【1201.jpg:ロッシェ・ド・ネーから見る南東の山並】 |
【1164.jpg:山頂駅のレストラン展望室からは、今来たStn.Jamanジャマン駅からLa Perche駅経由の線路と雪避けがはっきり見渡せる。Dent de Jamanダン・ド・ジャマン山(1875m)の独特な形も】 |
【1190.jpg:ローヌ川がレマン湖に流れ出すNoville付近、高速道路がはっきり見える。左上にDents du Midiダン・ド・ミディ山(3257m)の輪郭がはっきり見え、さらにその先遠くに見えているのはイタリア・フランス・スイス3国の国境付近の山=ローヌ川とポー川の大分水嶺=だろう】 |
【[http://www.swissgeo.ch/]サイトの地図。クリックで拡大 赤点線は大分水嶺。】 |
Chateau de Chillonシヨン城(シオン城) がレマン湖に張り出し、例のギザギザの山、Dents du Midiダン・デュ・ミディ(3257m)が遠くに見えています。この山の急斜面が湖に張り出した場所は、関所として最高の立地にありますね。 【1226.jpg:急斜面が湖に張り出したところにシヨン城が見える。遠方の山は、ダン・デュ・ミディDents du Midi山群(3,257m)】 |
<Chateau de Chillonシヨン城付近の地形と歴史>レマン湖に張り出したシヨン城付近は、紀元前から通行の関門になっていた場所。●カエサル(シーザー)以前と、「古代ローマの道」の歴史 ・現在のスイスに住んでいたケルト人(ヘルウェティイー族など)は、グラン・サンベルナルド峠などのアルプスを越え、ローマ側と物資の交流などを行っていた。 ・BC58-53年のカエサル(シーザー)のガリア戦記でもこの付近が登場する。 ・古代ローマ時代、道路整備が行われたが、このグラン・サンベルナルド峠からレマン湖岸を抜けVeveyヴヴェ〜バーゼル方面。またヴヴェ〜ジュネーヴを通過するルートが主要な道であった。(ヘルマン・シュライバー) ・このアルプス超え物資の通行税を取る場所としての要になったのが、ここヴヴェの東の極めて狭い湖岸の場所である。 ●シヨン城の歴史 ・9世紀頃にレマン湖に突き出た岩島の上に、街道の監視、通行税・物品税をかけるための関所が作られた。 ・城を拡大したSionシオン大司教の所有だったが、1150年頃からサヴォワ(サボア/サヴォイア)伯爵家の所有になる。 ・13世紀にかけて改修を繰り返し、現在の城の基盤が作られた。 ・13〜14世紀にはサヴォワ公の夏の居城として繁栄。 ・1532-36年には宗教改革推進派のボニバールが捕らえられ、地下牢に幽閉される。 ・1536年、プロテスタント教徒の攻略で城はベルン人のものとなり、ボニバールも開放された。 ・19世紀にデュマ、ユーゴー、ターナー、バイロン『シヨン城の囚人』など多くの詩人、画家、作家の作品に登場し、スイスの代表的風景として世界に名を知られていった。 ○http://www.chillon.ch/【シヨン城サイト】 ○http://www1.linkclub.or.jp/~swiss/photo/Montreux1.html【スイスのページ】 ○http://www.myswiss.jp/castle/chillon.htm【マイスイス】 |
【ピンク色が、ハイキング+電車のルート。茶色はライン川、ローヌ川の大分水嶺】 |
<Rochers de Nayeロッシェ・ド・ネー/Montreuxモントルー付近のWebサイト>○http://www.swisscastles.ch/aviation/Montagne/rochernaye.html【Rochers de Nayeロッシェ・ド・ネー山頂付近の航空写真】○ http://www.montreux.ch/index_en.html【Montreuxモントルー観光ガイド】 ○http://www.montreux-vevey.com/index.cfm【Montreux-veveyモントルー・ヴヴェイ観光ガイド】 |
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