【a5.jpg:クランスカ・ゴーラからのユリアンアルプス】 |
<minakata_hさんから次の情報を貰いました> 2002年の夏、その峠を通過しました。町を南側に抜けてすぐ(a5.jpgの写真の場所から300mほど行って急な左カーブを過ぎた辺り)、エメラルドグリーンに輝く湖(池?)があってここからのアルプスの眺めもお薦めです。 峠はハイキング客などで賑わってるのに駐車場が無かったですよね。車はわずかな路肩に横列駐車できるのみで駐車料金を徴収されました。駐車料金を支払う峠も稀だと思いますが・・・ ちゃんと印刷された駐車券を渡されましたので騙されたのでもないと思います。 |
<●イタリア・オーストリア・スロベニア国境の変遷と、アルプスの大分水嶺>
この峠はヨーロッパアルプスの大分水嶺なのですが、イタリア・オーストリア・スロベニアの国境線とずれています。 アルプスの国境を見ると、大部分は大分水嶺と一致しているのですが、ここのように差のある場所には何らかの歴史があるようです。この地はどのような経緯があったのでしょう。図示してみます。 <変遷:左図> ・1919年までこの地は、オーストリア(ハプスブルク帝国)の領土でした。 <変遷:中図> ・第一次世界大戦の後(1920年)、敗戦したハプスブルク帝国は分割され、チェコ、ユーゴなどの新規独立国ができますが、同時にイタリアにも南チロルやトリエステ付近を大きく割譲しました。その国境はほぼ大分水嶺にそっていました。 (ただし、Tarvisioタルヴィジオ付近(青の円の箇所:古くからの教会や、豊かな森林がある場所)と、さらに西のDobbiacoドッピアーコ付近は、大分水嶺を越えてイタリアに割譲されました) イタリアが大戦に参戦した以下のような情勢が、有利な分割をさせたのです。 ・開戦時イタリアはドイツ、オーストリアの同盟国でしたが、中立を宣言します。ドイツはイタリアがその中立を維持するなら、オーストリア領の南チロルとトリエステを提供すると言います。(オーストリアは激怒したが無力) ・一方の連合国(フランス・イギリス・ポーランド・ロシアなど)は、自陣営側に入り参戦すれば、さらに多くの領地(アドリア海対岸、トルコ東部)なども提供すると約束したのです。 <変遷:右図>
・第二次大戦後(1945年)、敗戦したイタリアはユーゴスラヴィアへ領地を割譲し、現在のスロベニア国境になったのです。(このとき、フランス国境のいくつかの激戦地も、フランス領になりました。) ・しかし、タルヴィジオ、ドッピアーコ付近はそのままで、ここだけがアルプスの大分水嶺を越えた側にあるイタリア領です。 |
【55.jpg:Vrsic峠の看板。サイクリストは、峠制覇に情熱を燃やす。】 |
●Caporettカポレットの戦い/イゾンツォ戦線(第一次大戦1917.10〜11)当初、アルプスの大分水嶺付近にあった戦線は、オーストリア9ケ師団と、ドイツ6ケ師団がカポレットを10.24から攻撃。さらにタリアメント川、ピアヴェ川方面に向かい、イタリア軍を大きく退却させた。イタリア軍の死者1万、戦傷者3万、捕虜29万、脱走者30万の計約60万人。独墺軍は戦死・戦傷2万3千人のみ。(トレンティーノ戦線も参考に)★第一大戦:イタリア戦線に関連する以下の紀行も参考にしてください。 ・「Tolminトルミン」 ・「Boh.Sedloボヒニ・セドロ峠(1307m)」 ・「Predilプレディル峠」 ・「Plockenpas / Pso.di Mte.Croce Carnicoプレッケン/モンテ・クローチェ・ディ・カルニコ峠(数日後通過) ・「大・分水嶺・峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史」 ・「トレンティーノ戦線」【S.Angeloサン・アンジェロ峠】 ・「Col di Lanaラーナ峠」 ・「Monte Riteモンテ・リーテ(2183m)」 ・「Zoppe di Cadoreゾッペ・ディ・カドーレ」【戦死者慰霊碑】 ・「ヴェルバニアVerbania」【第一次世界大戦時のイタリア軍将軍の霊廟】 ○「第一次世界大戦」第1次世界大戦開戦から100年(WSJ)【100年後の今も残る「遺産」】 ●Ernest Hemingwayアーネスト・ヘミングウェイ(1899‐1961)第一次大戦末期の1918年,志願して赤十字の救急車の運転手としてイタリア戦線へ。そこで従軍・負傷した経験から1929年『武器よさらば』が書かれた。実際に負傷したのは、1918.7.8。場所はイタリアのFossalta-di-Piaveフォッサルタ・ディ・ピアーヴェの川辺。(Piaveピアーヴェ川がアドリア海に流れ込む10kmほどの河辺。 <参考情報> ・大塚さん:旧ユーゴだより:第42回配信『武器よ、さらば』【ヘミングウェイの肖像、実際の負傷の地(イタリアのピアーヴェ川)と、作品の舞台(スロベニアのSocaソチャ川、Kobaridコバリド/Caporettoカポレット)の関連などの解説】 ・betsumiyaさん:第一次大戦:カポレットー突破線 ・ダルマチア地方:ザラ:をめぐるイタリア、ユーゴスラヴィアのこと【世界飛び地領土研究会:「ベネチアの失地回復」をエサにイタリアの参戦を促した飛び地 】 <参考図書> ・『武器よさらば』ヘミングウェイ著、大久保康雄訳、新潮文庫1955.3 ・『マイケル・ペイリンの ヘミングウェイ・アドベンチャー』マイケル・ペイリン著、月谷真紀訳、産業編集センター2001.4 ・『第一次世界大戦』リデル・ハート著、中央公論社、(下p92-)カポレット ・『世界歴史地図(Storia-Universale)』学研出版 <Soca川、Trenta渓谷付近のWeb-Site> ・Bovec-Online【ボヴェック周辺の宿、食事、スポーツ、観光地・・】 ・Gornje Posocje【Gallery of pictures of river Soca:ソチャ川に沿った風景。地図をクリックで各地の写真を】 ・Monte Triglav mt.2863 ( Slovenia )【トリグラフ(トリグラウ)登山の写真】 |