:『図説:ケルト文化誌』バリー・カンリフ著、原書房p60
 本『Encyclopedia Britannica (1911edition:ALPS)』 など


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Dr. Hermann Schreiber
Dr. Hermann Schreiber ヘルマン・シュライバー(1929-)
ミシュレ




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