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Orient-Express & Pass/Tunnel オリエント急行とアルプスの峠・トンネル
「オリエント急行」が通過するヨーロッパ・アルプスのトンネルや峠はどこでしょう。
さらにアガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』が起きた場所? 列車のルート? 時代背景?
[北村 峠一].(eu-alps)
●オリエント急行の名称とルート
オリエント急行の各ルート:クリックで拡大
オリエント急行と呼ばれる列車は、当時の情勢、戦い、飛行機など他の乗り物との関連で、色々な歴史を持っています。そしてルートも。各列車の名称とルートを整理してみます。
(「オリエント急行」と名の付く列車のみ列記してみました。)
・オリエント急行
(パリ〜ミュンヘン〜ウィーン〜イスタンブール:1883年10月4日〜ヴァルナ港から船で、1889年から直行〜)
・オステンデ・ウィーン・オリエント急行
(オステンデ(ベルギー)〜ブリュッセル〜フランクフルト〜ウィーン:1900年〜)
・ベルリン・ブタペスト・オリエント急行
(ベルリン〜ドレスデン〜プラハ〜ブラチスラバ〜ブタペスト:1900年〜)
・シンプロン・オリエント急行
(パリ〜ローザンヌ〜(シンプロン・トンネル)〜ミラノ〜ヴェローナ〜ベニス〜ザグレブ〜イスタンブール:1920年〜)
・アールベルグ・オリエント急行
(パリ〜チューリッヒ〜(アールベルグ・トンネル)〜インスブルック〜ザルツブルグ〜ウィーン〜:1923年〜)
・バルト・オリエント急行
(スウェーデン〜バルカン半島:1948年〜)
・タウエルン・オリエント急行
(オランダ〜ミュンヘン〜インスブルック〜(タウエルン・トンネル)〜ザグレブ〜ベオグラード:1951年〜)
→1977年5月:94年間の歴史に幕
・ベニス・シンプロン・オリエント急行(VSOE)
(パリ〜ローザンヌ〜(シンプロン・トンネル)〜ミラノ〜ヴェローナ〜ベニス:1982年5月25日再開〜アールベルグルートに変わる。)
・アールベルグ・オリエント急行
(パリ〜チューリッヒ〜(アールベルグ・トンネル)〜インスブルック〜(ブレンナ峠)〜ベニス:2003年現在はこのルートが主)
●オリエント急行で峠・トンネルを通過する路線と場所
各ルートのうち、経路がアルプスエリアの峠やトンネルを通過する場所は以下のところです。
・シンプロン・オリエント急行:
(パリ〜ローザンヌ〜ブリグ〜【●
シンプロントンネル
】〜ドモドソーラ〜ミラノ〜ベニス〜トリエステ〜ポストイナ〜)
・ベニス・シンプロン・オリエント急行:
(パリ〜ローザンヌ〜ブリグ〜【●
シンプロントンネル
】〜ドモドソーラ〜ミラノ〜ベニス)
・アールベルグ・オリエント急行:
(パリ〜チューリッヒ〜【●
アールベルグ・トンネル
】〜インスブルック〜【▲
Griesenpasグリーセン峠(967m)
】〜ザルツブルグ〜ウィーン〜)
(現在ルート:パリ〜チューリッヒ〜【●
アールベルグ・トンネル
】〜インスブルック〜【▲
ブレンナ峠
】〜ベニス)
・タウエルン・オリエント急行:
(〜ミュンヘン〜インスブルック〜【●
タウエルン・トンネル
】〜【●
カラワンケ・トンネル
】〜ザグレブ〜)
●『オリエント急行殺人事件』に関して
雪に閉じ込められた列車の中での殺人事件・・・この作品の時代背景は? どのルート? 犯行の場所はどこ?
<その頃ヨーロッパは>
・1923年頃、ドイツ・フランス・ベルギーの国境紛争などで、ドイツ通過経由を避け、スイスを経由するルートを選ぶ人が多かった。
・1929年、オリエント急行が大雪で15日間も立ち往生することがあった。
・1932年、有名な飛行家リンドバーグの子供(チャールズ。当時1歳8ヶ月)の誘拐事件(リンドバーグ事件)があった。
<その頃ユーゴスラヴィア(現スロベニア)付近は>
・1929年、ユーゴスラヴィアが独立する。
・当時の
イタリアとユーゴの国境
は、PostojnaポストイナとRakek。
(
ポストイナ鍾乳洞は当時すでに有名になっており、絵に描かれたトロッコに乗った淑女たち
も、オリエント急行に乗って来たのだろう。)
オリエント急行殺人事件の犯行の場所。
Vinkovci ヴィンコヴィッチ〜Brod ブロット間で起きた。
<アガサ・クリスティーは>
・彼女は、ご主人の考古学者の中東行きにたびたび同行しており、そのつどオリエント急行に乗車している。(第二次大戦(1939年開始)に向けての情勢不安から、比較的安全なスイスを走る、シンプロン・オリエント急行を使うことが多かったと思われます。)
・『オリエント急行殺人事件』の作品は、1934年に発表された。
(参考:
1967年、彼女はボヒニ湖に滞在
しているが、その10年後の1977オリエント急行は運行を停止する。)
<殺人事件は>
・「シンプロン・オリエント急行」のルートで、イスタンブール→カレーに向かって走行中に犯行は起きた。
(イスタンブール〜ベオグラード〜
ヴィンコヴィッチVinkovci〜ブロットBrod
〜
ポストイナ
〜トリエステ〜ベニス〜ミラノ〜ドモドソーラ〜【シンプロントンネル】〜ブリグ〜ローザンヌ〜パリ〜カレー〜ロンドンのルート)
・事件が起きた場所は、
Vinkovci ヴィンコヴィッチ〜Brod ブロット間
。
この場所は、当時のユーゴスラヴィア国内(今はクロアチア国内、ブロッドはボスニアとの国境)である。
・犯行時間は・・ヴィンコヴィッチ発(0:10頃)、列車は積雪にぶつかって止まった(0:30頃)、犯行時間(深夜1:15頃)?・・・(『
オリエント急行の殺人
』p131など)
・ポアロの調べで、被害者はアメリカで起きた幼児誘拐殺害事件の犯人であった。
・乗客12人の内、犯人はだれ?
【
Vinkovci〜Brod間の鉄道ルート
】
●参考資料:
『
オリエント急行
』窪田太郎他著、新潮社とんぼの本、1984
『
オリエント急行の旅
』桜井寛著、世界文化社1997
『
オリエント急行の殺人
』創元推理文庫、アガサ・クリスティ著
●関連URL:
☆
オリエント急行の殺人
【Wikipedia】
☆
映画『オリエント急行殺人事件』オフィシャルサイト
☆
『オリエント急行殺人事件』登場人物一覧、あらすじ ─ 事件解決のおともに
☆
オリエント急行
【Wikipedia】
☆
世界の豪華列車
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