【r212.jpg:シュタイア:Michaelerkircheミヒャエル教会】
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Steyrシュタイア(1)
「ライフル銃」と「シューベルト:鱒」の町。シュタイアーマルク州の名はこの町に因んで。

Steyrシュタイアとリンツの位置
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●高速道路で
リンツから高速道路を東に、さらにEnnsエンスで南に向かい同名の川に沿う道は、高速道路が部分部分に開通し、それを一時的につなぐ村道などを迂回するうちに、方向がわからなくなるほどです。でもリンツでははるか遠くにしか見えなかったアルプスの雪山が、思わぬ時に見えるので方向は大丈夫でしょう。

1999年に妻が描いたシュタイア
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●6年前の絵、想像していた町
アルプスの峠も近くにあるシュタイアの町の名を知ったのは、1999年の旅の前にこの町の情報をオーストリア観光局で入手してからです。そのときのパンフレットをもとに妻も絵を描いたりして楽しみにしていたのですが、あの年の秋はオーストリア西側の峠めぐりで、この地はお預けになったのです。
 【s564.jpg:鉱山夫のモニュメントだろうか】
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写真などから想像していた静かなアルプスに囲まれた町。ところが町に近づくにつれ、工場が見え、溶鉱炉のような大きなプラント工場がある町、トラックなどが大量に行きかう町に入ってきてしまったのです。

さすがに旧市街は車などがシャットアウトされており、広場の一角の駐車場に車を停め急いで町の見学にと歩き出します。ミシュランのガイドブック(緑本)によると
「その昔繁栄を極めた町で、シュタイアーマルク州の名はこの町の名に因んでいる」とあります。確かに今はオーバエスタライヒ州、そしてグラーツが州都のシュタイアーマルク州までは50kmほども離れているのです。
さらに調べてみると、ここは14世紀以来の兵器製造の町。特にJosef Werndlジョゼフ・ヴェアンドルの「Werndl-ライフル銃」が1867年に設計・製造されて以降、何十万丁ものライフル銃をオーストリア・ハンガリーの帝国軍に渡し、その好況の製造のため最大6,000人もの労働者がシュタイアーで雇われたとあります。(シュタイヤーマンリヒャーSteyr
Mannlicher GmbH & KG社)
シュタイア川がEnnsエンス川に合流する地点の橋の上に来ました。橋の北に見えているのが妻が描いたMichaelerkirche聖ミヒャエル教会。そこからの360度の眺めをご覧ください。妻の絵のような夕焼け時は素晴らしい景色でしょうね。

【s553e.jpg:東方向:シュタイア川がEnnsエンス川に合流し下っていく】

【s550e.jpg:南方向:エンス川の上流と右にMarienkirche聖母マリア教会の塔】

【s562e.jpg:西方向:正面高い位置にあるのが1666年建造の城館】

【s565e.jpg:北方向:シュタイア川の向かいがMichaelerkircheミヒャエル教会。川の色がここでも異なる。シュタイア川は緑色だが】
 【s567.jpg:エンス川はかなり黄土色が混じる大きな流れ。源流は西がダハシュタインの氷河、南がゼルク峠、東はMariazell方面】
 【s563.jpg:エンス川の上流に雪山が見える。多分Admontアドモント付近の2000mほどの山だろう】
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●シューべルトの鱒
1819年、22歳のシューべルトSchubert(1797-1828)が旧友シュタードラーとここに滞在して
「ピアノ五重奏曲『ます:鱒:(独)Die Forelle/(英)Trout』を作曲したのだそうです。
このエンス川とシュタイア川合流の流れ、鱒(マス)、そこにやってきた一人の漁師、彼の魚の観察、あっという間の釣られてしまったその魚。
<●クリックで別窓:『シューベルト:ます』のメロディーが流れます(音を消すには■)>
or マス・・MIDI
メロディー『シューベルト:ます』を聴きながら、なかなかそのシーンが目に浮かばないのは、やはり釣りや音楽の素養が足りないからなのでしょう。
主流のエンス川はかなり黄土色が混じる大きな流れです。遠方に見えている雪山は多分Admontアドモント付近の2000mほどの山ですが、この川の源流は、西がダハシュタインの氷河から。南がゼルク峠、東はMariazellマリアツェル方面からなのです。
今回の旅、チェコを回った後、今日から10日ほど後、そのマリアツェルに行ってみようと思っています。
<Steyrシュタイアの旧市街へ・・・>