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花マルチIndex 青 赤 黄 白 緑 他 日本の高山植物 解説 |
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命名者略記 | 氏名 | 生年-亡年 | 国籍 | 日本の植物学との関係など | Topにジャンプ |
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Kaempf. | Engelbert Kampfer エンゲルベルト・ケンペル |
1651 - 1716 | ドイツ | 日本は鎖国(1633頃-1854)。1690-1692:オランダ商館付の医師として出島に滞在。江戸で将軍・徳川綱吉にも謁見。滞日中通訳・今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。出島の三学者の一人。 | ||
L. Linn. |
Carl Linnaeus カール・リンネ |
1707 - 1778 | スウェーデン | 日本は鎖国(1633頃-1854)だが、世界各地から集められた標本をもとに、日本に産する植物にも多くの学名をつけた | ||
Pall. | Peter Simon von Pallas ペーター・ジーモン・パラス |
1741 - 1811 | ドイツ | |||
Thunb. | Carl Peter Thunberg カール・ペーテル・ツンベルク |
1743 - 1828 | スウェーデン | リンネの弟子。1775-1776年、出島オランダ商館付医師として鎖国期の江戸日本に滞在し、日本における植物学や蘭学、西洋における東洋学の発展に寄与した。多数の植物標本を持ち帰り学名を付けた。出島の三学者(シーボルト、ツンベルク、ケンペル)の一人 | ||
Lam. | Jean-Baptiste Lamarck ジャン=バティスト・ラマルク |
1744 - 1829 | フランス | |||
Spreng. | Kurt Polycarp Joachim Sprengel クルト・シュプレンゲル |
1766 - 1833 | ドイツ | |||
Hornem. | Jens Wilken Hornemann イェンス・ヴィルケン・ホルネマン |
1770 - 1841 | デンマーク | |||
R.Br. | Robert Brown ロバート・ブラウン |
1773 - 1858 | イギリス | |||
DC. | Augustin Pyramus de Candolle オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール |
1778 - 1841 | スイス | |||
Fisch. | Friedrich Ernst Ludwig Fischer フリードリヒ・エルンスト・ルートヴィヒ・フィッシャー |
1782 - 1854 | ドイツ | |||
Desv. | Nicaise Auguste Desvaux ニケーズ・オーギュスト・デヴォー |
1784 - 1856 | フランス | |||
Ledeb. | Carl Friedrich Ledebour カール・フリードリヒ・レーデブーア |
1786 - 1851 | ドイツ | |||
Schott | Heinrich Wilhelm Schott ハインリッヒ・ヴィルヘルム・ショット |
1794 - 1865 | オーストリア | |||
Sieb. Siebold |
Philipp Franz Balthasar von Siebold フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト |
1796 - 1866 | ドイツ | 1823年長崎の出島のオランダ商館医。エンゲルベルト・ケンペル と カール・ツンベルクとの3人を「出島三学者」などと呼ぶ。1825年出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培した。1828年オランダに帰着(シーボルト事件)。植物2000種・植物標本12000点を持ち帰る。日本開国(1854年)後の1859年再来日、1862年帰国。 | ||
Succ. | Joseph Gerhard (von) Zuccarini ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ |
1797 - 1848 | ドイツ | シーボルトが日本で集めた植物の体系的な研究を行った。 | ||
G.Don | George Don ジョージ・ドン |
1798 - 1856 | イギリス | |||
Lindl. | John Lindley ジョン・リンドリー |
1799 - 1865 | イギリス | |||
Alph.Wood | Alphonso Wood アルフォンソ・ウッド |
1810 - 1881 | アメリカ | |||
Griseb. | August Heinrich Rudolf Grisebach アウグスト・グリーゼバッハ |
1814 - 1879 | ドイツ | |||
Regel | Eduard August von Regel エドゥアルト・アウグスト・フォン・レーゲル |
1815 - 1892 | ドイツ | |||
Maxim. | Carl Johann Maximowicz カール・ヨハン・マキシモヴィッチ |
1827 - 1891 | ロシア | 1860-日本の開国を聞きつけ、植物相調査のため函館へ。
-1864年まで日本に滞在し、精力的に日本の植物相調査を行った。函館で採集助手として日本人の須川長之助を雇い、1年ほど渡島半島の植物相調査を行う。(長之助はマキシモヴィッチの依頼に応えて日本各地の植物を採集し、標本をマキシモヴィッチの元へ送った)。
1862年、助手の長之助を伴い九州・長崎に1年余り滞在、周辺を調査するとともに長之助を雲仙、阿蘇、霧島などへ遣わした。このとき日本滞在中のシーボルトとも長崎で会っている。
シーボルトからマキシモヴィッチへの流れは、たいへん重要な人物とみなされ、明治草創期の日本の植物学者は、未知種や新種と思われる植物を採集すると真っ先にマキシモヴィッチの元へ標本を送り、その種同定を依頼していた。 <1883-1888:トガクシソウと伊藤篤太郎、矢田部良吉> |
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F.Schmidt | Friedrich Carl Fedor Bogdanovich Schmidt フリードリッヒ・カール・シュミット |
1832 - 1908 | ドイツ | |||
Focke | Wilhelm Olbers Focke ヴィルヘルム・オルバース・フォッケ |
1834 - 1922 | ドイツ | |||
Th.Wolf | Franz Theodor Wolf テオドール・ウルフ |
1841 - 1914 | ドイツ | |||
Matsum. | 松村 任三 まつむら じんぞう |
1856(安政2) - 1928 | 日本 | 日本開国(1854年) | ||
A.Nelson | Aven Nelson エイヴン・ネルソン |
1859 - 1952 | アメリカ | |||
Hedl. | Johan Teodor Hedlund ヨハン・テオドール・ヘドルンド |
1861 - 1953 | スウェーデン | |||
Makino | 牧野 富太郎 まきの とみたろう |
1862(文久2) - 1957 | 日本 | 日本開国(1854年)。1889(明治22)年、牧野富太郎は大久保三郎と連名で、日本で初めて新種 「Theligonum japonicum Okubo et Makino(ヤマトグサ)」を発表。 | ||
Gilg | Ernest Friedrich Gilg エルネスト・フリードリヒ・ギルク |
1867 - 1933 | ドイツ | |||
A. Heller | Amos Arthur Heller エイモス・アーサー・ヘラー |
1867 - 1944 | アメリカ | |||
Koidz. | 小泉 源一 こいずみ げんいち |
1883(明治16) - 1953 | 日本 | |||
C.Tanaka Tanaka |
田中 長三郎 たなか ちょうざぶろう |
1885(明治18) - 1976 | 日本 | |||
J.F.Macbr. | James Francis Macbride ジェームズ・フランシス・マクブライド |
1892 - 1976 | アメリカ | |||
Honda | 本田 正次 ほんだ まさじ |
1897(明治30) - 1984 | 日本 | |||
Soo | Karoly Rezso Soo von Bere カロリー・レズシュ・ソー・フォン・ベレ / スー・レズ |
1903 - 1980 | ハンガリー | |||
Ohwi | 大井 次三郎 おおい じさぶろう |
1905(明治38) - 1977 | 日本 | |||
Kitam. | 北村四郎 きたむら しろう |
1906(明治39) - 2002 | 日本 | |||
H.Hara | 原 寛 はら ひろし |
1911(明治44) - 1986 | 日本 | |||
Tam. Tamura |
田村 澄夫 たむら すみお |
1943 - 2021 | 日本 | |||
Kadota | 門田 裕一 かどた ゆういち |
1949 - | 日本 | |||
K.Shimizu | 清水 健太郎 しみず けんたろう |
1967 - | 日本 | |||
Kudoh | 工藤 洋 くどう ひろし |
1967 - | 日本 |
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