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MetnitzメツニッツのSt.Wolfgangウォルフガング巡礼教会

Flattnitzer-Höheフラッツニッツ峠(1400m)、Metnetzメツニッツ
 高い壁に囲まれた教会、まるで城です。【●峠のDBへ

 アルプスの障壁と、ドラウ川の容易な人の往来。この低い峠の地域は、いく度となく外敵に侵略された場所なのです。
[北村 峠一].(eu-alps)      


<2003.6.9(月)>
 トゥーラッハ峠を北にシュタイヤーマルク州へ、前日ムーラウからザンクト・マルティンへ向かった道に一度戻ります。再度Paalgrabenのなだらかな渓谷に沿って南に。ケルンテン州に戻って間もなく目標の峠の地名Flattnitz村が見えてきました。

 なんで1500m以下の峠を目標にしたか?
それは「ここがムーア川とドラウ川の分水域」・・・は当然なのですが、正解は・・・この先、東のほうに1500mを越える峠が二つ。そこに向かうため「ついでに寄った」だけなのです。

緑が走行ルート Mur-Drau-map
【左:緑が走行ルート。右:Mur-Drauの分水と峠】
  flattnitz
【41.jpg:峠の地名Flattnitz村のカンバンは出てくるが、峠はどこだろう? 付近は冬のクロスカントリーに最適な地形】

flattnitz
【63.jpg:やっと二股の峠の分岐点に到着】

 なだらかな丘陵地の分岐点が峠、周りは緑一杯の豊かな森林です。【●峠のDBへ


 左のルートでも、右でも次の峠には行けるのですが、1996年に泊まったフリーザッハで宿を取ろうかと思い、左のルートに決めます。

flattnitz
【64.jpg:左(東)Friesachiフリーザッハ、Metnitzメツニッツの方向に僕たちはいく。右(南)経由でもいけるのだが】

 Metnitzbzch川に沿った緩やかな渓谷道をしばらく下ると、Metnitzメツニッツ村に入り、比較的裕福な人家が、立派な教会が見えてきます。正面に見えるほうはSt.Leonhardザンクト・レオナド教会ですが、右手に見えるSt.Wolfgangザンクト・ウォルフガング教会のほうが地図によると名所らしいのでそちらに向かいます。

mentnitz
【178.jpg:Metnitzメツニッツ村、立派な教会が道の両側に見えてくる。この村は9世紀に交易が行われ出来た村とのこと】

mentnitz mentnitz
【195.jpg:St.Wolfgang教会に向かうが、突然の大雨が襲って】 【1a2.jpg:雨が通過した霧の中、渓谷の下方にある
St.Leonhardレオナルド教会(1300年代)を望む】

 少し前から空が暗くなってはいたのですが、突然、集中豪雨が襲ってきました。ここ数日暑い日が続いていたので、これは恵みの雨・スコールでしょうが、僕たちはこの猛烈な雨を車内から20分ばかり、見ているしか他にやりようがありません。

 ところでこの巡礼教会、まるで城のように高い壁で囲まれています。なぜなのでしょう。ドラウ川の流域、ケルンテン州は、まさに南、北、西からの侵略の防衛前線のような位置にあります。アルプスという険しい自然の障壁、一方ドラウ川は、自然の通路。

 結局この付近は、昔から人の行き来、経済・文化活動が容易で、同時に外敵からも浸入されやすい場所なのです。この周辺の外部からの侵略の歴史を、ちょっと調べてまとめてみました。

 やはり人類文化の歴史と同時に、移動・侵略のルートで、ところどころにある低い峠はそのルートになりやすかったように見えます。この先のフリーザッハの谷一帯はどこも城砦だらけですが、このあたりもその影響で守りを固める歴史的な建物が多いのでしょう。


【東部アルプスとDrau川流域周辺図】
・東、南からの浸入を受けやすい地形。
・黄色はドナウ川流域、緑は地中海への流域。
●Drauドラウ川流域(ケルンテン州)周辺の外部からの侵略の歴史

 この周辺は、イタリア国境との東アルプス、タウエルン・アルプスという険しいふたつの自然の障壁が西側に連なっている。
西からは、ドナウ川の支流Drauドラウ川が人の移動を容易にし、昔から人の行き来の容易な、逆に言えば外敵も浸入しやすい地形。

 オーストリア南部の外部からの侵略の歴史は、
・BC10世紀以降のハルシュタット文化、塩の交易と権力拡大闘争。(南北から)
・BC2世紀以降のローマ帝国の領土拡大。(南から)
・4世紀にはフン族の浸入。(東から)
・5世紀、東ゴートの浸入。(東から)
・6世紀、ランゴバルド族の浸入。(東から)
・8世紀、フランク王国の領土拡大。(北・南から)
・10世紀にはマジャール人が侵略。(東から)
・14世紀頃のベネチュアとの貿易通商と勢力争い。(南から)
・14世紀から16世紀には、オスマントルコの数度の侵略。(東から)
・18世紀末から19世紀にかけては、ナポレオン率いるフランス軍の進撃(南から)

ホッホオスタウィッツ城
 などのように、長く侵略のルートと歴史を持っている。そしてこの周囲には、Hochosterwitzホッホオスタヴィッツや、フリーザッハのような、守りのための城砦がたくさんある。


mentnitz
【1b3.jpg:St.Wolfgangウォルフガング巡礼教会:1453-1474年に作られたゴシック建築、高い防護城壁で囲まれている】

 日も射して水蒸気が上がる中、ウォルフガング巡礼教会に入ろうと思いましたが、しっかりとかかった鍵は、びくともしません。残念ですが周囲を撮影して車に戻ります。

<この周辺のWeb-Site>

 ○http://www.metnitz.at/【Metnitzの情報。Der Totentanz死神の踊り博物館も。観光情報
 ○http://www.bergfex.at/flattnitz/【Flattnitzのスキー場紹介】


<フリーザッハはもうすぐです。そこで宿を見つけましょう・・・>

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