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Zoppe di Cadore
【da2.jpg:ゾッペ村から見るモンテ・ペルモは両肩(左3061m、右3024m)のみ】
Zoppe di Cadore
【d93.jpg:タラミニ小屋から見るモンテ・ペルモは両肩と頂上(3168m)】

Zoppe di Cadoreゾッペ・ディ・カドーレ(1)
 怪峰Monte Pelmoモンテ・ペルモを見るためこの村に。

 佐貫亦男が 知り合ったボルトレットさんの写真の場所は、歩いた裏山はどこなのでしょう。【●峠DB
ドロミテ:Pelmoペルモ・エリア】  [北村 峠一].(Kitamura)      


 実は、「ゾッペ」(尻り上がりに発音する)の名前を知り、その村に行ってみようと思ったのは、旅に出発するほんの2週間ほど前のことでした。

 その3カ月ほど前、Fさんと壁絵のあるChibianaチビアーナや、付近の峠などの情報を掲示板でやり取りしました。2週間前のFさんの書き込み内容は「旅の準備はすべて終わった。チビアーナ、ゾッペに行く予定・・」とのこと。
「ゾッペには、どんな見どころが?」の問いかけに、
「10年ほど前、白川義員さんの『アルプス』の写真集に、ピンクに染まったペルモとゾッペの村の写真があった。佐貫亦男さんの本にも、モンテ・ペルモの写真が載っている」とのことでした。

 いつもの事ながら私の場合、旅の直前まで前年のページを作ったり、峠をどんな風に走り尽くそうかばかり考えていましたから、この情報は目の前が急に開けたような気持にさせてくれたのです。 「アルプスの白川さんが撮影したのだからきっといい場所だろう。さらに佐貫さんまで行ったことのある場所、多分何かがあるのでは」と。

 さらにアルバニアにいるYさんからも同じ頃、時間が作れたので旅に同行できる旨の連絡があり、せっかくのチャンスなのでドロミテの名所を歩いてみようという気持ちになっていたのです。

 早速いくつかの図書館に通い、写真集、本を探し、さらに『ヨーロッパの壁絵』の松味先生にも問い合わせ、見どころなどを教えて頂きます。掲示板のやり取りを見て、いつも貴重な情報を提供してくれるMさんから写真と「ふたつの頂きに、つり橋のアーチのような形・・写真のように見える場所は、かなり山の中に入らないと難しい」とのメールも寄せられます。Webでモンテ・ペルモの画像検索などの情報収集も行います。その結果、次のような怪峰がここにあることを知ったのです。

Zoppe di Cadore  Zoppe di Cadore  Zoppe di Cadore
左【佐貫亦男「ゾッペの知り合い」p57-59:ボルトロットさんに出あった村】 中【Mさんからの写真:ドイツ出版の本Geosser Alpen Strassen Fuhrer(旧19版)から】 右【ゾッペ生まれのMASI SIMONETTIが描いたペルモ山(部分)】

 B 『佐貫亦男の旅の回想―アルプスとドイツを旅して50年』佐貫亦男(著)、グリーンアロー出版、(1994/10)
 B『佐貫亦男のアルプ日記』佐貫亦男(著)、山と渓谷(1973) 中古本から探す
 ○「SUA MAESTA' IL PELMO」【MASI SIMONETTI(1903-1967):ゾッペで生まれた画家の作品。演奏曲付】

 ところでZoppeゾッペ村はどこだろう、どこに行ったらこの写真のようなモンテ・ペルモを見ることが出来るのだろう、と早速地図を調べますが詳細なものは入手できません。Webでの画像検索で出てくる写真も、撮影地点まで説明しているものは少なく、また各国語で書かれなかなか理解できません。どうやらこの独峰は、周囲どこから見ても大きく姿が変わる、怪しげな山のようです。

 Yさんにもゾッペ村がいいところらしいとメールをし、大いに期待してここに来たのです。詳細なハイキング地図を求めて、さっき通過したアゴルドの町の数軒の地図を置いてある店にも立ち寄ったのですが、残念ながら入手できませんでした。

 フォルノ・ディ・ゾルドからの道はかなり急勾配、約9kmで600mほどの登りです。大きなカーブが続き、時折り木々の間からペルモらしい山が見えますが、残念ながら頂上は雲がかかっています。少し時間が経てば、帰りは雲も晴れるだろうと期待して。村に近づくにつれ、ペルモは手前の山に隠れてきます。やはり最適な撮影場所探しには苦労しそうです。そして海抜1461m、Zoppe di Cadoreゾッペ・ディ・カドーレの村に到着です。(15:50)

 村の中を散策しますが、手前の山に隠れモンテ・ぺルモはまるで見えません。通りに人影は無く静かな村ですが、どこかから子供の声が聞こえます。急な斜面に作られた家と家の間で子供たちが遊んでいるのです。草で作った玩具のようなものを投げあったり、物陰にいる昆虫を追いかけたりしている彼らの遊び方は、もう日本ではあまり見られないものです。

Zoppe di Cadore
【209.jpg:第一次大戦の
慰霊碑。大砲の弾が
周囲の柵になっている】
Zoppe di Cadore Zoppe di Cadore
【d88.jpg:ゾッペ・ディ・カドーレ:子供たちが庭で楽しそうに遊ぶ】 【d87.jpg:急な斜面に作られた家々、ところどころに壁画がある】

第一次大戦のトレンチーノ戦線
【第一次大戦のトレンチーノ戦線】:
 第一次大戦と南チロル/トレンティノ戦線
 ポカレット戦線も参考に。
図は『第1次世界大戦 20世紀の歴史(13)』JMウィンター著、平凡社から
 そしてこの狭いカーブの場所、教会と並んで大きな碑があるところが村の中心。碑の一番上には羽ばたく鷲、「ZOPPE AI SUOI CADUTI(ゾッペ村の戦死者へ)」の文字、花輪、武器・軍旗、1915-1918の年号、13人の名前・Caponale隊長/Soldato兵士などの身分と死亡日、碑の周囲にあるのは大砲の弾のようです。

 第一次大戦で亡くなったゾッペ村の戦死者慰霊碑です。100人ほどと思われる小さな村で、その1割ほどの働き盛りの男たちを戦いで亡くしたのです。当時この地はオーストリアとの国境近く、1917年の秋には、オーストリア・ドイツ軍の激しい攻撃がまさにこの地に向かって行われましたから、兵士ばかりかこの山の住人にすら多くの被害や死者を出したことでしょう。

 教会に入ってみます。まるでじっと見つめられているような目のある、金銀の刺繍の天蓋(モンストランツ)が置かれています。普段は片付けられている天蓋なので、多分この教会でも昨日、聖体祭の行列が行われたのでしょう。オーストリア・チロルのLeutaschロイタッシュ、イタリアのAgordoアゴルドで見た行列がこの村でもあったのです。

 あそこで遊んでいた子供たちも昨日、白や赤のドレスを着てこの天蓋の前後を歩いていたのです。この厳かな天蓋の下には司祭が。村の人、皆がこの行列に加わるか観客になって、村の一大イベントを終えたのです。その熱気と匂いが残っているような教会の内部です。

Zoppe di Cadore  Zoppe di Cadore  Zoppe di Cadore
【203.jpg:教会の入り口の紋章、鷲とぺルノの山、ネットの中に2匹の魚が居ます。どんな意味を持っているマークなのでしょう】  【d86.jpg:教会内部にあるのはあのの天蓋がおいてあります。多分この教会でも昨日、聖体祭の行列が行われたのでしょう】 【225.jpg:その天蓋の真ん中の刺繍「目」が、僕たちをじっと見つめています】

 村の中をさらに奥まで歩いてみますが、山がじゃまをして希望する景色ではありません。黒い木の壁と漆喰のコントラストの特徴的な古い民家が並ぶばかりです。谷の行止りのこの村、Webではホテルやペンションは見つかりませんでしたが、いくつかの大きな建物の外観などから想定すると、シーズンのプライベートルームや、長期滞在の貸し部屋はありそうですね。

Zoppe di Cadore
【1a3.jpg:黒く着色した木の壁と漆喰のコントラストが特徴的な民家。右の家のテラスには写真のパネルが】
Zoppe di Cadore
【1b5.jpg:村の奥への道にそって歴史ありそうな黒い木の家が並ぶ】


<Yさんがさきほどの町で入手したパンフレットに、この先の、山の向こう側へのハイキングルートらしいものが書かれています。その地図を頼りにもう少し林道を車で行き、さらにハイキングしてモンテ・ペルモの見える場所を探してみることにします。(16:00頃)・・・>

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