【左:緑が走行ルート。右:Mur-Drauの分水と峠】 |
【195.jpg:St.Wolfgang教会に向かうが、突然の大雨が襲って】 【1a2.jpg:雨が通過した霧の中、渓谷の下方にある St.Leonhardレオナルド教会(1300年代)を望む】 |
この周辺は、イタリア国境との東アルプス、タウエルン・アルプスという険しいふたつの自然の障壁が西側に連なっている。 西からは、ドナウ川の支流Drauドラウ川が人の移動を容易にし、昔から人の行き来の容易な、逆に言えば外敵も浸入しやすい地形。 オーストリア南部の外部からの侵略の歴史は、 ・BC10世紀以降のハルシュタット文化、塩の交易と権力拡大闘争。(南北から) ・BC2世紀以降のローマ帝国の領土拡大。(南から) ・4世紀にはフン族の浸入。(東から) ・5世紀、東ゴートの浸入。(東から) ・6世紀、ランゴバルド族の浸入。(東から) ・8世紀、フランク王国の領土拡大。(北・南から) ・10世紀にはマジャール人が侵略。(東から) ・14世紀頃のベネチュアとの貿易通商と勢力争い。(南から) ・14世紀から16世紀には、オスマントルコの数度の侵略。(東から) ・18世紀末から19世紀にかけては、ナポレオン率いるフランス軍の進撃(南から) などのように、長く侵略のルートと歴史を持っている。そしてこの周囲には、Hochosterwitzホッホオスタヴィッツや、フリーザッハのような、守りのための城砦がたくさんある。 |
<この周辺のWeb-Site> ○http://www.metnitz.at/【Metnitzの情報。Der Totentanz死神の踊り博物館も。観光情報】 ○http://www.bergfex.at/flattnitz/【Flattnitzのスキー場紹介】 |
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |