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【d34.jpg:コッレ・サンタ・ルチアの教会墓地から見るモンテ・ペルモ】

Colle Santa Lucia
 コッレ・サンタ・ルチア

主要な街道から外れたこの地域、観光に力を入れたのですが、期待ほどには。

たくさんの特色あるこの文化を、保存し育てて元気な村になって欲しいと願います。そしてあの老婦人にも。

ドロミテ:Ampezzoアンペッツォ/Civettaチベッタ・エリア】  
[北村 峠一].(Kitamura)      


 Staulanzaスタウランツァ峠から、北西にあるGiauジァウ峠へと向かいます。旅の出発前、地図でこの付近の道を見つけていたときでも「こんなに山奥の道、舗装されているのだろうか?」と少し心配していたのです。しかし直前のゾルド・アルト村とほとんど変わらない、幅広の立派な道が続いています。観光開発がこの山の中にも入ってきた感じです。

 ペルモ山を源流にした川、Fiorentinaフィオレンティーナ川の作る渓谷を下り、分岐点の村Selva-di-Cadoreセルヴァ・ディ・カドーレのインフォメーションで、付近の地図などを貰います。

M.Pelmoペルモ周回の道
【M.Pelmoペルモ周回の道】

 観光案内所にいたのは、夏休みの学生風の若者。「近くこの案内所も閉鎖になる」と言っていましたので、やはりこの付近への観光客はあまり多くないようです。「Selvaセルヴァ」とは森林、未開拓の意味。交通の便も良くないこの付近、冬のスキー客、夏の登山客といってもそれほどの数は見込めないようです。

 この付近が脚光を浴びたのは、貰ったパンフレットの中にもある「Sciistica del Giro-della-Grande-Guerra:グランデ・グエッラ:第一次大戦の地を巡るスキーコース」。これは1993年から整備された、91kmにも及ぶスキー・ゲレンデ周回のコース。ドロミテ・エリアの有名スキー・ゲレンデを、リフト・バス・馬も使い一周する広大なスキー・コースです。ペルモ、チベッタ、マルモラーダ、セッラなど、ドロミテの主要な山を眺めながら滑る、スキーができない人にとってもうらやましいようなコースです。

<ドロミテ・スーパースキー/スキーサーカス>
●Grande Guerraグランデ・グエッラ

・Giro Sciistico della Grande Guerra 1914-18:『第一次大戦スキーサーカス:1914〜18』
・右図の緑の線が、1917年にイタリア軍とオーストリア軍が対峙した最前線。
・大戦以前、ドロミテ一帯はオーストリア領土(チロル伯領)だったが、イタリアはオーストリアに併合されたトスティーニ地方を、イタリア領にするというロンドンの密約で、大戦勃発の翌1915年、連合国として参戦する。
・オーストリア・ドイツ軍からの猛攻撃で、多大の犠牲を払うが、連合国側の勝利により、ブレンナー峠以南の南チロルと呼ばれるトスティーニ地方はイタリア領になる。サンタルチアはベッルーノ県に併合

・この戦闘の激戦地Col-di-Lanaラーナ峠を中心に、Allegheアッレゲ〜Arabbaアラッバ〜Val-Badiaヴァル・バディア〜Cortinaコルチナ〜Val-Fiorentinaフィオレンティーナのゲレンデを周回するスキー・ルート。
・この「Grande Guerraグランデ・グエッラ」は、1993年からドロミテ・スーパースキーが企画したクルージング・スキーツアー。2000年頃から知られ始めた。
・総移動距離91km=スキー滑降40km+ゴンドラリフト18km+バス移動32km+馬牽引1.5km。なお、ドロミテ・スーパースキーは、全体で1200kmもある。


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●Sella Rondaセッラ・ロンダ

・ドロミテの中心に位置するセラ山群(最高峰はピッツボエ3152m)を一周する約40km、標高1500mから2500mのコースで人気がある。
・Gardenaガルデーナ峠(2121m)〜Culacクラック峠(2018m)〜Sellaセッラ峠(2244m)〜Pordoiポルドイ峠(2239m)〜Campolongoカンポロンゴ峠(1875m)の峠を回る。
・グランデ・グエッラとはArabbaアラッバ〜Val-Badiaヴァル・バディア(Corvaraコルヴァラ)で接している。

<関連のWeb-Site>
 ○「Ski-Tour of Great-War」【Grande Guerra】
 ○http://www.sella-ronda.it/【Sella Ronda】
 ○http://www.sellaronda.com/
 ○http://www.dolomitisuperski.com/【DolomitiSuperski:12地域の地図Index】
 ☆「馬場平之助のイタリア探索隊が行く」グランデ・グエッラ特別編などドロミテ・スーパースキー各地を解説】
 ☆「60才からのヨーロッパアルプス」【S.Ozakiさん:グランデ・グエッラなどコース走行・・表示は小文字に】
 ☆「本間綾美 オフィシャルサイト」Albumのイタリアは美味しいでドロミテ・スーパースキーを滑走】
 ☆「italia ski club japan」

 しかしこのスキーツアーも整備から10年余り。イタリアのバブル期が過ぎ、EUにおけるイタリアの元気さも峠を越え、不況の波などが押し寄せます。もくろんでいたスキー客も、この地にたくさん作られたスキーロッジなどに泊まらず、単に通過するだけに。結果として有人の観光案内所を維持することも難しくなってきているのでしょう。残念ながら来年からは、単に宿名を描いたボードだけの無人案内に変わるのです。
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【d28.jpg:ペルモの北西面が谷を通して正面に】

 セルヴァ・ディ・カドーレから、「サンタ・ルチア」と言う名前のつく、Colle Santa Luciaコッレ・サンタ・ルチア村まで往復することにします。Colle(コッレ)は丘陵なので「聖ルチアの丘」という意味でしょう。 村への途中から見るモンテ・ペルモの山は、今まで見た中で一番落ち着いた・どっしりとした形です。

 村の広場に車を停め、モンテ・ペルモの方向に岬のように突き出した地形の先にある教会に、古い建物の間の道を行きます。

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【d26.jpg:古い建物の間を教会に向かう。その先がペルモ】

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【236.jpg:屋根の抜け落ちた火事の跡。遠方にチベッタの山が見える】

 道の脇に、つい最近火事のあった民家があります。屋根がほぼ完全に落ちていますが、石積みの壁は単に炎で黒くなっているだけ、トタンで屋根さえ葺けば、また住むこともできそうなほど。日本の火事なら「ボヤ」レベルに見えますが、手前の家も煤(スス)けていますから、かなり大きな炎。住人は大丈夫だったのでしょうか。

 教会の敷地一帯はたくさんの墓標です。そのひとつの墓の前に60歳を越えただろう婦人がずっとたたずんでいます。僕たちが教会を一周し、まわりの山を眺め、撮影し、またこの入り口付近に戻ってくるまで、ほとんど動かず、そのたくさんの花がそえられた墓石に手を合わせていました。

 ヨーロッパの墓には、故人の生誕日、死亡日が併記されており、それも西暦ですからすぐに年齢がわかります。また故人の写真を陶器に焼き付けてはめ込んでいる墓標も多いのです。なんとなく観察したその年齢は、1960年ころまでは50歳以下で亡くなる人が多かったのですが、最近は80歳以上と比較的長寿になっています。若者の写真は、自動車やバイク事故が多いのでしょうか。そんな風に墓石を見て回った後も、あの老婦人はほとんど動こうとしないのです。もしかすると、あの火事で亡くなった方の身内なのかもしれません。
−−−
 あとで妻とこの話をしました。妻の観察では、あの墓には10年ほど前に亡くなった、20歳くらいの女性の写真があったそうです。自分より早くこの世を去った娘を悲しみ、毎日彼女はここに花を持って来ているのではと思ったようです。

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【1b6.jpg:北方向:教会の入り口と村】

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【1a1.jpg:南東方向:フィオレンティーナ渓谷。教会はペルモの山に向かって建てられ、敷地にはたくさんの墓標が】

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【200.jpg:西方向:左からペルモ、頭が見えるのがCivettaチベッタ、右端はMarmoladaマルモラーダ方面の山並】

 残念ながら教会の扉は閉まっていて、内部に入ることはできませんでした。サンタ・ルチアといえばナポリの聖人(3-4世紀)、【●アルプスの聖人 ルチアも参考に】 この山の中まで来ることはなかったはずでしょうが、ここの地名の由来はどうしてなのでしょうか。
聖ジュゼッペ・フライナーデメッツ
 ドア付近には、数日前アルタ・バディアで見たドロミテの聖人「Santo Giuseppe Freinademetz 聖ジュゼッペ・フライナーデメッツ(1852-1908)」の写真も貼ってあります。長く中国で布教し当地でなくなった彼の写真は、ドロミテ一帯の教会にかなり貼られています。


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【d27.jpg:教会の西壁に壁画と日時計が】
Bohinjsko-Jezeroボヒニ湖
【402a.jpg:スロベニア、ボヒニ湖
のSt.John聖ヨハネ教会の壁画】
 さらに教会の西面にあった壁画はその構図などが、以前にスロベニアで見た壁画によく似ています。幼いイエスを肩に載せた、聖者です。【●アルプスの壁絵へ


「ヨーロッパの壁絵デザイン」の松味先生から以下の情報をいただきました。
上記の壁絵は「セント・クリストフォロフ(聖クリストフォルスSt. Christopher)」であると思います。幼子イエス キリストを肩に掲げた姿で表現してあり、「旅人の守護聖人」として信仰されている聖人。
(ただし、近年になってローマのバチカンから「その事実がない」との理由により聖人からはずされた由、の新聞記事も)

●アルプスの聖人 クリストフォルス】も参考に


 この村の石積みの家やその窓などは、スイス・エンガディンの建物に似たものがあります。さらに窓の縁の飾り画なども特徴的ですね。

 こんな点を見ても、山深いこの地域に、実に広域の文化が入ってきているように思えました。歴史を調べるのは大変ですが、かなり興味深いものがありそうです。

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【245.jpg:「Cesa de Jan」(XVI - XVII世紀の建築)】 【271.jpg:窓の縁の飾り画】

<関連のWeb-Site>
●聖人:サンタルチア・・【●アルプスの聖人】も参考に
 ☆http://www.worldfolksong.com/songbook/others/santalucia.htm
【「サンタ・ルチア」は、3世紀後半から4世紀初頭、イタリア・シチリアの実在人物。ローマ帝国のキリスト教迫害で殉教した。拷問の中で彼女は目をくりぬかれたことから、目の見えない人、暗闇を照らす光の守護神。ナポリの守護聖人でもある】
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●近隣のサイト
 ○http://www.dolomiti.it/ita/zone/colleselva/dx.htm【Colle Santa Luciaの民族衣装、教会、ペルモ、ジァウ峠など】
 ○http://www.valfiorentina.it/english/index.asp【Val-Florentia:Selva di Cadore/Santa Fosca/Pesculのガイド・歴史・博物館のことなど】
 ○http://www.dolomiti.it/ita/zone/selva/dx.htm【Selva di Cadore】
 ○http://www.dolomiti.it/eng/musei/valfiorentina.htm【Selva di Cadoreにある歴史・民族誌博物館:MUSEO CIVICO DELLA VAL FIORENTINA"Vittorio Cazzetta"】

<数日後、旅先の宿のTVで、この村で行われた「聖体節の行列」を放映していました。オーストリア・チロルや、アゴルドで見た行列とほぼ同じでしたが、この小さな村はイタリア・ドロミテの中でも観光のための素材をたくさん持っている村かもしれません。是非この文化を保存し、育て、元気な村になって欲しいものです。そしてあの老婦人にも。
 村の小さなレストランで、ペルモを見ながらちょっとお茶にしたあと、Giauジァウ峠に向かいます・・・>

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