【緑が走行ルート。左のトゥラッハ峠(1783m)からFriesachへ、さらに先へ】 |
<この周辺のWeb-Site> ○http://www.friesach.at/【Stadt Friesach:フリーザッハの公式ページ】 ○http://www.walledtowns.com/wtfc/towninfo/austria/friesach.html【Walled Towns Friendship Circle城壁の姉妹都市】 ○http://www.metnitztalerhof.at/【Landhotel-Metnitztalerhof(4☆)】 ○https://www.emporium-numismatics.com/【Friesacher-penny】 −−−−−−−−−−−−− <フリーザッハの歴史など> ・この町の名前が記録に現われたのは860年で、東フランク王国(ドイツ王)ルートヴィヒ(843-76年)の記録に「Friesah」のことが残っている。 ・以降歴代のザルツブルク大司教の南のヴェネチュアへの前哨、街道、などの地理的・戦略的に重要な場所で、この地は城、教会、修道院などが集まった。特に戦略的にはウィーン〜ベネチュアの街道、ザルツブルクへの交易の街道で、この付近で狭まっている谷を見張るのに絶好の位置にあった。 ・この地理的に好都合の状況と商業の発展から、国際的に通用し後に「中世のユーロ」と呼ばれることもある「Friesacherペニヒ」コインが使われたこともあった。 ・ナポレオン軍が1797年4月11日この町周辺に攻め入る(フリーザッハの戦い)。 (『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィル・ルション著、瀧川好庸訳、中公文庫 p70:第30回戦闘。) <ポンテッバ(イタリア)→(オーストリア)→3/27タルヴィジオの会戦→フィラッハ占領→4/9クラーゲンフルトの戦い→4/11フリーザッハ→4/17ノイマルクの戦い→4/18レオーベン城前→グラーツ> ・ドイツ語圏で唯一の、今も水をたたえた水壕が残っており、壁に囲まれた町である。 |
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |