ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る この旅のtopへ戻る 前ページに戻る 次のページへ count Vernante壁画(1) / (2) / (3) / (4) / (5) / あらすじ / コッローディ / ムッシーノ
参考:★Vernante周辺の宿

Vernante-Pinocchio
【g1092:ヴェルナンテの「ピノキオの冒険」壁画:第10ブロック。ピノキオはキツネと猫にだまされる】

Vernanteヴェルナンテ:Pinocchio「ピノキオの冒険」壁画の街-1

峠への執念・・壁画への関心・・【●アルプスの壁画

ピエモンテ州クネオ県】[北村 峠一].(Kitamura)      


●どうしてこの町に泊まろうと思ったのか・・


 2007年の旅で、フランスのTendeタンドから北に、国境のトンネルを抜けイタリアに入ったのです。

 そしてColle di Tendaテンダ峠(1830m)に登ろうとして・・イタリアの警官に「オフロードでジープ以外はだめだ」と止められ断念してから3年。

 今回の旅ではその再挑戦、「峠の下に宿を取り、調査してから登る」ことにしました。

 さらにその宿の場所としては、2005年の旅で「Viuヴィウ 村で巨大なPinocchioピノキオ像を目撃したのですが、そのピノキオを描いた壁画が大量にヴェルナンテという町に描かれているという情報を入手していたことから、この町に泊まることを決め、宿の予約をしておいたのです。

 Cibiana di cadoreチビアーナ村の壁絵がすばらしかったので、期待して・・

イタリアの警官に止められる
【2007年:イタリアの警官に「オフロードでジープ以外はだめだ」と止められ断念】
Viuヴィウの巨大なピノキオ像
【2005年:Viuヴィウ村で見た巨大なピノキオ像】

【VerunanteとTende峠付近地図:クリックでGoogle地図へ】

【Vernanteの壁画地図:クリックで拡大。 クリックでGoogle地図


参考:★Vernante周辺の宿
−−−

●『ピノキオの冒険』・・


 ピノキオについては皆さん、小さい頃に一度は読んだり見たりしたことがあるでしょうが、ここでそのあらすじ(もくじ)を転記してみます。 1881-1883年と130年ほど前に書かれた作品『ピノキオの冒険』は、イタリアの独立(1861年)、ヴェネツィア獲得(1866年)、ローマ教皇領の併合(1870年)の時代を生きた作家によって書かれました。国を豊かにするためにもと、少年少女たちへの道徳をたくさん語っていますが、そのようなことも世界中で読まれるようになった要素かもしれません。

●『ピノキオの冒険』(カルロ・コッローディ作)のあらすじ


この作品は、たくさんの人によって挿絵が描かれていますが、その話のあらすじを、 『ピノキオの冒険』絵:ロベルト・インノチェンティ。訳:金原瑞人(西村書店1992)の もくじ で紹介します。
ピノキオの本:絵:ロベルト・インノチェンティ カルロ・コッローディ
もくじ
第1章:子供みたいに泣いたり笑ったりする丸太を、大工のチェリーさんが見つけること。
第2章:チェリーさんが不思議な丸太を友だちのゼペットじいさんに贈り、ゼペットじいさんはその丸太で、踊ったり、フェンシングをしたり、とんぽを切ったりすることのできる、すぱらしい人形をつくろうとすること。
第3章:ゼペットじいさんが家にもどり、あやつり人形を作ってそれにピノキオという名まえをつけ、ピノキオがいたずらを始めること。
第4章:言葉をしゃべるコオロギとピノキオの話。生意気な子どもは自分より賢い相手から説教されるのが大嫌い。
第5章:腹がへったピノキオは卵を見つけて煮ぬき卵を作ろうとするが、鍋に割りこもうとしたとたん、卵は窓の外にとんでいくこと。
第6章:火鉢の上に足を乗せたまま眠り込んでしまい、朝になって目をさましてみると、足が燃えてなくなってしまっていたこと。
第7章:ゼペットじいさんがもどってきて、自分が食べるつもりで買ってきた朝食をピノキオにやること。
第8章:ゼペットじいさんがピノキオに新しい足を作ってやり、自分の上着を売って、ABCの本を買ってやること。
第9章:ピノキオがABCの本を売って、人形芝居を見に行くこと。
第10章:あやつり人形たちは、ピノキオが仲間だと気づいて大喜びするが、そこに座長の火食い男が現われ、ピノキオがあえない最期をとげそうになること。
第11章:火食い男がくしゃみをしてピノキオを許してやり、ピノキオが仲間のアルレキーノの命を救ってやること。
第12章:ピノキオは、ゼペットじいさんに持っていくようにと座長から金貨5枚をもらうが、キツネと猫にだまされて、ついていってしまうこと。
第13章:ロブスター亭
第14章:ピノキオが言葉をしゃべるコオロギの忠告を聞かず、殺されかかること。
ピノキオの当初の作品では、絞首刑で物語りは終わっていた 第15章:追いはぎたちがピノキオを追いつめてつかまえ、大きな樫の木の枝からつるすこと。

−−−
★作者カルロ・コッローディは、当初この物語を児童むけと意図していなかったことから、絞首刑で死ぬ結末(第15章)で話を終わらせたということです。
 ・・(第12章)ピノキオは、ゼペットじいさんへの金貨5枚をもらうが、キツネと猫にだまされ・・(第15章)追いはぎたち<キツネと猫>がピノキオを、樫の木の枝からつるす・・

★ところが当時、人気が高かったこの作品の結末に、多くの読者からの非難が殺到し、編集者の要請も受けることで子供新聞に続編を連載(第16章-)します。青い髪の妖精が登場し、ピノキオを救助・・最終的には本物の少年になることができるという「児童文学」になったのです。『ピノキオの冒険』(西村書店1992)を読んでいても、この15-16章のつながりは、かなりつじつま合わせを感じます。

−−−

第16章:青い髪の美しい少女がピノキオを助け、ベッドに寝かせて、3人の医者を呼びにやり、死んでいるか生きているかたずねること。
第17章:ピノキオは砂糖をなめて、薬は飲もうとしないが、墓堀人たちに連れて行かれそうになって薬を飲む。ところが嘘をついたため、罰として鼻が長くなること。
第18章:ピノキオがふたたびキツネと猫に出会い、いっしょにギシーフの野原に金貨を埋めに行くこと。
第19章:ピノキオが金貨をなくし、牢屋に入れられて4カ月をすごすこと。
第20章:ピノキオは牢屋から出ると妖精の家に向かうが、途中で恐ろしい蛇に出会い、そのあとで罠にかかること。
第21章:ピノキオが農夫に捕まり、ニワトリ小屋の番犬の役をさせられること。
第22章:ピノキオが泥棒を見つけ、忠実に番犬の役を果たしたので、自由にしてもらうこと。
第23章:ピノキオが、青い髪の美しい少女の死を嘆く。そして鳩に会って、海岸まで乗せていってもらい、ゼペット爺さんを助けようと海に飛び込むこと。
第24章:ピノキオが働き蜂の島につき、再び妖精に出会うこと。
第25章:ピノキオが妖精に、人形でいるのは嫌だ、ちゃんとしたいい子になりたいから、心を入れ替えて勉強すると約束すること。
第26章:ピノキオが友だちと一緒に、恐ろしいサメを見物に海岸に行くこと。
第27章:ピノキオと仲間が大喧嘩を始め、その最中に一人が怪我をして、ピノキオが逮捕されること。
第28章:ピノキオがあやうく魚フライにされそうになること。
第29章:ピノキオが家に戻り、妖精から次の日に人間の男の子にしてあげましょうと約束してもらい、そのお祝いにクリーム入りのコーヒーの付いた朝食が用意されること。
第30章:ピノキオが友だちのランプシンの話に耳をかたむけ、ミシノータという国に行くこと。
第31章:ピノキオがミシノータという国に行き、5ヶ月を過ごすこと。
第32章:ピノキオにロバの耳が生え、ついに本物のロバになってしまって、いななき始めること。
第33章:ピノキオは本物のロバになり、サーカス団長に売り飛ばされて、ダンスや輪くぐりを教え込まれるが、ある夜、足を痛めてしまい、太鼓作りの職人に売られて皮をはがされそうになること。
第34章:海に放り込まれたピノキオは魚に食べられてもとの人形になるが、陸にむかって泳いでいる最中に巨大なサメに食べられてしまうこと。
第35章:ピノキオがサメの腹の中で、誰を見つけたか・・・という問いの答えがこの章で明らかになること。
第36章:ついにピノキオが人間の男の子になること。


参考:★Vernante周辺の宿
−−−

●カルロ・コッローディ・・


●ピノキオの作者:カルロ・コッローディについて


カルロ・コッローディ
【カルロ・コッローディ:ピノキオの本
Carlo Lorenzini村
【カルロ・コッローディの生地Carlo Lorenziniと、幼年期の村Collodi】
・Pinocchioピノッキオ/ピノキオの作者、Carlo Collodiカルロ・コッローディ(本名Carlo Lorenzini, 1826-1890)は、19世紀イタリアを代表する児童文学作家。
・トスカーナ州フィレンツェ県Florence、カルロ・ロレンツィーニ村Carlo Lorenziniで生まれる。
・コッローディ村Collodiで小学校、本屋/イタリア独立のためのジャーナリスト/雑誌編集者/童話作家。フィレンツェで死亡。
・ピノキオの誕生日はイタリアで5月25日に祝われる。

http://www.kirjasto.sci.fi/【Carlo Collodiの略歴】
http://it.wikipedia.org/【Wiki/Carlo_Collodiカルロコローディ】
http://www.liberliber.it/【Collodi, Carlo (alias Carlo Lorenzini):ピノッキオの作者紹介】
http://it.wikipedia.org/【Le avventure di Pinocchio.Storia di un burattino:ピノキオの冒険:人形の物語】
Pinocchio【Wikipedia】
http://www.geocities.co.jp/【女神信仰と『ピノッキオの冒険』野呂芳男:著者と時代背景などの解説】
http://www.pinocchio.it/【Pinocchio Park in Collodi:Collodiにある公園】



参考:★Vernante周辺の宿
−−−

●ヴェルナンテの壁画の画家と町解説・・


 ヴェルナンテの町に描かれている絵は、画家Attilio_Mussinoアッティリオ・ムッシーノの作品。その作品を、CarletカーレットとMeoメオが町の壁に100枚以上描いているのです。町の解説サイトなども・・

Attilio-Mussino

●Vernanteの画家:Attilio_Mussinoアッティリオ・ムッシーノについて

・ピノキオの最初のカラー版のイラストレータとして世界的に有名。(1878生-1954亡)
・1911年、カルロ・コローディの「ピノキオの冒険」を描き、いくつもの展覧会で受賞。
・1940年代半ばに家族でヴェルナンテに移り住み、亡くなるまで働き続け、その町をピノキオの国と呼ばれるほどにまでした。
・ヴェルナンテの街のたくさんの住宅やビルの壁には、本『ピノキオの冒険』のMurals/Muraux壁画を見ることができる。
・1989年以降Bruno CarletカーレットとMeoメオが、ムッシーノの原画を町の壁に毎年描いていて、すでに100枚以上ある。
・ヴェルナンテの町には「市立アッティリオ・ムッシーノ美術館」がある。


【Vernanteの壁画地図:クリックで拡大】
http://www.infinitestatue.com/【Attilio_Mussinoアッティリオ・ムッシーノ】
http://www.google.co.jp/【Attilio Mussiniの画像検索】
http://vivie-78.skyrock.com/【CarletとMeoが描いたアッティリオ・ムッシーノのピノキオ壁画解説】
http://www.infoparchi.com/【Vernanteのピノキオ壁画説明】
http://abbracciepopcorn.blogspot.com/【ピノキオの画像:複数の画家の画像紹介】
−−−

●Vernanteヴェルナンテと壁画関連サイト

http://videosearch.nifty.com/【Vernante - Piccola Grande Italia:ヴェルナンテの壁画紹介動画】
http://www.youtube.com/1【Vernante le village de Pinocchio:ヴェルナンテの壁画紹介・動画】
http://membres.multimania.fr/【Vernante村のピノキオの壁画】
http://membres.lycos.fr/boghd/pinocchio.html【Vernante村のピノキオの壁画 by ATTILIO MUSSINO】

 ⇒ ●Vernante壁画(1) / (2) / (3) / (4) / (5) / あらすじ / コッローディ / ムッシーノ

<ヨーロッパ・旅・・・>


参考:★Vernante周辺の宿

<関連書籍・地図>

ヨーロッパアルプスのハイキング地図、ガイド洋書  山渓など:日本語編
●北イタリアのワイン

<ヴェルナンテの町の北のほうのブロックから順次、壁画を紹介していきます・・・>

ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る この旅のtopへ戻る 前ページに戻る 次のページへ
Copyright © 1996- Kitamura All Rights Reserved.

EU-Alps 峠の茶屋・掲示板:
EU-ALPS.com


質問などありましたら eualps@gmail.comへどうぞ。
★本サイト内を、地名などのキーワードで検索できます★

eu-alps.com内検索 WWW検索