回 | 開催年 | 開 催 都 市(紀行へリンク) | 開 催 国 | 参考情報 (JOC他多サイトより入手編集) |
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第1回 | 1924年 1月25日〜2月5日 | シャモニー・モンブラン Chamonix-Monblanc | フランス |
冬季大会が試験的に独立: 1922年のIOC総会で、かねてから議論されていた冬季大会の独立について結論が出さた。それは「1924年に試験的に独立した大会を開いてみて、その結果によって、冬の大会をどうするか確定する」というもの。したがって、この大会の正式名称は「第8回オリンピアードの一部として、IOCが最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブ共同でシャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会」というもの。 成功するかどうか心配された大会だったが、16ヶ国から258人の選手が出場し、4競技14種目を実施。天候にも恵まれて無事に成功。 翌年、プラハで開催されたIOC総会では冬季大会の独立に異論はなく、この大会が晴れて「第1回オリンピック冬季競技大会」と認定された。 |
第2回 | 1928年 2月11日〜19日 | サン・モリッツ St.Moritz | スイス | 5競技14種目/25ヶ国464人。冬季オリンピックがこの大会から名実ともに独立。 6名の日本選手が初参加。完敗に終わる。 |
(第3回) | (1932年) | (レークプラシッド) | (アメリカ) | |
第4回 | 1936年 2月6日〜16日 | ガルミッシュ・ パルテンキルヘン Garmisch-Partenkirchen | ドイツ | 4競技17種目/28ヶ国668人。大会前日、大会会場周辺に張られていたユダヤ人排斥のビラやポスターを撤去するようヒトラーに要求。一度は反発したヒトラーだったが、ラツールIOC会長の厳然とした申し出に屈して、要求通りにポスターなどを撤去する命令を出す。 日本からは3競技に48人の選手団を派遣。フィギュアスケート女子に12歳の小学生、稲田悦子選手が出場。26人中10位となる。 |
第5回 | 1948年 1月30日〜2月8日 | サン・モリッツ St.Moritz | スイス | <●1940年(札幌予定が日中戦争で返上)→サンモリッツ(変更)→ガルミッシュ(第二次大戦で中止)> <●1944年(コルチナ予定が第二次大戦で中止)> --- 5競技22種目/28国地域669人。 スイスのサンモリッツが20年ぶりに二度目の冬季大会開催地となる。 開催に先駆けて、スキー選手のアマチュア性が問題となり、スキー抜きの冬季大会も検討された。 日本・ドイツ・イタリアは大戦の枢機国で参加認められず。 |
(第6回) | (1952年) | (オスロ) | (ノルウェー) | |
第7回 | 1956年 1月26日〜2月5日 | コルチナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo | イタリア | 4競技24種目/32国地域820人。オーストリアのトニー・ザイラーが、スキーのアルペン競技で初の三冠王となる。 <日本人メダリスト> 猪谷千春:アルペンスキー:男子回転:銀 ・関連記事のサイト |
(第8回) | (1960年) | (スコーバレー) | (アメリカ) | |
第9回 | 1964年 1月29日〜2月9日 | インスブルック Innsbruck | オーストリア | 6競技34種目/36国地域1091人。50年ぶりの暖冬で競技運営がやや混乱する。
ボブスレーが復活、リュージュが新登場するなど、競技・種目数が大きく増える。 日本は4競技に選手48人、役員13人の選手団を派遣。スキーでは90メートル級純ジャンプの笠谷幸生選手の11位が最高成績。入賞は、女子スケートで5位に2人、6位に1人だけにとどまる。女子スピードスケート3000メートルで6位に入賞した長久保初枝選手は、実はこのとき妊娠していたというエピソードが残っている。 |
第10回 | 1968年 2月6日〜18日 | グルノーブル Grenoble | フランス | 6競技35種目/37国地域1158人。フランスのクロード・キリーがスキーのアルペン競技で史上2人目の三冠王となる。 日本は6位入賞者さえなく、次回の札幌大会に向けて大きな不安を残す。 |
(第11回) | (1972年) | (札幌) | (日本) | |
第12回 | 1976年 2月4日〜15日 | インスブルック Innsbruck | オーストリア | <●アメリカ・デンバーが環境問題の住民反対で返上→インスブルックに変更> 6競技37種目/37国地域1123人。男子滑降で、地元オーストリアのフランツ・クラマーが圧倒的な強さで優勝。 女子アルペンでは、西ドイツのロジャー・ミッターマイヤーが滑降と回転の2種目で優勝、大回転でも銀メダルを獲得して話題。 日本は6位内入賞者がゼロに終わる。期待されたジャンプの笠谷選手も70メートル級で16位、90メートル級で17位と不本意な成績。 |
(第13回) | (1980年) | (レークプラシッド) | (アメリカ) | |
(第14回) | (1984年) | (サラエボ) | (ユーゴスラビア) | |
(第15回) | (1988年) | (カルガリー) | (カナダ) | |
第16回 | 1992年 2月8日〜23日 | アルベールビル Alberville | フランス | 6競技57種目/64国地域1801人。 <日本人メダリスト> 三ヶ田礼一・河野孝典・荻原健司:ノルディック複合:団体:金 伊藤みどり:フィギュアスケート:女子シングル:銀 黒岩敏幸:スピードスケート:男子500メートル:銀 井上純一:スピードスケート:男子500メートル:銅 宮部行範:スピードスケート:男子1000メートル:銅 橋本聖子:スピードスケート:女子1500メートル:銅 石原辰義・河合季信・赤坂雄一・川崎努:ショートトラック:男子5000メートルリレー:銅 |
(第17回) | (1994年) | (リレハンメル) | (ノルウェー) | ●冬季オリンピックは1992年大会の後は2年早め、1994年から4年おき開催に |
(第18回) | (1998年) | (長野) | (日本) | |
(第19回) | (2002年) | (ソルトレークシティー) | (アメリカ) | |
第20回 | 2006年 2月10〜26日 | トリノ Trino | イタリア | 7競技84種目/85国地域2500人。 <日本人メダリスト> 荒川静香:フィギュアスケート:女子シングル:金 |
(第21回) | (2010年) | (バンクーバー) | (カナダ) | |
(第22回) | (2014年) | (ソチ) | (ロシア) | |
(第23回) | (2018年) | (平昌ピョンチャン) | (韓国) | |
(第24回) | (2022年) | (北京) | (中国) | |
第25回 | 2026年 | ミラノMilano / コルチナ・ダンペッツォCortina d'Ampezzo | イタリア |