Solkpassゼルク峠(1790m)
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かつて塩を背にたくさんの馬・荷車が越えた目の前の歴史一杯の峠を、何台ものバイクが仲間とともに訪れます。
峠の北側はSolktalerゼルク渓谷自然公園。氷河に覆われていたこの山岳地帯のあちこちは、たくさんの湖が点在し、自然の恵みを与えてくれる涵養地です。
[北村 峠一].(eu-alps)
<2003.6.8(日)>
シュタイアーマルク州に入って、Seebachゼーバッハ(池川)に沿う道はまるで日本の田舎を走っている感じの、なだらかな山の斜面が、段々畑のような風景が続きます。残念ながら「ヨーロッパアルプスの峠」を走っているという感じがしないのは、この風景だからでしょう。
Murauムーラウへの分岐点はすぐに見つかり、Solkゼルク峠まで往復し、またここまで戻ってくる事にします。
【46.jpg:Seebachジーバッハ:池川村が峠道とムーラウへの分岐点】
【54/57.jpg:なだらかなこの道を峠に向かって・・・到着】
約10kmで1790mの峠に到着です。やはり「低い」と感じるのは山肌のゴツゴツした感じがないからでしょうか。地図を見るとこのNiedere-Tauernニーデレ・タウエルン山脈の稜線には、たくさんの湖が点在しています。かつて氷河に覆われていたこの山岳地帯、自然の恵みを与えてくれる涵養地は今、Solktalerゼルク渓谷自然公園になっています。
峠の上には何台ものバイクの若者たちが、後続の同僚を待っているようです。やがて排気量の小さいバイクに乗った、このあたりでは珍しく太った若者がやっとのことで登ってきます。さらにそのずっと後から真っ黒な排気ガスを出した古ぼけたワンボックスカーが到着です。どうやらこの10数人のメンバー全員の荷物と、若い女の子3-4人を載せてツーリングをしているようです。こんな風景は自転車のツアーでも見ますが、今晩のビールはうまいでしょうね。 【
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【a4.jpg:10kmほどのなだらかな道の先の峠には、何台ものバイクが後続のバイクや荷物運びの車を待っています】
【59.jpg:峠の北側の谷と、東の山。北側は氷河が削り取った、急な斜面の谷のようです。】
【79.jpg:西の山。右側のむき出しの岩も、かつての氷河の面影はなく緑に覆われています】
【左:c1.jpg:峠のカンバンに描かれている峠の歴史。塩の街道の解説、右:c9/d4.jpg:峠を行く馬と商人たち】
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「郵便馬車」
も参考に
近くのカンバンにこの峠の歴史の説明と絵が掲示されています。詳細の意味は不明ですが、「古代からの歴史の街道、塩の道、交易に重要な道・・・20世紀になって拡張整備」ということが書かれているようです。
「Salzstrasse塩の道」は世界中どこにでも、日本にもありますね。塩がないと人も動物も生きていけない。その重要な岩塩がこのハルシュタット、ザルツカマーグートで多量に掘削され、ムーア川に沿った琥珀街道で運ばれたのです。汽車やエンジンを使っての車での運搬はここ100年ほどですから、その前は馬、荷馬車での運搬が何千年も続いたのです。そして主要街道以外の、なだらかで比較的容易に越えられるこの目の前のゼルク峠の道を、馬が背に塩を積んで往来していたんですね。
【古代ローマの道:地中海のアクィレイアから、ユウァウム(ザルツブルク)に抜ける主要街道。
クリックで「琥珀街道/古代ローマの道とアルプスの峠 」へ】
<Solkpass、Salzstrasse塩の道関連のWeb-Site>
○
http://www.blinde-kuh.de/kelten/kultur.html
【ケルト文明:
英語訳
】
○
http://de.wikipedia.org/
【wiki/Alte_Salzstra古代の塩街道】
【92.jpg:峠の礼拝堂には見事な色彩のステンドグラスがあります】
【e6.jpg:来た峠道を戻ります。】
長いながい人類の歴史が目の前の峠道にあると思うと嬉しくなって、礼拝堂にお礼に入ります。見事な色彩のステンドグラスは、幼いキリストと
「セント・クリストフォロフ(聖クリストフォルスSt. Christopher)」
の旅人の守護聖人の絵です。
そして来た峠道を戻ります。
<Murauムーラウ・・・Murムーア川のAu=Aue草原という意味でしょうか・・・>
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