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花マルチIndex              日本の高山植物  1bit 解説
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日本の高山植物の命名者索引 Japan-Botanica-nomenclator-index
   (★対象:日本の高山植物に掲載分)


★日本の鎖国時代にも、出島の3学者などが日本の植物標本に学名を・・約100年後の1854年日本開国。慌てふためく日本の植物学界。
                       ●<<<2023.9.11 現在:42人

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Kaempf. Engelbert Kampfer
エンゲルベルト・ケンペル
1651 - 1716 ドイツ 日本は鎖国(1633頃-1854)。1690-1692:オランダ商館付の医師として出島に滞在。江戸で将軍・徳川綱吉にも謁見。滞日中通訳・今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。出島の三学者の一人。 ページ最上段へ
L.
 Linn.
Carl Linnaeus
カール・リンネ
1707 - 1778 スウェーデン 日本は鎖国(1633頃-1854)だが、世界各地から集められた標本をもとに、日本に産する植物にも多くの学名をつけた ページ最上段へ
Pall. Peter Simon von Pallas
ペーター・ジーモン・パラス
1741 - 1811 ドイツ   ページ最上段へ
Thunb. Carl Peter Thunberg
カール・ペーテル・ツンベルク
1743 - 1828 スウェーデン リンネの弟子。1775-1776年、出島オランダ商館付医師として鎖国期の江戸日本に滞在し、日本における植物学や蘭学、西洋における東洋学の発展に寄与した。多数の植物標本を持ち帰り学名を付けた。出島の三学者(シーボルト、ツンベルク、ケンペル)の一人  ページ最上段へ
Lam. Jean-Baptiste Lamarck
ジャン=バティスト・ラマルク
1744 - 1829 フランス   ページ最上段へ
Spreng. Kurt Polycarp Joachim Sprengel
クルト・シュプレンゲル
1766 - 1833 ドイツ   ページ最上段へ
Hornem. Jens Wilken Hornemann
イェンス・ヴィルケン・ホルネマン
1770 - 1841 デンマーク   ページ最上段へ
R.Br. Robert Brown
ロバート・ブラウン
1773 - 1858 イギリス   ページ最上段へ
DC. Augustin Pyramus de Candolle
オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール
1778 - 1841 スイス   ページ最上段へ
Fisch. Friedrich Ernst Ludwig Fischer
フリードリヒ・エルンスト・ルートヴィヒ・フィッシャー
1782 - 1854 ドイツ   ページ最上段へ
Desv. Nicaise Auguste Desvaux
ニケーズ・オーギュスト・デヴォー
1784 - 1856 フランス   ページ最上段へ
Ledeb. Carl Friedrich Ledebour
カール・フリードリヒ・レーデブーア
1786 - 1851 ドイツ   ページ最上段へ
Schott Heinrich Wilhelm Schott
ハインリッヒ・ヴィルヘルム・ショット
1794 - 1865 オーストリア   ページ最上段へ
Sieb.
 Siebold
Philipp Franz Balthasar von Siebold
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
1796 - 1866 ドイツ 1823年長崎の出島のオランダ商館医。エンゲルベルト・ケンペル と カール・ツンベルクとの3人を「出島三学者」などと呼ぶ。1825年出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培した。1828年オランダに帰着(シーボルト事件)。植物2000種・植物標本12000点を持ち帰る。日本開国(1854年)後の1859年再来日、1862年帰国。 ページ最上段へ
Succ. Joseph Gerhard (von) Zuccarini
ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ
1797 - 1848 ドイツ シーボルトが日本で集めた植物の体系的な研究を行った。 ページ最上段へ
G.Don George Don
ジョージ・ドン
1798 - 1856 イギリス   ページ最上段へ
Lindl. John Lindley
ジョン・リンドリー
1799 - 1865 イギリス   ページ最上段へ
Alph.Wood Alphonso Wood
アルフォンソ・ウッド
1810 - 1881 アメリカ   ページ最上段へ
Griseb. August Heinrich Rudolf Grisebach
アウグスト・グリーゼバッハ
1814 - 1879 ドイツ   ページ最上段へ
Regel Eduard August von Regel
エドゥアルト・アウグスト・フォン・レーゲル
1815 - 1892 ドイツ   ページ最上段へ
Maxim. Carl Johann Maximowicz
カール・ヨハン・マキシモヴィッチ
1827 - 1891 ロシア 1860-日本の開国を聞きつけ、植物相調査のため函館へ。 -1864年まで日本に滞在し、精力的に日本の植物相調査を行った。函館で採集助手として日本人の須川長之助を雇い、1年ほど渡島半島の植物相調査を行う。(長之助はマキシモヴィッチの依頼に応えて日本各地の植物を採集し、標本をマキシモヴィッチの元へ送った)。 1862年、助手の長之助を伴い九州・長崎に1年余り滞在、周辺を調査するとともに長之助を雲仙、阿蘇、霧島などへ遣わした。このとき日本滞在中のシーボルトとも長崎で会っている。 シーボルトからマキシモヴィッチへの流れは、たいへん重要な人物とみなされ、明治草創期の日本の植物学者は、未知種や新種と思われる植物を採集すると真っ先にマキシモヴィッチの元へ標本を送り、その種同定を依頼していた。
<1883-1888:トガクシソウと伊藤篤太郎、矢田部良吉>  
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F.Schmidt Friedrich Carl Fedor Bogdanovich Schmidt
フリードリッヒ・カール・シュミット
1832 - 1908 ドイツ   ページ最上段へ
Focke Wilhelm Olbers Focke
ヴィルヘルム・オルバース・フォッケ
1834 - 1922 ドイツ   ページ最上段へ
Th.Wolf Franz Theodor Wolf
テオドール・ウルフ
1841 - 1914 ドイツ   ページ最上段へ
Matsum. 松村 任三
まつむら じんぞう
1856(安政2) - 1928 日本 日本開国(1854年)  ページ最上段へ
A.Nelson Aven Nelson
エイヴン・ネルソン
1859 - 1952 アメリカ   ページ最上段へ
Hedl. Johan Teodor Hedlund
ヨハン・テオドール・ヘドルンド
1861 - 1953 スウェーデン   ページ最上段へ
Makino 牧野 富太郎
まきの とみたろう
1862(文久2) - 1957 日本 日本開国(1854年)。1889(明治22)年、牧野富太郎は大久保三郎と連名で、日本で初めて新種 「Theligonum japonicum Okubo et Makino(ヤマトグサ)」を発表。 ページ最上段へ
Gilg Ernest Friedrich Gilg
エルネスト・フリードリヒ・ギルク
1867 - 1933 ドイツ   ページ最上段へ
A. Heller Amos Arthur Heller
エイモス・アーサー・ヘラー
1867 - 1944 アメリカ   ページ最上段へ
Koidz. 小泉 源一
こいずみ げんいち
1883(明治16) - 1953 日本   ページ最上段へ
C.Tanaka
Tanaka
田中 長三郎
たなか ちょうざぶろう
1885(明治18) - 1976 日本   ページ最上段へ
J.F.Macbr. James Francis Macbride
ジェームズ・フランシス・マクブライド
1892 - 1976 アメリカ   ページ最上段へ
Honda 本田 正次
ほんだ まさじ
1897(明治30) - 1984 日本   ページ最上段へ
Soo Karoly Rezso Soo von Bere
カロリー・レズシュ・ソー・フォン・ベレ / スー・レズ
1903 - 1980 ハンガリー   ページ最上段へ
Ohwi 大井 次三郎
おおい じさぶろう
1905(明治38) - 1977 日本   ページ最上段へ
Kitam. 北村四郎
きたむら しろう
1906(明治39) - 2002 日本   ページ最上段へ
H.Hara 原 寛
はら ひろし
1911(明治44) - 1986 日本   ページ最上段へ
Tam.
 Tamura
田村 澄夫
たむら すみお
1943 - 2021 日本   ページ最上段へ
Kadota 門田 裕一
かどた ゆういち
1949 - 日本   ページ最上段へ
K.Shimizu 清水 健太郎
しみず けんたろう
1967 - 日本   ページ最上段へ
Kudoh 工藤 洋
くどう ひろし
1967 - 日本   ページ最上段へ
 ○植物学者の略記一覧

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