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Seebergsattel/Jezerski vrh ゼーベルク峠

No.:総合順位
  (-N:追加)
84-q  


より大きな地図で 2013travel-route-point を表示


【Seeberg峠 と Pavlicevo峠の位置関係】
Hight(m):標高 1218m
Alpenpasse:峠名
Valley/Tal:谷名・地名
Seebergsattel/Seehohe/Carinthian Seeberg/Jezerski vrh
ゼーベルク峠/シーバーグ峠
Country:国>県>谷> At/Sl:オーストリア/スロヴェニア(スロベニア)
Route-no,
Place:場所
(Motorway=高速:Tunnel=トンネル)
(Map-page-address:*1)
・Alpen den Karawankenの分水嶺の峠
・北:Bela/Vellachファラッハ川→Dravaドラウ川→ドナウ川→黒海
 南:Jezernica川→Kokra川→Sava川→ドナウ川に合流


 (40-Pc70)


Schaida
PavlicevoLoga V.
WurzenKarawanken(T)Loibl(T)
Postojna
Closed/Maximum grade(%)/etc :
道路閉鎖時期/勾配/条件
・usually open in the winter/
・maximum grade is 12.4 percent/
・minimum width is 5 meters (16 ft.); good alternative to the Loibl and Wurzen passes; not recommended for caravans.
・B82号線、At:ケルンテン州Volkermarkt県。Slo:Gorenjska州の境。Ljubljana経由でイタリアに通じる峠。
Impressions:感想:
峠両側の集落・歴史的役割
  ・成立要因推測など
・この峠道は古代ローマからの街道で、ノリクムのドラヴァ谷からアクイレイアの間を結ぶものであった。
・シーバーグ峠は、紀元前 15 年以降、ノリクム州のローマ街道の一部だった。

・ゼーベルクサッテルは、塩と鉄鉱石の重要な貿易ルートであった。15 世紀以降、この谷にはいくつかの製鉄所があり、オスマン帝国軍による侵略に対して要塞が建設されたが、カッペルは 1473 年に荒廃した。
・Eisenkappelと Vellach は1939 年に合併した。
・コプレインでは、ペッツェンはスロベニア パルチザンの拠点であり、オーストリアで唯一現存する反ナチの軍事抵抗だった。

・オーストリア、マリアツェル南に類似名の「Aflenzer Seeberg sattelアフレンツァ・ゼーベルク峠/Styrian Seeberg Pass ステュリアン・ゼーベルク峠(1254m)」がある。

http://en.wikipedia.org/【wiki/Seeberg_Saddle】

<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK>
2013.6.15(X13)

【Seebergsattel/Seehohe:オーストリア川の表記】


【国境:左がオーストリア、右がスロベニア】


【St. Germain 10.Sept.1919の 石柱があり、右奥にはEUの標識がある】
−−−−
・St. Germain 10.Sept.1919の 石柱は、オーストリア・ハンガリー帝国が第一次世界大戦に破れ、サン=ジェルマン条約で定められた新たな国境の標識と思われます。

・現在のスロベニアの歴史を振り返ってみると、
 ・第一次世界大戦終了直後の1918年10月から「セルビア王国の主張する[南スラヴ人連合王国構想]に参加」
 ⇒1918年12月「セルビア・クロアチア・スロベニア人国
 ⇒1929年「ユーゴスラビア王国」に改称
 ⇒1941年「ナチス・ドイツが占領」
 ⇒1945年「ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国」
 ⇒1991年6月「スロヴェニア」の独立を宣言⇒
 1992年5月国連加盟⇒2004年3月NATO加盟⇒2004年5月1日欧州連合(EU)加盟⇒2007年1月1日ユーロ通貨に移行。

・手前の石柱:サン=ジェルマン条約の1919.9.10から、右奥標識:EU加盟の2004.5.1まで、85年間という時間はかかりましたが・・さらにユーロ通貨の採用で我々旅行者も、自由に・安全に・容易に行き来できる国境になったのです。

古代ローマの時代、ノリクムのドラヴァ谷からアクイレイアの間の街道を行きかう人たちは、どのようにこの峠を越えたのでしょうか。想像以上に現在より安全で自由な旅だったのかもしれませんね。

●サン=ジェルマン条約


・第一次世界大戦後の1919年9月10日に連合国側とオーストリア(第一共和国)の間で結ばれた条約。
 (連合国側とドイツの間の「ヴェルサイユ条約」は、先立つ1919年6月28日に調印された)
・署名はChateau de Saint-Germain-en-Layeサン=ジェルマン=アン=レー城(フランス・パリ)で行われた。
・オーストリア・ハンガリー帝国の領土は、
 北側をチェコスロバキア、ポーランド、
 南側をイタリア、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラヴィア)、ルーマニア王国に割譲した。
 (1920年6月4日に連合国とハンガリー王国が結んだ「トリアノン条約」の結果も含む)   【●アルプスの歴史も参照】


【1914年のオーストリア・ハンガリー帝国】



【1919年の条約後の国境】

<関連サイト>
【wikipedia/サン=ジェルマン条約】
【wikipedia/ヴェルサイユ条約】
【wikipedia/トリアノン条約】
【wikipedia/パリ講和会議】(第一次世界大戦における連合国が、講和条件等について討議した会議)
−−−
<近隣の情報>

【ゼーベルク峠とPavlicevo峠との分岐点】

<峠付近の花:花の写真図鑑へ

 

<峠付近の宿情報>
 ○宿泊した宿:オーストリア・Bad-Eisenkappel:Pension Besser【お勧めの、本当に親切な宿です】

 ○付近の宿検索:booking.comBooking.Com:オーストリア・Bad-Eisenkappel周辺の宿予約


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