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friesachフリーザッハ

Friesachフリーザッハ
 7年ぶりのこの町は、なつかしいのですがなぜか人気が無く、商店もすべてお休み。

 祝日連休の最終日の3時過ぎ、遊び疲れで町全体がすべての活動を停止しているように見えます。
[北村 峠一].(eu-alps)      


<2003.6.9(月)>
 なつかしい町に戻ってきました。今回町の西側から下ってきたのですが、遠くからあの城のいくつもの塔が見え始め、7年前に散歩した通りに入り、見慣れた教会の前を通ったときは、今日はこの町で泊まろうとと思っていました。

friesach
【29.jpg:フリーザッハの町の標識が見え、なつかしい城のいくつもの塔が現われ、町の通り教会など、前回散策した町並みが】


 そして前回と同じこの中心広場に、まず車を停めます。今3時半、前回1996年6月の時は、あの正面の黄色いホテル「Landhotel-Metnitztalerhof(4☆)」に泊まったのですが、ユーロ導入(2001.1)で物価が上がったからか、日本の円が安いせいか、当時食事して二人で1.3万\ほどだったのが、今回の旅の事前調査では1.8万\(ハーフペンション120Eur+飲み物*@140)以上になってしまいそうなのです。最近は宿のグレードをぐーんと低く押さえようとしているので、まずインフォメーションと思ったのですが、前回の場所に見つかりません。そして周囲に車こそ停まっているのですが、人気がまるでないのです。普通ならお茶を飲んでいる店の前のテラスも閉まり、ピンクのFrisacherhofのホテルの入口も鍵がかかっています。

 祝日、それも連休だということはわかっていたのですが、その影響がここまであるとは思っていませんでした。ここにある馬に乗った騎士のモニュメントなどを見ると、多分、昨日今日午前中に行事があり、明日からの仕事に備えて、皆さん室内にこもり、疲れを取っているのかもしれません。

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【68.jpg:右正面の黄色い建物がホテルLandhotel-Metnitztalerhof(4☆)。いくつかの3☆、2☆のホテルがこの広場にあるが、祝日・連休で人気が無い。ピンク色の建物Frisacherhofのホテルの入口も鍵がかかっている。】

friesach
【79.jpg:テラスでお茶を飲んでいる人すらない】

緑が走行ルート
【緑が走行ルート。左のトゥラッハ峠(1783m)からFriesachへ、さらに先へ】
friesach
【443.jpg:馬に乗った騎士のモニュメントと、右手山の上はPeter教会、Stadtmuseum-im-Bergfried美術館になっている城。ここ一帯は前回散歩した場所】

 さてどうしようと思いますが、まだ日は高いし、オーストリアで今まで宿を取るのに苦労したことは無いし、 もう少し先の村に走っていれば、きっとどこかに「空き室有り」の掲示が見つかるだろうと気楽に考え出発します。

<この周辺のWeb-Site>

 ○http://www.friesach.at/【Stadt Friesach:フリーザッハの公式ページ】
 ○http://www.walledtowns.com/wtfc/towninfo/austria/friesach.html【Walled Towns Friendship Circle城壁の姉妹都市】
 ○http://www.metnitztalerhof.at/【Landhotel-Metnitztalerhof(4☆)】
 ○https://www.emporium-numismatics.com/【Friesacher-penny】
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<フリーザッハの歴史など>
・この町の名前が記録に現われたのは860年で、東フランク王国(ドイツ王)ルートヴィヒ(843-76年)の記録に「Friesah」のことが残っている。
Friesacher-penny ・以降歴代のザルツブルク大司教の南のヴェネチュアへの前哨、街道、などの地理的・戦略的に重要な場所で、この地は城、教会、修道院などが集まった。特に戦略的にはウィーン〜ベネチュアの街道、ザルツブルクへの交易の街道で、この付近で狭まっている谷を見張るのに絶好の位置にあった。
・この地理的に好都合の状況と商業の発展から、国際的に通用し後に「中世のユーロ」と呼ばれることもある「Friesacherペニヒ」コインが使われたこともあった。
・ナポレオン軍が1797年4月11日この町周辺に攻め入る(フリーザッハの戦い)。
 (『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィル・ルション著、瀧川好庸訳、中公文庫 p70:第30回戦闘。)
 <ポンテッバ(イタリア)→(オーストリア)→3/27タルヴィジオの会戦→フィラッハ占領→4/9クラーゲンフルトの戦い→4/11フリーザッハ→4/17ノイマルクの戦い→4/18レオーベン城前→グラーツ>
・ドイツ語圏で唯一の、今も水をたたえた水壕が残っており、壁に囲まれた町である。


<次の峠に向かう途中に、アルトーフェンの城が見えます。そこで宿を見つけましょう・・・>

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