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Torri di Fraele
【d82.jpg:正面Cime-di-Plator山(2937m)。その斜面をジグザグに登りきって右上にある塞が、Torri-di-Fraele峠】

Torri di Fraele トッリ・ディ・フラエレ峠(1941m)

見上げるような険しい斜面をジグザグに18回のカーブ、そこは砦としては最高の場所。【●峠のDBへ
ダム湖の水が完全に底をつくほどの猛暑だったのでしょうか。

ロンバルディア州ソンドリオ県】   [北村 峠一].(Kitamura)      


 サン・ニコロ村からBormioボルミオの古い家並みを横に見て、町の北のはずれでステルビオ峠との分岐に出ます。

 歴史を調べてみると、このボルミオ、リビーニョなどソンドリア県一体は1512年にミラノ公国の管理下から、スイスに加盟します。地理的条件からミラノ、ベネツィア、スイスなど北の国との交易の接点として栄えたようですが、1800年代前半大きな変化に翻弄されています。

1797年ナポレオン1世の勢力化でCisalpine Republicチサルピナ共和国ができたとき、このソンドリア県一体もスイスから分離し併合(7月)されます。(1802年にイタリア共和国→1805年イタリア王国)
1815年、ナポレオン失脚のウィーン会議で、オーストリア帝国領となる。
1859年、サヴォワから台頭したサルディーニャ王国は、ナポレオン3世の支援の下、この地を獲得しイタリア統一が実現(1861年)した。
  (東に隣接の南チロルエリアは、第一次大戦後の1919年イタリアに割譲され、トレンティーノ・アルト・アディジェ州となります)

<ソンドリア県(ボルミオ、リビーニョ付近)の歴史と地図>

ボルミオ一体の歴史
【1512年以前:ミラノ公国、1512年:スイス、1797年:チサルピナ共和国、1802年:イタリア王国、1815年:オーストリア帝国領、
1859年:サルディーニャ王国、1861年:イタリア。(赤がボルミオの位置)】
 この1815〜1859年のオーストリア帝国領の時代(45年間)に、ステルビオ峠がオーストリアの軍用道路として建設(1820-25年)されたのです。極めて険しい山岳地帯ですが、領土管理のため膨大な費用をつぎ込み、2760mもの海抜のあるアルプス第1位の峠道を建設したのです(1936年イズラン峠が開通し2位に落ちましたが)。このステルビオ峠に道ができたおかげで、現在ドライブやスキーなど四季を通じた観光の拠点になっているのです。
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 <関連サイト>
 ○http://en.wikipedia.org/【wiki/Valtellina:ヴァルテリーナの歴史:16世紀には西チロルとも呼ばれていた】

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 Livignoリビーニョとの境、Foscagnoフォスカーニョ峠に行く前に、ちょっと立ち寄りたい峠があるのでわき道に入ります。 それは「Torri di Fraele トッリ・ディ・フラエレ峠(1941m)」、Addaアッダ川の上流ダムに行く途中にある峠で、林道レベルなのでしょうか、一般の地図にはあまり出てこない道と峠なのです。

Torri di Fraele
【119.jpg:峠を登りだす。未舗装のホコリが】

Torri di Fraele
【149.jpg:このダート、ホコリだらけの道にはバギー車がいい。眺めはいいが、ホコリはひどい】

 案の定、ひどい未舗装道路、ここしばらく雨が無いのでしょう、埃が舞い対向車が来たときは窓を閉めざるを得ないような砂埃です。18個のヘアピンカーブを登っていくと、前方に2つの砦が見えてきます。そして最後は岩を削ったトンネルです。

Torri di Fraele
【d94.jpg:二つの塞が見える。正面Croce-delle-Scale山(2521m)】

Torri di Fraele
【183.jpg:峠直前はトンネルが連続する】

Torri di Fraele
【Torri di Fraele峠周辺】

Torri di Fraele
【1b5.jpg:Torri di Fraele1941m】

 Torri di Fraele トッリ・ディ・フラエレ峠(1941m)に到着です。【●峠のDBへ

 車を近くに停め、峠に先ほど見えた片方の砦に登っていきます。ステルビオ国立公園の鷲のマークのある木の看板が建っています。そして砦には先客の山羊がいます、ヤギは習性で高いところに集まるのでしょう、譲ってもらったその場所からの眺めは・・・・・・

Torri di Fraele
【1a4.jpg:峠の塞を北側から見る】

Torri di Fraele Torri di Fraele
【1c8.jpg:塞には先客の山羊が】 【206.jpg:(南東)朽ち果てた塞と、M.Sobretta(3296m)その山腹にBormio3000/2000のゲレンデ群が見える。その下がボルミオの町】

 やはりヤギが好む眺めは、なかなかです。ボルミオ2000のスキーゲレンデ、M.Sobretta(3296m)の雪山、Croce-delle-Scale山(2521m)、Valle di Fraeleフラエレ渓谷、Cima-Viola(3374m)とスイス国境の頂、Cimade-Piazziの雪山と360度が見え、眼下には今登ってきた18個のヘアピンカーブが斜面を削り取っています。

Torri di Fraele
【219.jpg:(東)正面Croce-delle-Scale山(2521m)、(北)左に行くとValle di Fraeleフラエレ渓谷、Scale-o-Di-Fraele湖、Cancano湖ダムがある】

Torri di Fraele
【248.jpg:Torri di Fraele峠の塞からの南風景:下に18のヘアピンカーブ。左M.Sobretta(3296m)。(南)正面Cimade-Piazziの雪山(3439m)、(南西)右Cima-Viola(3374m)とスイス国境の頂】

Torri di Fraele

Qui dove il lago finge la montagna
bisbiglia il rododendro che s'arrossa,
fende la trota a colpi fra le nubi
il varco che l'annotta.
Nei pini cresce l'ombra che l'infolta,
dopo un tonfo il carrello gia scompare,
ronzano i cavi al salto, dietro al nulla:
dunque tutto sta qui, nell'aspettare?
 Gino Berbenni Poesie(1949)
Torri di Fraele
【195.jpg:峠名と文章が書かれた木の看板】
 峠に説明書きのような、木の看板がありました。帰国後Webで調べてみると、Gino Berbenniという地元の詩人が、第二次大戦後の1949年に作った詩「フラエレの塔」でした。

単語から推測してみると、
「何もかもが荒廃してしまった山、湖、魚、木々、雲・・すべてがはるかかなたに飛び去って、これから何をすればいいのだ?」
と言うような絶望的な感情の詩なのでしょうか? お分かりの方教えてください。

 日本では詩や俳句は、石碑としてあちこちで建てられていますが、ヨーロッパの山岳地帯ではあまり見ません。それとも今まで気が付かなかっただけなのでしょうか。

 一応この峠に上る目的は達したのですが、この先にある湖もちょっとだけ見てみたいと、さらに車を走らせます。

 2kmほどのところにあるのがScale-o-Di-Fraele湖(水面標高1928m)、連日の暑さで水位も低いのでしょうか。振り返るトッリ峠のV字の間から、Cimade-Piazzi(3439m)の見事な雪と岩が見えています。

 先ほどのジグザグ・ヘヤピンの砂埃で、車の横・後面はみごとにホコリだらけになりました。一度ざっと雨が降れば流れるだろうと思っていたのですが、以降しばらく雨も降らず、洗車するチャンスも無く、数日このホコリだらけのままで走ったのです。
Torri di Fraele Torri di Fraele
【d89.jpg:Scale-o-Di-Fraele湖(1928m)】 【e23.jpg:峠のV字の正面にCimade-Piazziの雪山(3439m)】

Torri di Fraele Torri di Fraele
【d87.jpg:舗装が無く、ホコリだらけ、車内にまで・・】 【d91.jpg:Scale-o-Di-Fraele湖からスイス国境方面】

Torri di Fraele
【d832.jpg:CancanoUカンカーノU世人造湖のダムにはほとんど水が無い】
 さらに1kmほどで、スイス国境の山が見えるCancanoUカンカーノU世のダム湖(水面標高1900m)に到着しました。Addaアッダ川をせき止めたダム工事は、第二次大戦の前の1922年に始まり、1956年に完成したのだそうです。

 しかしこのダム湖ほとんど水がありません。136mの高さがあるというアーチダムのほとんど底まで見えていますから、きっとかなり深刻な渇水なのでしょう。昨年(2003年)夏、ヨーロッパのかなり広域を襲った猛暑の影響でしょうか。フランスでは1万5千人、イタリアでは2万人(従来発表8千人を修正)もの人が亡くなった暑さだったのです。

 このダムのすぐ上流にS.Giacomo di Fraeleサン・ジャコモダム湖(1949m)があり、そのはずれがPasso di Fraeleフラエレ峠(1952m)ですから、北西遠方の低い部分あたりがその峠でしょう。さらにその奥には、これから行くリビーニョのダム湖(Lago Livigno del Gallo)があるはずです。

Torri di Fraele
【d83.jpg:Addaアッダ川をせき止めたCancano湖ダム。(水位1900m)だが渇水でほとんど水が無い。山の向こうはスイス。左遠方の低い部分(北西)がPasso di Fraele(1952m)。その右からPiz Tea Fondada/M.Cornaccia(3144m)、間の谷(北)がCancano渓谷、正面がM.Solena(2915m)、右手はステルビオ峠/ウンブレイル峠方面の雪山】

<ボルミオ・フラエレ付近のWeb-Site>

 ○http://www.bormioonline.com/en/bormio/history/?k=128&p=2198【Bormio's Rootsボルミオの歴史】
 ○http://www.cancanobike.it/【CANCANO BIKE:たくさんの写真】
 ○http://www.waltellina.com/dallastoria/torrifraele/【Torri di Fraele、http://www.waltellina.com/mountainbike/valfraele/
 ○http://www.cmav.so.it/valdidentro/turismo/turismo.htm【Storia e arte】
 ○http://www.mondimedievali.net/Castelli/Lombardia/sondrio/provincia.htm【Castelli della Lombardia, provincia di Sondrio】
 ○http://www.altarezia.it/【AltaValtellina/Valposchiavo/Engadinaエリアの情報NW】
 ○http://www.vaol.it/DetRub.jsp?idrub=3014【ボルミオの詩人Gino Berbenniさんのこと】
 ○http://www.avalonag.ch/Hobbys_Biken_Tour2002.htm【Fraele峠/ Alpisella峠/ Cancano湖/ Lago Giacomo湖などをMTBで走った記事と写真】
 ○http://www.waltellina.com/altavalle/valfraele/【Val Fraele小屋】
 ○http://www.geocities.com/Colosseum/Field/5127/acque.html【Val Fraele一帯のダム構造・歴史など】


<この先未舗装のホコリだらけの道路は、ダムサイトをPasso di Fraeleフラエレ峠(1952m)付近まで続いているようですが、悪路走行はここで止め、引き返してリビーニョに向かいます・・・>

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