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Chateau-d'Oex
【02.jpg:シャトー・デーからモスの大分水嶺峠を経て、エーグルへ】

シャトー・デーChateau-d'Oex〜モス峠Col des Mosses(1445m)〜エーグルAigle

「古代ローマの道」脇の隠れ道・峠。【●峠DBへ
サヴォワに対抗してスイス・ベルン人が勢力を広げ・・

スイス:ヴォー州、フリブール州】  [北村 峠一].(Kitamura)      


 3泊し、山歩きなどのベースキャンプにしたRossiniereロシニエール村に別れを告げ、一路イタリアに向かいます。

 まずは東にシャトー・デーChateau-d'Oexへ。2000年にこの町のスポーツ店で、トレッキング用のスティックを買ったり、銀行でフランに換金したら、1万円札を1000円札と勘違いしたことなど、思い出のある町。当時日本円は高くて66.7円/Sfr、今回90円/Sfrですから1.4倍も価値が高かったのです。昨日もちょっと買い物にここに寄って食料や花の種などを入手、一度立寄ったところは土地勘も出来ます。

Chateau-d'Oex
【11.jpg:シャトー・デーChateau-d'Oex郊外の農家。好きなシーンだ】

Chateau-d'Oex
【23.jpg:シャトー・デーの村風景と、北の山Venjicarre(2198m)にかかる朝の雲。ここは熱気球大会が開かれるので有名】

Chateau-d'Oex
【34.jpg:南に直角にカーブを曲がると、ロシニエール村方面の谷、Pays d' Enhautペイ・ダンオーの丘陵が見えてくる。何度見てもすばらしい眺め】

chateaudoex-mosses-aigle-map 【34.jpg:Rossiniereロシニエール→シャトー・デーChateau-d'Oex→モス峠Col des Mosses(1445m)→Aigleエーグル】
 ところでこの町は13-15世紀にサヴォワ家の領地だったのかを調べたところ・・
「当初グリュイエール伯爵領、16世紀ベルンの宗教改革派を支持し、ヴォー州を設立し所属した」とあり、サヴォワ領にはなったことはなさそうでした。

<シャトー・デーChateau-d'Oex関連サイト>

 ○http://www.chateau-doex.ch/【Chateau-d'Oex町のガイド】
 ○http://www.corkscrew-balloon.com/【シャトウ・デーでの熱気球大会風景】

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 川に沿ったなだらかな道の後、ちょっとした森の中・丘を越えると前方にMont d'Or(2189m)のちょっと変わった山が見え始め、前回2000.7.5に通過したモス峠Col des Mosses(1445m)に到着です。【●峠DBへ

Col des Mosses
【72.jpg:La Lecherette付近:右手に見えてきたのがMont d'Or(2189m)。あそこも大分水嶺の山】

Col des Mosses
【97.jpg:モス峠Col des Mosses(1445m)直前。右のMont d'Orから左のPic-Chaussy(2351m)、La-Para(2540m)へと続く大分水嶺】

 ロッシェ・ド・ネーRochers de Naye(2041m)で見たローヌ川とポー川の大分水嶺が、この山の稜線づたいに走りこのモス峠を越え、左に見えるPic-Chaussy(2351m)、La-Para(2540m)を経てピヨン峠Col du Pillon(1546m)へ。さらにLes-Diablerets(3210m)などのBernr-Alpenベルナー・アルプスに続くのです。

Col-des-mosses 【[http://www.swissgeo.ch/]サイトの地図。クリックで拡大
赤点線は大分水嶺。ロッシェ・ド・ネーRochers de Naye(2041m)からのローヌ川とポー川の大分水嶺は、Mont d'Or(2189m)稜線、モス峠、Pic-Chaussy(2351m)、La-Para(2540m)を経て、ピヨン峠Col du Pillon(1546m)、さらにLes-Diablerets(3210m)などのBernr-Alpenベルナー・アルプスに続く】
Col des Mosses
【a3.jpg:モス峠Col des Mosses(1445m)】

Col des Mosses
【a7.jpg:モスの教会堂Temple des Mossesが見えてくる】

Col des Mosses
【a8.jpg:峠を下りだすと渓谷が開け、左Chamosaire(2113m)や、スイス・フランス国境の山が見え始める】

<Mossesモス峠関連のサイト>

 ○http://www.lesmosses.ch/【Office du Tourisme Les Mosses】
 ○http://www.face-music.ch/【Albis Photo-Gallery Sierre - Sion - Saillon - Martigny -Col des Mosses】

 ・モスの村は、一時サヴォワ領になり、Agleの南15kmにあるSt Maurice大修道院の配下にあったが、ベルン人とともに抵抗し開放された。(スイス領になったのは、下で出てくるエーグル城と同じく1482-85年のことと思われます)
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 ローヌ流域を下ります。Le-Sepey付近で大きなカーブ。右に道なりに行くとLeysinレザン/Aigleエーグルで、2000年2002年に訪問したレザンの町が山の斜面に見えて来ます。

 ここを左に曲がるとクロワ峠Col de la Croix(1780m)ピヨン峠Col du Pillon(1546m)の2000年に走った峠です。

Leysin
【18.jpg:Le-Sepey:右に道なりに行くとLeysinレザン、エーグル。左に曲がると クロワ峠Col de la Croix(1780m)ピヨン峠Col du Pillon(1546m)へ。レザンの町が山の斜面に見える】

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 1445mの峠からレマン湖(372m)直前のローヌ川の平野に一気に下ります。谷の向こうに見えるのはスイス/フランス国境の2000mクラスの山。ブドウ畑が丘の斜面、平地へ広く栽培されている先に、エーグル城Chateau d’Aigleが見えてきました。あの町がエーグルAigleです。

Aigle
【40.jpg:有名なブドウ畑の丘斜面を走りAigle-Chateauエーグル城、ローヌ川の平野が眼下に見えてきた。エーグルの町に入る。この城は13世紀のサヴォワ家の小封土だったが、15世紀にベルン人に攻略されスイス領になった】

サヴォワ王国・歴史地図 【サヴォワ王国の歴史地図:13世紀、レマン湖の北東にまでサヴォワ領が広がっていた】
サヴォワ家・紋章 【サヴォワ家の紋章】
 この城は12世紀末にサヴォワ家の城だったが、15世紀にベルン人に攻略されスイスのものになったといいます。

 サヴォワ王国の歴史地図を見ながら、この付近を調べてみると、かつてスイスのヌシャテルから、グランサンベルナルド峠、ジュネーブまでもを領土にした「サヴォワ王国/サヴォイア家」が見えてきます。11世紀中ばに「白い手」と呼ばれたウンベルト1世がサヴォイア家(サヴォイア伯)を創って以降、リヨン付近から順次東へと領土を広げていったのです。
古代ローマの道
 シヨン城のところでも書きましたが、レマン湖の東付近は、紀元前から通行の関門になっていた場所。カエサル(シーザー)の時代、古代ローマの時代にもグラン・サンベルナルド峠などのアルプス越えの、物資の交流のメインルートだったのです。
chateaudoex-mosses-aigle-map 【Chillonシヨン城とAigleエーグル城の位置。エーグルを確保すれば、シヨンでの税金は払わずに交易できる】

 古代ローマ時代、グラン・サンベルナルド峠からレマン湖岸を抜けVeveyヴヴェ・ベルンに抜ける道が主要道路とすると、ここエーグルAigleからモス峠Col des Mosses(1445m)を経てシャトー・デーChateau-d'Oex、ベルンに抜ける道はその裏道。この裏道、乗り物も使えるような道路に整備されたのが1871年と、極めて遅いのです。

 でもこの裏道を使ってイタリア・ローマとベルン間を交易すれば、シヨン城でのサヴォワの関税は不要になります。スイス・ベルン人としてもエーグルを確保したいでしょうね。

 ということで、シヨン城とエーグル城はどちらが先にスイス領になったのかの歴史を調べてみました。

<エーグル城Chateau d’Aigleと、シヨン城Chateau de Chillonの歴史比較>

●エーグルAigle城●シヨンChillon城の歴史


・12世紀:ローザンヌの司教の地。エーグル領主の城の記録は1179年に残っている。 12世紀末、サヴォワ伯がヴァリスに侵略し、エーグル領主の地を占有
・1232年、サヴォワのThomas伯爵、エーグル・シヨン家の基本的規則を定める。
・14世紀、Compey家がその規則に基づき管理した。
・1464年、ベルン人は、エーグルの町と城を奪還しようと試みたが、成功しなかった。 1482-85年、ベルン人は再び奪還の戦いで勝った
 城はかなり荒れたが修理され、Landvogteisitz地域代官所として1798年まで使用された。
・9世紀頃にシヨンの関所が作られた。以降、城を拡大したSionシオン大司教の所有
1150年頃からサヴォワ(サボア/サヴォイア)伯爵家の所有になる。


・13世紀にかけて改修を繰り返し、現在の城の基盤が作られた。

・〜14世紀にはサヴォワ公の夏の居城として繁栄。


・1532-36年には宗教改革推進派のボニバールが捕らえられ、幽閉されるが、1536年、プロテスタント教徒の攻略で城はベルン人のものとなり、ボニバールも開放された。
 上記の歴史から、エーグル城がベルン人の手に渡ったのは1485年。一方のシヨン城は1536年で、51年も早くからエーグルの地からサヴォアは追い出されました。スイス・ベルン人はモス峠のルートを使い、シンプロン峠〜イタリア・ミラノなどのルートも開拓し、イタリア・ローマなどへのルートを確保したのだろうと推測できます。

<エーグル城Chateau d’Aigle付近の歴史と関連サイト>

 ☆http://www.myswiss.jp/【Aigle情報城情報
 ○http://www.chateauaigle.ch/【Aigle城情報】
 ○http://www.swisscastles.ch/【Aigle城情報】
 ○http://www.rousselot.ch/【Aigle城:Musee de vin などの写真も】


<グラン・サン・ベルナール峠経由でイタリア・アオスタへ・・>

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